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Chapter 2:エジプトの歴史と神話

2-2.宇宙創世神話

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神話からみる古代エジプトの世界観

古代の人々はこの世界をどのように考えていたのでしょうか。古代の人々の世界観、宇宙観、倫理観など、ものの考え方を知るうえで、神話はとても参考になります。なぜピラミッドは四角錐なのでしょうか。古代日本の天皇陵は円墳か前方後円墳で、すぐに樹木が茂り自然の中に溶け込んでしまい、古墳なのか山なのか分からなくなってしまいます。これも古代エジプトと日本の自然観の違いにあるように思います。数学は、租税や交易などの必要から生まれたと考えられますが、それだけではなく数秘術も大きな要因の一つでした。古代の人は、ことばと同様ににも魔力が潜んでいると考えていました。数秘術は占いから、占いは天体の観測(天文学)から生まれました。現在の私たちは、ことばになんの魔力も感じません。しかし、これを見過ごすと古代人の考え方を見損なうおそれがあります。古代の神話は現代のSF(空想科学小説)あるいは歴史小説にあたると考えると、古代人の想像力の豊かさを感じることができるかもしれません。

いまから9千年程前頃から少しずつ、各地から水を求め人々がナイルの谷に集まってきました。各集団はそれぞれの守り神をもっていました。その守り神は、鳥とかワニなどの動物や自然界の事物で、これをトーテムといいます。集団が集まり部族となり、部族が集まって州を形成します。指導者の守り神は州全体の守り神となり、やがて指導者は守り神の霊力をもった宗教的司祭となり、カリスマ性を帯びてきます。

古代における戦争は、部族間の神と神との戦いです。ふつうは負けた神は勝った神の家来となるか、あるいは抹殺されてしまいます。しかしエジプトではこのような現象が起きませんでした。神の数はどんどん増えていきます。ある部族の主要な神は他の部族の主要な神と合体して一つの神となります。これを習合しゅうごうといいます。一方の名前が消えればよいのですが、たいていは両方の名前が残ります。たとえばラアという神とアトゥムという神が合体すると、ラア・アトゥムになります。さらには一人の神がたくさんの名前を持つことになります。名前だけではなく変身もします。トトという神は、朱鷺ときの姿をしたり狒狒ひひになったりします。そういうわけで、神々のあいだの家族関係はとても複雑で、いたるところ矛盾しているのです。ある地域の親子関係が、他の地域では親と子が逆転していたり、祖父と孫の関係になっていたりします。

普通の神話では、長い年月の間に神話体系は整理されてくるものなのですが、エジプトの神話では論理的な厳密性は要求されず、矛盾した神話が幸せに共存していました。これはエジプト社会の成り立ちに関係しているようです。後世のローマ時代では、支配者(ローマ人)から見ると征服民(エジプト人)は租税をとる対象であり、法や規則を厳格に守らせましたが、王朝時代のエジプトでは、王は民衆からあがめられる神でなければならず、したがって民衆の宗教観を大切にしなければならなかったのです。つまりエジプトは地域ごとの習慣や伝統を尊重し、差異を許容する社会だったのです。

どの神話にも、宇宙が誕生した創世神話があります。エジプトには4つの大きな信仰の中心地である崇拝センターがあり、それぞれに創世神話をもっていました。ピラミッドの建造に関係の深い、ギザのすぐ近くにある宗教都市ヘリオポリスに伝わる創世神話を中心に創世神話について述べましょう。

ヘリオポリスに伝わる創世神話

世界の初めは、無限に広がる混沌の海でした。おそらくエジプト人はナイル川の大洪水のあとの一面に広がる水面を心に浮かべていたのでしょう。この宇宙をおおいつくす水をヌンといいます。ヌンはすべてを生み出す力の源で、どの創世神話にも共通しており、時には神とみなされることもありました。

ヌンは長い間淀んでいました。ヘリオポリスの神話では、このヌンの中で突然神アトゥムが自らの力で生まれます。有限の空間が生じ、時間が動き始めます。この混沌の水の中で、アトゥムが唾を吐くと息子シュウが生まれ、嘔吐すると娘テフヌトが生まれました。まだまわりの水は真っ暗闇で、生まれたばかりの子供はどこかに行ってしまいます。アトゥムは慌てふためき、自分の目に探し出すように命令します。アトゥムの眼はまだ一つで、眼は自分自身の意思を持ち自由に動ける存在でした。やっとの思いで2人の子供を探し当て、アトゥムのもとに帰ると、アトゥムのかたわらには、明るい別の眼があるではありませんか。アトゥムはわびて、戻ってきた眼を額につけました。すると、ヌンの水が引き空間が生じ、アトゥムは水面上に姿を現します。これを「原初の丘」といいます。ピラミッドはこの原初の丘がモデルとなったと言われています。アトゥムの眼(太陽)は全世界を照らして、アトゥムは世界を統治することになります。

