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Chapter 3:古代エジプトの数学能力

3-5.エジプトの天文学

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エジプト文明の暦とソティス年

あまり知られていないかもしれませんが、現在の私たちの生活でエジプト文明の影響を受けているものが意外とあるようです。その一つがカレンダー、つまりこよみです。皆さんは、たとえば「~王朝は紀元前~年に滅びた」などと言った記述を見て不思議に思いませんか。どうして何千年も昔のことを数年の単位で述べることができるのでしょうか。歴史の年代を決定するのは編年へんねんといって歴史の重要な問題で、いろいろな方法を使って総合的に判断されるのですが、これから述べるエジプトの天文学はエジプト史の編年へんねんにとても強力な材料を提供しました。

真夜中の12時に南の空の星々を見ていると思ってください。星々はゆっくり東から西に移動しています。次の日、夜の12時に同じ南の空を見てください。昨日とまったく同じでしょうか。ほんの少し西にずれているはずです。毎日見ているとだんだん西に移動し、1年経つとまた同じ位置に戻ってきます(毎日夜の12時に南の空を写真に撮り、365枚の写真を連続して見てみるとこのように見えます)。これは地球が太陽のまわりを公転しているからです。では1日にどれだけ動くのでしょうか。少し乱暴ですが、“1年を360日”として計算します。すると、円の1周は360度ですから、1日に1度(東から西へ)動くことになります。図3.5.1(b)。 ついでに、星々や太陽が1時間にどれだけの速さで動くか見てみましょう。今度は公転ではなく自転です。夜太陽が沈んだ後、南の空を明け方まで見続けます。1日24時間ですから、1時間に 360 ÷ 24 = 15 度となります。つまり、1時間に15度(東から西へ)動きます。図3.5.1(c)

図3.5.1

ある決まった時間に星々を観察して、また同じ位置に星々が戻ってきたときが1年の長さです。でも古代には正確な時計などありませんからあるきまった時間がわかりません。どのようにして1年の長さを測ったのでしょうか。エジプト人はシリウス(天狼星てんろうせいを観察することによってこれを実現しました。上では南の空を観察しましたが、今度は東の空を観察しましょう。東の空でも、また太陽があってもなくても今述べたのと同じです。昼間は太陽の光で星々は見えませんが、太陽の向こうには星々が広がっています。上で述べたように(毎日同じ時間に観測すると)1日に1度だけ星々は太陽より早く進みます。シリウスに注目しましょう。シリウスはとても明るい星(マイナス1.5等星)なので、昼間太陽と一緒のときは見えませんが、太陽が昇る少し前の薄暗いときなら見ることができます。70日間シリウスは太陽と一緒に回っていて、その間は見えませんが、やがて太陽を追い越し日の出の直前に東の空に現れます。これを旦出たんしゅつ (heliacal rise) といいます。

シリウスの旦出はエジプト人にとって大きな意味をもっていました。この日からほどなくしてナイル川の氾濫が始まるからです。シリウスはエジプトの言葉ではソティスといい、イシス女神の化身とされ、信仰の対象でした。シリウスの旦出は、イシス女神の出現であり、新しい季節の始まりです。暦が定まる最初の頃は、シリウスの旦出の日(現在の7月19日)は新しい年の始まり、つまり日本のお正月のような祭日だったようです。

エジプト人は農耕民ですから季節の移り変わりを知ることが大切です。やがて1年を 365日と定め、暦を設定します。これを民間暦と呼ぶことにします。しかし実際の公転周期は365.2422日で 365日では少し短いのです。図3.5.2 を見てください。

図3.5.2

位置 A では太陽の向こうにシリウスがあります。したがって A がシリウスの旦出の日です。A から 365日経つと A’ にきますが、まだ 1 4日分だけ足りません。地球が太陽のまわりをちょうど1周する時間を1年とする暦を恒星暦と呼ぶことにします。恒星暦は現在私たちが使っている暦のことで、1年は365.2422日で、たとえば4月は春、7月19日は旦出の日と決まっています。これに対し民間暦はエジプト人が使っていた暦です。

