歴史の偉人伝と教科書:事実と創作の狭間
現在ではあまり流行らないようですが、昔は「偉人伝」とか「英雄伝」がよく書かれ、読まれていました。偉人は非の打ち所がない立派な人で、英雄は勇敢無敵でその上美男子でした。そういった話では、面白ければ面白いほど史実から離れていくような気がします。あたかも著者がその場にいたような臨場感のある描写や、録音機もない時代なのに長々と繰り返される会話などは、史実というよりは歴史小説です。しかしこういう要素がないと、現在の歴史の教科書とか数学史のようになってしまい、あまり一般受けしないのかもしれません。古代の「伝記」は、読者に受けるように書かれたものでした。それに、現在の著作のように何千部も印刷される公的なものではなく、いたって私的なものでした。ですから、著者は著作に対して責任をとる必要もなく、かってに創作したり事実を変えたりすることがよくあったようです。以下で述べるエラトステネスについても、そのような伝記から採ったものです。
エラトステネス:多才さと業績
エラトステネスは、ヘレニズム期を代表するギリシアの科学者としてとても有名で、後の著作にたびたび出てきます。エラトステネスは、アレクサンドリアの西方、現在のリビアにあるキュレネに生まれ、しばらくの間学園都市アテナイで学んだ後、紀元前244年ごろに、プトレマイオス王朝の王子の家庭教師として招かれ、アレクサンドリアにやってきました。前236年には、大図書館の館長に就任し、終生をアレクサンドリアで過ごしたということです。
エラトステネスに関しては、とても多くの逸話や業績が伝えられています。詩人、音楽家、文学の批評家など多才で、喜劇の著作まであります。数学や天文学に関する業績も多数あります。しかしこれらが書かれたのはローマ時代で、ギリシア人はもはやエジプトの支配者ではなく、ギリシア科学は存亡の危機にありました。当時のムセイオンとよばれる科学研究所はローマ皇帝の援助で成り立っていました。ギリシアの科学を宣伝するためにはある程度の粉飾も仕方がありません。
エラトステネスはアルキメデスから手紙をもらっており、当時でも一流の学者と認められていたようです。しかしあまりにも多くの分野に手を染めたため、どれか一つに抜きんでていたというわけではなさそうです。同時代の学者からは、ギリシアのアルファベットの最初の文字アルファではなく、2番目の文字をしめすベータと呼ばれていたようです。つまり、どの分野でも第一人者ではなく二番手だったということです。数学史の専門家の中には「エラトステネスは大図書館に所蔵されていた文書のほとんどに目を通し、大変な博識ではあったが、自分の業績は何もなかった」という人もいます。
エラトステネスは、エラトステネスのふるいとして有名な素数をいちどにたくさん求めるアルゴリズムの発明者としても有名です。読者の皆さんは素数などに興味がない方が多いかもしれません。数学の専門家でもないかぎり、素数に興味を持つ人は「数学好き」、いまの言葉でいうと「数学オタク」なのかもしれません。しかし以下の事項は、ゆっくりと読めばごく簡単です。
エラトステネスのふるい
自然数 a が2つの自然数 b と c の積で表されたとします。すなわち
\(a = b \times c\)
このとき、a は b の倍数、b は a の約数であるといいます。たとえば 12 は次の6個の約数
\(1, 2, 3, 4, 6, 12\)
を持ちます。1 と 12 も 12 の約数であることに注意してください( 12 = 1 × 12 )。素数とは 1 と自分自身以外に約数を持たない自然数のことです。例外として1 は素数ではないとします。エラトステネスは、いっぺんにたくさんの素数を計算する方法を見つけました。これを現在ではエラトステネスのふるいと呼んでいます。
50以下の素数をすべて求めるものとします。表5.5.1 のように、1から 50 までの数を書きます。1 から順に素数でないものを消していきます。1 は素数でないから消します。表では、消したものは赤で示します。1の次は 2 です。消されていない素数に出会ったら、その数は素数です。2は消されていないので素数です。素数は 〇 で囲みます。次に、2の倍数をすべて消します(4, 6, 8, … 50)。これらは2を約数として持つので素数ではありません。 次に進むと3に出会います。これを 〇 で囲み、3 の倍数をすべて消します。表では緑で示してあります。
この操作を続けると、次が消されずに残ります。
\(2 , 3 , 5 , 7 , 11 , 13 , 17 , 19 , 23 , 29 , 31 , 37 , 41 , 43 , 47 ,\)
読者の皆さんはこれをどのように感じますか。言われてみればなるほどと思うかもしれませんが、感動するようなものでもありません。これはギリシア数学特有の論証ではなく、手続つまりアルゴリズムです。単に素数を見つけるだけで、素数に対する何らかの性質が明らかになったわけでもありません。素数は近世に入ってから数学者の注意を引き、数論という分野を作るもとになりましたが、素数の研究は純粋に理論のためだけのもので、なんの役にも立たないと思われていました。素数が大勢の人の注目を集めるようになったのは、20世紀に入ってコンピュータが発達したおかげです。現代ではコンピュータのセキュリティの保護のために素数はなくてはならないものになっています。エラトステネスのふるいは、大きな素数表を必要とする素数の研究者にとっては貴重なものでした。しかしヘレニズム時代に、いったい何人の人が素数に興味を持っていたでしょう。読者の皆さんはエラトステネスのふるいを読んで“おもしろい”と思いましたか? エラトステネスは何の目的でこのアルゴリズムを考えたのでしょうか? これはエラトステネスの発明ではなく、素数の研究が盛んになった後世の誰かがこのアルゴリズムにエラトステネスの名前を割り当てただけのように思われます。
エラトステネスと地球の周長
さて地球の測量のお話に戻りましょう。大図書館の図書館長であるエラトステネスは、ある日エジプトの年中行事の書かれたパピルスを読んでいて、アレクサンドリア市の南にあるシェネという町で、あるお祭りの日に深い井戸の底に太陽が映ることを知りました。あるお祭りの日とは夏至の日のことで、エジプトでは夏至の日にはお祭りがありました。エラトステネスは同じ夏至の日の正午、アレクサンドリアで真っすぐに立てた棒の影の長さを測りました。その影の長さから、棒と太陽光線がなす角は 7度12分でした。図5.5.2 で A はシェネ、B はアレクサンドリアで、 7度12分 = 7.2度 です。
7.2 ÷ 360 = \(\frac{1}{50}\) ですから、7度12分は地球1周 360度の\(\frac{1}{50}\) であることが分かったのです。そこでエラトステネスは、同じ歩幅で歩いて距離を測るように訓練された「ベバティステス」と呼ばれる測量士を使って、シェネとアレクサンドリア間の距離を測りました。その結果は「5000スタディオン」でした。シェネとアレクサンドリア間は地球の \(\frac{1}{50}\) ですから、地球の周長は 5000 × 50 = 25万スタディオンとなります。
1スタディオンが現在の単位でどのくらいになるか、いろいろな説があります。小さいものでローマ・マイルを根拠とした 148.8メートル、エジプト尺を根拠とした158メートル、最も大きく見積もったものでも166メートルです。どの値を取るにしても、実際の地球の周長の 4万キロメートルに非常に近い値となります。たとえば 1スタディオン=160メートルとすると
\(250,000\times 160\text{m} = 40,000,000\text{m} = 4\text{万キロメートル}\)
となります。
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