古代エジプト創世神話1

実際に神話が壁画などに書かれるようになるのは、ピラミッドが作られるようになってからで、そのころには、アトゥムと太陽神ラアは同一視されるようになります。伝承にはいろいろあり、アトゥムの右目を太陽、左目を月とするものもあります。ここではアトゥムはラアと同一視されたものとし、以下ではアトゥムをラアと呼ぶことにします。

中エジプトのヘリオポリスにはまた別の創世神話が伝わっています。この神話でも、混沌のヌンの水から大地が盛り上がり「原初の丘」が出現します。ヌンはすべてを生み出す力を持っており、原初の丘には大きな卵が産み落とされていました。その卵から智慧の神トトが生まれます。トトは光り輝く火の鳥で、のちにフェニックスと呼ばれるようになります。原初の丘の泥の中から、8人の神が現れます。8神のうち4人は男神でカエル、4人は女神でヘビでした。これは、ナイル川の水が引いた後の沼に無数のカエルやヘビが現れてくるのを表しているのでしょう。ナイル川は生命の源だったのです。4匹の雄カエルと4匹の雌蛇はそれぞれ結婚して、多くの神々を生み出します。ちなみに、日本では神様を数えるときの助数詞は“人”ではなく“柱”ですが、ここでは“人”と“匹”を使いました。“四柱のカエル様”は少し変ですから。

古代エジプト創世神話2

その他にもいくつか宇宙創世神話がありますが、これらは上で述べたヘリオポリスの神々と同一視されたり、吸収されたりします。たとえば、トト神は「ラアの心臓」と呼ばれることもあります。つまり、トトは神ラアのうちの「ものを考える部分」、つまり今でいう「あたま」を引き受けていたのだと思います。ヘリオポリスの神話にもどって話を続けましょう。太陽神ラアの2人の子供は結婚し、2人の子供ヌトとゲブを産みます。これら4人の神は次を表します。

古代エジプト創世神話

トトの妻は、真理と正義の神マアトです。マアトはテフヌトと同一視されますから、マアトラアの子ということになります。ヌトとゲブはもともと一体だったのですが、父親のシュウが2つに引き裂きます。図2.2.1 エジプト人の世界観。天の女神ヌトは、手と足で踏ん張っています。真ん中で引き離しているのがシュウ(大気)、寝そべっているのがゲブ(大地)です。

古代エジプト創世神話

ラアが創った世界では1年は360日でとてもすっきりしていました。どうして5日が付け加えられたか、神話は次のように説明しています。ラアは祖父のくせに嫉妬深く、ヌト(天)とゲブ(地)がいつもくっついているのが気に入りません。そこで父親のシュウに、2人を引き離すように命令します。引き離されたヌトとゲブはなんとか会えるようにしてほしいと、トト神に相談します。トト神は、時間を司る月神とチェスをして、360日の72分の1、つまり5日を勝ちとることができます。それで、1年は360日と、5日の付加日となったというのです。このことより、エジプト人は、1年が365日であることを知っていたこと、暦を月の満ち欠けで判断していたことが分かります。この5日の間2人の神は会うことができ、オシリス、セト、イシス、ネフティス、ハトホルの5人の子供を産みました。ハトホルの代わりに、ホルスを子とする伝承や、ハトホルをヌトとラアの子とする伝承もあります。

人間が生まれ、ラアと神々は世界を支配します。まだラアは若く精力的であり、“神聖秩序の神”であるマアトの力が世界の隅々まで行き渡り、堅固な統治が行き渡っていました。ラアは毎日規則正しい生活を送っていました。朝起きると化粧をし、星々の神が運んでくる食事をしてから、ヘリオポリスの“ベンベンのやかた”を出て、シュウなどのお供を引き連れ、王国の12の州をナイル川に沿って視察します。この人間と神々がともに暮らしていた原初の時を「黄金時代」といいます。

太陽神ラアは、人間にとって恵みを与えてくれるだけの神ではありません。砂漠の灼熱の太陽のように過酷な労役を課す神でもあったのです。人間はたびたび反乱を起こします。反乱がおきるとラアは烈火のごとく怒り、娘のハトホルを派遣します。ハトホルは怒り狂うと牝ライオンの神セクメトに変身します。セクメトは太陽神ラアの憎悪、残虐さ、破壊心などを具現化したものなのでしょう、いったん血の味を占めると歯止めがききません。ラアは人類の絶滅までは考えていなかったはずです。あまりにもすさまじい殺戮と残虐さに、神々はトト神に救いを求めます。トトは大量のビールを苺で赤く色付けし大きな壺にいれ、セクメトの通り道に置きます。翌朝血に飢えたセクメトはその壺を見つけむさぼるように飲み干し酔っぱらって寝てしまいます。正気に戻ると、牝ライオンのセクメトは、もとのハトホルにもどっていました。