しばらくの間は、エジプト人は自分たちの暦が実際の季節とずれていくことには気付かなかったと思います。しかし実際は、民間暦の元旦とシリウスの旦出はしだいにずれていったのです。どのぐらいのずれか計算してみましょう。民間暦と恒星暦の差は、1年でたった 1 4日です。すると、4年で1日のずれ、365年で1季節のずれ、365×4= 1,460年でまた元に戻ります。

三百年とか千四百年などというと、日本人の私たちにとってはとてつもなく長い年月です。今の1月が冬で7百年前(鎌倉時代)の1月がたとえ夏であったと言われたとしても、それほど驚かないように思います。むしろエジプトのように何千年も同じ暦を使い続けていたことのほうが驚きです。しかし、伝統に固執するエジプト人は暦を変えようとはしませんでした。同じ暦を使い続け、季節の方を暦の上で変化させたのです。

歴史学者や古代天文学者は、暦の元旦とシリウスの旦出が一致する年を ソティス年と呼び、ソティス年から次のソティス年までの期間、つまり1460年をソティス周期と呼んでいます。また、シリウスの旦出の日をソティス日と呼んでいます。図3.5.2 の位置 A がソティス日です。

ある年(西暦 X年とする)、A が元旦であったとします。つまり X年はソティス年です。次の年の元旦は365日後の A’、365年後の元旦は 1 4周後戻りした D で、365×4 = 1460年後がふたたびソティス年となります。

地球が太陽のまわりを1年かけて回ると、太陽の背後にある星々も動きます。古代では地球は止まっていて星々や太陽が地球のまわりを回っており、星々は天球とよばれるドームに張り付いていると考えていました。図3.5.3の(a) は1日の様子で、太陽や星々は東から西に動きます。図3.5.3 (b) は1年の様子で、背後の星々は固定され、太陽が移動しています。「背後の星々を固定する」とは、次のように考えれば理解できると思います。

図3.5.3

エジプト人は昼でも太陽の向こうに星々があることを知っていました。真昼の12時に太陽の向こうにある星々を観測していると思ってください。図3.5.1(a) で、今度は夜の12時ではなく昼の12時で、(本当は見えないけれど)南の星を見ているとします。図3.5.1(b) は次の日の昼の12時です。星は1度だけ西に進んでいます。星を固定するということは、1度分時間を後戻りさせればよいわけです。1日は 24×60分だから 1度後戻りさせるには時間を 24×60÷360 = 4分巻き戻せばよいわけです。すなわち、次の日の 11時56分には星々は前日と同じ位置にきます。時間を4分巻き戻すということは、太陽を1度巻き戻すことです。言い換えると、太陽は星々の間を1日に1度西から東に移動することになります。これが図 3.5.3(b) です。

古代エジプトの天文学
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エジプトでは 10日間を「デカン」といい、天空を 36 のデカンに分けました。36のデカンのそれぞれに星座を割り当て、太陽はその星座の間を動いていくと考えたのです。バビロニアも同じような星座が考えられており、私たちがなじみのある星占いは、エジプトではなくバビロニア由来のものです。ヘレニズム時代にバビロニアの星座が入ってきて、ごっちゃになっていて現在エジプトの星座がどのようなものであったかわからなくなってしまいましたが、オリオン座とかおおいぬ座のシリウスがこの36星座に含まれていたことは確かです。36デカンは 360日で、それに5日の付加日を加えて1年は 365日となります。実際の(恒星暦における)1年は365.2422日ですから、約1 4日分足りません。現在の私たちの暦では、4年に1日閏月うるうづきを設けて調節していますが、エジプトではこのような調整をしなかったため民間暦が1年に 1 4日ずつずれていったのです。

図3.5.4 はバビロニアの星座です。「ふたご座」は7月の星座となっていますが、夏にはふたご座は太陽の後ろにあるので見えません。ふたご座が見えるのは冬です。

図3.5.4

ソティス日は天文現象ですから、現在の天文学を使えば紀元前何年のソティス日は西暦の何月何日であったか正確に調べればわかります。ソティス日はエジプト人にとって聖なる日であり、民衆暦の何月何日がソティス日であったか記録に残されていることがあります。特にソティス年のソティス日は盛大なお祝いがなされました。

