前回の記事では、ピラミッドはセケド(傾き)を基準に作られていたこと、またそのセケドの値とピラミッドの円周率の謎の関係性について述べました。また、『セケド5;\(\frac{1}{2}\)の四角錐』は、ピラミッドの円周率の謎 (底面の周長を高さの2倍で割ると円周率になる)を満たす立体であるということを証明しました。今回は、この説に残る何個かの疑問点のうち、ひとつめの疑問を明らかにしていきます。
なぜセケド5;\(\frac{1}{2}\)を基準にしたのか。切りのいいセケド5を選ばなかった理由。
なぜセケド5;\(\frac{1}{2}\)から5;\(\frac{1}{4}\)に変更したのか。(次回解説)
スネフェル王の崩れピラミッドと「ベンベン」
古代エジプトでは自然はマアト(秩序)によって支配されており、数には神秘的な力があると信じていました。セケドを 5;\(\frac{1}{2}\) とか 5;\(\frac{1}{4}\)としたのは偶然ではなくなにか意味があるはずです。
事実1 より、「セケドを 5;\(\frac{1}{2}\) に決めたから円周率の謎が成立した」という推論もできますが、それでは「なぜセケドを 5;\(\frac{1}{2}\)としたか」という謎が残ります。ここでは逆に、「円周率の謎が成立するようにピラミッドを作ったら、セケドが 5;\(\frac{1}{2}\) となった」という方針で、推論を進めましょう。
ピラミッドが作り始められたのは第3王朝からで、本格的なピラミッドが作られるようになったのはクフ王の父のである第4王朝の初代の王スネフェルからのようです。スネフェルは巨大な権力を持ち、ピラミッドを3つも作っています。これらは「屈折ピラミッド」、「赤のピラミッド」、「崩れピラミッド」と呼ばれています。なぜ3つも作ったのか、歴史の専門家の間でも議論されています。専門家の意見を聞いてみましょう。
『世界の歴史4-オリエント世界の発展、小川英雄、山本由美子、中央公論社 (2009)』のなかで、この本の著者は次のように述べています。
これらの3つのピラミッドは「屈折ピラミッド」、「赤のピラミッド」、「崩れピラミッド」の順につくられたと考えられます。後で述べる理由により、王はピラミッドの傾斜角は52度が理想であると考えました。最初の屈折ピラミッドは、底面の1辺が189メートル、高さ101メートルで、途中高さ49メートルまでの勾配は54度31分、それより上は43度21分です。途中で勾配が変わるので屈折ピラミッドと呼ばれます。次に作られたのが、鉄分の多い赤い石灰岩で造られた赤のピラミッドで、底面の一辺219メートル、高さ99メートル、勾配は43度36分です。両方とも理想とする角度の 52度とかけ離れています。それで最後に作ったのが、底辺144メートル、高さ92メートル、勾配51度51分の崩れピラミッドでであったと推測しています(現在は無残にも崩れているので、崩れピラミッドと呼ばれています)。また、なぜ52度にこだわったかというと、聖都ヘリオポリスにあった聖石「ベンベン」を手本としたためであると述べています。
ヘリオポリスという名はのちにギリシアの人が付けた名前で、ギリシア語で「太陽の都」という意味です。ヘリオポリスは太古からの太陽信仰の中心地で、不死鳥で有名なフェニックス神殿がありました。この神殿には昔から伝わる秘密の文書や歴史に埋もれた謎の物体が保管されており、ここの高位の神官は「天文学者の長」とよばれ、天文学と占星術を行っていたようです。クフ王もここにたびたび訪れ秘密の文書を探したと伝えられています。ここには、古代エジプト語で「ベンベン」とよばれる聖なる石が長らく保管されていたようです。この「ベンベン」とは何でしょうか。研究者はこれを隕石だとみています。古代では、空から落ちてくる隕石を「太陽の分身」とみて御神体とすることがよくあります。注意すべきことは、この形状が「先の尖った円錐形」をしていたという伝承があることです。ピラミッド・テキストにも側面がでこぼこした石として描かれています。研究者のなかには、この「円錐形がピラミッドのモデルになった」とみる人がいます。
- 仮説1:ピラミッドのモデルは高さが底円の半径に等しい円錐形だった
- 仮説2:古代エジプト人は円の正方化問題を問いていた。
- 円周の計測とエジプトの長さ単位
- 大ピラミッドが大切にした数
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