ラアの眼

この節の最初で述べた話では、太陽ラアはアトゥムの眼でした。アトゥムの右目が太陽ラアで、左目が月という話もあります。この話では、ハトホルはラアの娘となっていますが、ハトホルはラアの眼である、と伝える話もあります。エジプトの神は状況によって名前や姿や立場がころころ変わります。とても奇妙ですが古代の神話とか宗教観を、現代人の考え方ではとらえきれないのかもしれません。

ラアの眼」には次のような話もあります。あるとき、ラアの眼はまたしても出奔します。このときのラアの眼は娘テフヌト(マアト)です。ラアトトに探索を頼み、トトは遠く離れた地でマアトを見つけだします。これがきっかけでトトはマアトと結婚することになります。ラアはこの報酬ほうしゅうとして、トトが月を作り出すのを許し、夜の天空の支配権をラアの代理者としてトトに委ねたと言われます。おそらく各地にあった月の神をトトが吸収したのでしょう。これによって、トトは暦、つまり月日を制御することができるようになったといいます。

ラアは年老い、神王のくらいシュウに渡します。その後、シュウの子ゲブが父から王位を奪い3世を継ぎます。ゲブの治世は安定し、地上における王位は「ゲブの座」と呼ばれるようになります。長い治世の後ゲブは退位することに決め、下エジプトをホルスに、上エジプトをセトに分轄譲与しようと決意します。しかし、この継承問題が大きな混乱と闘争に発展するのです。

ホルスとセトは争い、神々は王位の正当性について議論します。ラアはセトを推すのですが、耄碌もうろくしたと思われラアの裁量を誰も指示しようとしません。ラアは地上を去って、天上界に移ることを決心します。上の図2.2.1 は天の神ヌトに自分を天に持ち上げてくれるよう頼んだときに取った形ともいわれています。

エジプト人の世界観
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背の上には太陽の舟が乗っており、船の中央のタマオシコガネと丸い玉が変身したラアです。タマオシコガネは別名フンコロガシとも呼ばれ、動物の糞を玉にして転がし、巣に運ぶことからこの名前が付きました。土の玉から再生するということで、太陽の象徴として崇拝されました。

ホルスとセトの王位継承の争いは「オシリス神話」として知られています。これは第4節にまわすことにして、ここではこの節で述べたことをまとめておきましょう。

エジプトの各地には創世神話が残されていますが、それらは共通して、この世界は混沌の海から隆起した「原初の丘」から始まったとしています。それぞれの崇拝センターの司祭たちは、自分たちの神殿こそが原初の丘の上に立っていると主張しています。歴史学者たちの多くは、ピラミッドはこの「原初の丘」をイメージしたものだろうといっています。崇拝センターの中でも、ギザに近いヘリオポリスが歴史も古く有力でした。ヘリオポリスにあったラアの神殿はベンベンのやかたと呼ばれていました。このベンベンという言葉は「持ち上がる」とか「勃起する」という意味で、この言葉から「太陽が昇る」という言葉ウェベンが生まれ、太陽と結びつけられたといいます。

このベンベンの館にはベンベン石という秘宝の石があったと言い伝えられています。このベンベン石に最初にとまったのがベンヌ鳥と呼ばれる鳥です。このベンヌ鳥こそ火の鳥(フェニックス)のことであり、トト神です。上ではトト神は「原初の丘」が産んだ卵から生まれたと言いましたが、光り輝く太陽光線の中、原初の丘の頂点にベンヌ鳥が現れ、ベンヌ鳥が生んだ卵からラアが現れたとも、またベンヌ鳥自身がラアであるという話もあります。

原初の時代、つまり神々と人間が一緒に住んでいた「黄金時代」、人間はまだ原始的な暮らしをしていました。人間はまだ野蛮な食人種で、ときどき神々の怒りを買うこともありましたが、神々は人間にいろいろな知識を教え文明へと導きました。「ピラミッドの秘密」に「超古代文明説」というものがありましたが、これは神話の「黄金時代」の話が原型のひとつかもしれません。また、エジプトの神話には、朱鷺とき狒狒ひひの頭をした神々が現れますが、現代のスターウォーズなどの空想科学小説などにもこのような宇宙人がいくらでも出てきます。昔の神話は、現在では宇宙の話に置き換えられているような気がします。

いろいろな神が出てきましたが、トト神マアト神を覚えておいてください。トト神は「知恵の神」で、文字や数秘術(数学・天文学)の発明者です。またトトの妻マアトは、「真理と秩序」の神です。これらの神は「オシリス神話」でも活躍します。

次回は『2-3.エジプトの長い歴史』

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