エジプトの暦(民間暦)はいつ始まったのか

エジプトの暦(民間暦)はいつ始まったのでしょうか。編年学者や古代天文学者はこのもっとも基本的で重要な問題の解明に乗り出しました。記録は新しいほど年代も確かで確実です。紀元後139年のローマ時代に、都市アレクサンドリアではソティス年を祝う記念硬貨が発行されています。その1460年前は、紀元前1322年で新王国時代です。その年も当時の書記たちがソティス年について記録していました。その1460年前は、紀元前2782年で初期王朝時代です。この時代の直接の史料はありませんが、これより少し後の古王国時代のピラミッド•テキストの中に、とても古い星座の観測記録に関する文書が発見されています。この文書の内容から判断し、これよりさらにもう一巡前の紀元前4242年がエジプト暦の元年だ、というのが専門家たちの考えのようです。

私たちが現在使っている暦は、紀元前45年にローマの将軍ユリウス•カエサルが導入したユリウス暦が元になっていますが、ユリウス暦はエジプトの暦を移植したにすぎません。カエサルは軍人で天文学者ではありませんから、エジプト人の天文学者ソシゲネスの助言にしたがったようです。当時のローマの暦は、29日の月が7つ、31日の月が4つ、28日の月が1つの、1年が合計 355日という奇妙な暦でした。なぜこのような奇妙な暦になったかというと、ローマ人は「偶数は不吉な数だ」と考えていたためのようです。1年= 355日は、太陰暦の1年=354日に近いのですが、閏月の挿入の仕方が定まらずたびたび混乱を起こしたようです。カエサルが暦を改正する直前の紀元前46年は1年=455日という大混乱を起こしています。また4年に一回閏年を挿入するという案は、すでに紀元前238年にプトレマイオス朝のファラオが出しています。ここで注意しておきたいことは、古代の観測技術では1年の長さが 365日ではなく、365日と1 4 であることを知るためにはとてつもなく長い年月を必要としたということです。精度を高めるためには、数十年という単位では全然問題にならず、数百年あるいはそれ以上の年月が必要だったのです。

エジプトピラミッドと方位

エジプトの科学技術のすごさを示すものはやはりギザの3つのピラミッド、とくにクフの大ピラミッドだといえるでしょう。これらの3基のピラミッドは美しい正確な四角錐をしており、特に航空写真をみると、底面はどれも正確な正方形をしています。

しかしもっと驚くことは方位の正確さです。ギザのピラミッド群の底面が正確に東西を示しているということは、ナポレオンのエジプト遠征のときから知られていました。

クフとカフラーのピラミッドは北から2分28秒、メンカフラーのピラミッドは9分12秒しかずれていません。2分28秒とは 2 60+28 3600=0.04111…度のことです。

図3.5.5

図は角度1度です。1度がいかに小さいか分かると思います。2分28秒は1度の 3 601 20 以下の角度です。どのような方法でこのような精度の方位求めることができたのでしょうか。少し考えてみましょう。

ギリシアの日時計はエジプトから伝わったという伝承があります。真っ直ぐに立てた棒の影が一番短くなったときが正午で、そのとき影が示す方向が北です。ではこの方法で北が計測できるでしょうか。棒を立ててその影の長さを観測しているところを想像してみてください。10分観測しても影はほとんど動かないと思います。1度が 図3.5.5 の大きさであることにも注意してください。星や太陽は1時間に15度移動します。したがって1度移動するのには 60 ÷ 15度 = 4 分ですから、1 20 度では 4×60÷20 = 12 秒 となります。12秒間の影の長さの変化を捉えることなどとてもできそうにありません。この方法は無理なようです。

古代では春分の日を年の初めとする地方が多くありました。春分の日と秋分の日では太陽は真東から昇ります。春分の日(秋分の日)とは「昼の長さと夜の長さが一致する日」ですが、正確な時計がないので、この日を決めることができません。最も北から太陽が昇る夏至の日に太陽が昇る方角を記録し、最も南から太陽が昇る冬至の日にも太陽が昇る方角を記録すれば、この2つの方角の2等分線が真東まひがしになります。実際多くの古代遺跡(イギリスのストーンヘンジやペルーのチャンキロ遺跡など)では、夏至や冬至の日の出の位置を測る巨大な装置の遺跡が発見されています。この方法で真東を決めるには、観測地点から見る水平線が山などに邪魔されない水平線であることが必要ですし、最低半年の時間がかかります。「春分の日の決定」に関しても、古代では長い年月と巨大な装置が必要だったのです。

古代の方位の測定方法

ローマ時代の測量師ヒュグムス・ギオマティクスは測量の手引書で真北の求め方を書いています。真っすぐな棒を立て、その棒を中心 O とした円を書きます。ただし、正午には棒の影が円の中に入るように、朝と夕方には棒の影が円の外にくるように円を描きます。図3.5.6

図3.5.6

朝から棒の影を観察し、午前に影が円を横切るところに印Aをつけ、午后にも影が円を横切るところに印Bをつけます。この2つの印を直線で結ぶと、AB の垂直2等分線が真北を示します。しかし、この方法では上で述べたような正確な真北を見つけるのは難しそうです。太陽は点ではなく、視角が約 1 2度の円です。天気が良い日になにかの影を観察してみてください。大きな建物の影はぼやけてしまいますし、小さい棒の影では正確な角度が測れません。

古代天文学の研究者は、エジプト人は星の観察から方位を決定したと考えています。夜星空を眺めていると思ってください。星空は球状のドームのようです。このドームを天球といいます。星々はこの天球に張り付いていて、「天の北極」と今あなたがいる地点を結ぶ軸を中心に回転しているように見えます。現在は、天の北極には北極星がありますから、すぐに真北が分かります。しかし古王国時代には北極星は天の北極にはなく、天の北極には目印となるような星がなにもありませんでした。これは地軸が止まりかけのコマのようにスリコギ運動をしているからです。図3.5.7 を見てください。

図3.5.7

このスリコギ運動のことを歳差運動というのですが、この歳差運動の周期はなんと約 2万5800年です。長いといっても古王国時代は今から4600年ほど前ですから、天の北極の周囲は現在とはだいぶ異なっていました。しかし、星々が天の北極を中心に回転していることや、天の北極が真北にあることには変わりがありません。天文考古学の学者たちは、エジプト人は星々が描く円の中心を求めることで天の北極を得たのだろう、と考えています。皆さんなら、どんな方法で円の中心を求めますか。

図3.5.8を見てください。

図3.5.8

観測地点 O で観測者が北の夜空を眺めて立っています。星々は天の北極を中心に反時計回りに回転しています。北のある星に注目し、その星が昇った地点を A、沈んだ地点を B とします。OA と OB のなす角の2等分線が真北を示します。これは上で述べた真東を求める方法と原理的には同じです。この方法には2つの欠点があります。ひとつは地平線がはっきりと見える地形が必要なことです。星が昇る場所と沈む場所に山や丘があってはいけません。もう一つの欠点は、ある星が東から昇って西に沈むまでに円を半周以上回りますから、12時間以上かかることになります。1日で観測しようとすると、冬にしかできません。いずれにしても手軽な方法とはいえません。実はどんな場所でも手軽に真北が求められる方法があるのです。

古代天文学の研究者は次のような方法を提案しています。北の空の星 A と B で、「A と B を結ぶ直線上に天の北極が位置している」という条件を満たす星を見つけます。具体的にはこの2つの星は、おおぐま座のミザールとこぐま座のコカブという星ですが、ここではA星、B星と呼ぶことにします。このA星とB星を結ぶ直線が地平線に対し垂直になったとき、その方角が真北です。垂直は糸におもりをつけ垂らせばわかります。遠くに人を立たせ、その頭上にA星、B星が垂直に並んだ時、人が立っている方角が真北です。図3.5.9

図3.5.9

エジプト人の宗教観と方角

なぜ南北にこだわったのでしょう。これはエジプト人の宗教観からだと思います。東は太陽が生まれる国、西は太陽が沈む黄泉の国です。天の北極(現在の北極星)の近くの星は一晩中沈むことがありません。地平線の下に沈むことのない星を周極星といいます。エジプト人は周極星を、「決して滅びない星々」と呼び永遠の生命の象徴として崇拝していました。大ピラミッドが作られたころ、北斗七星は天の北極の近くにあったので緯度の低いエジプトでも周極星でした。現在では北海道の北部より北に行かないと北斗七星は周極星にはなりません。エジプトの王墓の壁などには周極星が描かれています。階段ピラミッドはファラオが北天の周極星となって、永遠の生を得るための階段を象徴した建造物だったと考えられています。真正ピラミッドになるとピラミッドは太陽光線を象徴するようになりますが、東西南北が大切なことには変わりありません。

私たちは、昼12時間、夜12時間の24時間制を取っています。この24時間制はエジプトから来たと考えられています。上で述べたように、エジプト人は天空を36のデカンに分け、各デカンに星座を割りあてました。エジプト人は夜間の時間をこの星座を観察することによって測っていたようです。天体の観測はとくに夏に行っていたようです。夏は日の出が早く、また日の入りも遅いので、夜の時間は8時間ぐらいになります。8時間で観察できる天空の星空は全体の 8 241 3 です。全周が 36デカンですから、夏の夜中に通過する星座は 36× 1 3 = 12 となります。つまり 1デカン= 1時間とすると、夏の夜の長さは12時間となります。その後、夜の長さは季節に関係なくすべて12時間(したがって冬の1時間は夏の1時間より長くなります)、昼間も同様に12時間となったと考えられています。

エジプトでは、「日時計」、「水時計」、「星時計」の3種類の時計がありました。エジプトの時計は季節によって1時間の長さが異なる季節時計です。これは出土した水時計の目盛りが、季節によって違うことから判断できます。「水時計」は神殿で行なわれる夜の祭儀の時間を計るのに用いられていました。また、暦と星座の位置によって時間を計る「星時計」も、壁に描かれた絵などの史料から存在したものと考えられています。

エジプト人にとって星空はかけがえのないものでした。「36のデカン星座表」さえあれば、(1) 夜間の時刻、(2) 現在の季節、(3) 前回のソティス年からの経過年数、などが分かります。 エジプト人は古代人の例にもれず数には神秘的な力があると信じていました。これを「数神秘主義」といいます。したがって、数にはとてもこだわっています。前に述べたように南の星空を36のグループに分け、それぞれのグループをデカンと呼びました。

10日=1デカン、 1ヵ月= 3デカン =30日、 1年=36デカン=360日

1年は 360日で、次の1年の間に 5日間の祭日が入ります。のちの古代ギリシアではこの 5日を付加日として1年に加えていますが、エジプトでは1年は360日で、その後の5日は空白の日です。ちなみに、ギリシア語の 10 を表す「デカ」は、この「デカン」に由来します。

数字に厳密なエジプト人は、この“空白の5日”を次のような神話で説明しています。『2-2.宇宙創世神話』で述べたように、天の女神(ヌト)と大地の神(ゲブ)はもともと一体だったのですが、父親の大気の神(シュウ)によって引き裂かれます。ヌトとゲブは互いに恋しがりトト神に何とかならないかと相談します。トト神は月の神に掛け合い、何とか5日間をかすめ取ります。このようにして得た5日は1年には入らない神を祀る日なのです。

『2-3.エジプトの長い歴史』で述べた神官マネトが編纂した王朝表にも 30 という数へのこだわりが見えます。マネトはエジプト歴代の王たちを 30の王朝に分けました。現在の王朝表が 31王朝となっているのは、のちの歴史家によって1王朝が付け加えられたからです。また、マネトは各在位期間を30年としています。神官マネトにとって 30 は「切りのいい数」だったのだと思います。

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