第17回 ユリウス日:暦の対照

『暦の起源』は全22記事からなるWeb連載です。

現在では世界中で暦は統一されていますが、古代では世界各地でいろいろな暦が使われていました。古代に起きた事件が実際いつころのことかとか、事件の前後関係を研究する分野を編年学といいます。そのためには標準となる暦が必要です。標準となる暦といえばやはり西暦でしょう。

しかし、この西暦にもいくつかの欠点があります。一つは、1582年にユリウス暦からグレゴリオ暦に変わったこと。また、紀元前には西暦がなかったことも欠点です。そして最も大きな欠点は、1年12ヵ月のそれぞれの月の日数が、28日、29日、30日、31日と4種類もあり、これが不規則に並んでいることです。西暦のもととなったエジプト暦は、1ヵ月すべて30日と整然としていました。これが現在のように改悪されたいきさつは〔ローマの暦〕で述べました。

通日とは何か

1月1日から通して数えた日数

日本では、通貨や度量衡の単位は昔から10進数でしたが、ヨーロッパなどでは最近まで10進数ではありませんでした。このような複雑な単位系の場合、一番下位の単位にそろえると問題が単純となりすっきりとします。暦の場合、年、月、日がありますから、これを日に揃えます。

ヨーロッパでも日本でも昔の暦書には通日という概念がありました。伊勢神宮が出版する神宮暦(戦前は本暦)や、天体暦には通日という欄がありました。通日とは1月1日から通して数えた日数のことです。以下ではいろいろな通日が出てきます。

月通日

まず、1年ごとに区切った通日を考え、これを月通日と呼ぶことにします。

計算の便宜上 0日という日付を考えることにしましょう。たとえば「5月0日」とは「5月1日の前の日」、つまり「4月30日」のこととします。同様にたとえば、「2030年1月0日」とは「2029年12月31日」のこととします。

月通日

たとえば4月の欄に書かれている数字90 と 91 は、4月0日の通日、つまり、1月1日から3月31日までの日数です。したがって、たとえば 4月5日の通日は、

平年の場合 31+28+31+5=95
閏年の場合  31+29+31+5=96

となります。通日はいろいろな計算に使えます。たとえば4月5日から140日後を計算してみましょう。どちらでも同じ結果となりますから平年で計算します。

95+140=235

次に、1月1日から 235日後が何月何日かを求めます。表1-1 から8月0日の通日は 212 です。したがって、通日が235日となる日は 235 – 212 = 23 より、8月23日となります。140日は20週ですから、年に関係なく毎年4月5日と8月23日は同じ曜日です。

ユリウス日

古代史、古代の天文学、暦学などでは、ユリウス日というものが使われています。ユリウス日は、1583年スカリゲルという人が考え出したもので、1583年というのは、グレゴリオ暦が制定された翌年です。実はユリウス日の“ユリウス”は、ユリウス暦とは直接関係はなく、考案者スカリゲルの父親の名のようです。しかし、ユリウス日はユリウス暦を基準としていますから、むしろ覚えやすくて良いでしょう。

ユリウス日は、紀元前4713年1月1日正午(世界標準時)を原点としていました。ニュートンをはじめ当時の天文学者はこの年に世界(宇宙)は始まったと考えていました。「正午(世界標準時)」としているのは現在のことで、当時考えていたのは“日”だけです。本連載でも時間までは考えません。スカリゲルは、ユリウス暦では

4年 = 365日 × 4 + 1日 = 1461日

と簡単に計算できることを利用したのです。

西暦1年1月1日を起点として考える

古代の天文学や古代史の研究者にとっては紀元前4713年を起点ことが必要でしょうが、本連載ではそこまで必要としないので、西暦1年1月1日を起点とすることにします。少し紛らわしいのですが、紀元前4713年を起点とするものをユリウス()と呼び、西暦1年1月1日を起点とするものをユリウス通日(呼ぶことにします。

1582年に西暦はユリウス暦からグレゴリオ暦に変わります。これを考慮するとなると 1582 という数値を覚えなければならず、初心者には負担なので、グレゴリオ通日という概念を導入します。

ユリウス通日 = ユリウス暦での1年1月1日からの日数
グレゴリオ通日 = グレゴリオ暦での1年1月1日 からの日数

グレゴリオ暦は、1582年以前には存在しないのですが、グレゴリオ通日の計算では存在すると仮定します。また、アスタリスク(*)がついた日付はグレゴリオ暦における日付(ひづけ)であることを意味します。

1年1月1日 はユリウス暦では

まず、1年1月1日 はユリウス暦でいつになるのかを計算しましょう。

1582年1月0日とは1581年12月31日のことです。この日のユリウス通日を求めます。

1581 ÷ 4 = 395 … 1

この式は「1581 を 4 で割った商が 395、余りが 1」であることを示します。

これは 1581 年のうち 395回の閏年があることを示します。したがって、1582年1月0日のユリウス通日は

1581×365+395= 577,460 (日)                                     (1)

となります。

1581年1月0日* のグレゴリオ通日

次に1581年1月0日* のグレゴリオ通日を計算しましょう。

1581 ÷ 100 = 15 … 81
1581 ÷ 400 = 3 … 381

ユリウス通日と同様まず4で割り切れる 395日を閏日として加えます。そのうち100で割り切れる15日を取り消しますが、さらに400で割り切れる3日が閏日として復活します。したがってグレゴリオ通日は

365×1581 + 395 – 15 + 3 = 577,448 (日)                      (2)

となります。  

グレゴリオ暦1年1月1日をユリウス暦に変換すると…

グレゴリオ暦〕で述べたように、ユリウス暦をグレゴリオ暦に切り替えるために、1582年は、1年の長さを10日削りました。具体的には、10月4日の次の日を10月15日としたのです。日付に次のような記号を割り振りましょう。

a: 1年1月1日
b: 1582年1月0日
c: 1582年10月4日、
d: 1年1月1日
e: 1582年1月0日
f: 1582年10月14日

アスタリスク(*) がついているのがグレゴリオ暦で、ついてないのがユリウス暦です。上で述べたように、c と f は同じ日としました。また、[x~y] で x から y までの日数を表すと、(1) と (2) より

[a~b] = 577,460
[d~e] = 577,448

また、[e~f] と [b~c] の差は 10 です(1582年は1年の長さが10日削られました)。

ユリウス日

[a~b] は [d~e] より12日長く、[b~c] は [e~f] より10日短いのですから、[a~c] は [d~f] より2日長くなります。したがって、

グレゴリオ暦の1年1月1日は、ユリウス暦(西暦)の1年1月3日

となります。

1581年の改暦のとき、ユリウス暦を太陽の運行に忠実なグレゴリオ暦に変えたはずです。ではなぜ、(1) と (2) の差が12日なのに10日しか削除しなかったのでしょうか? 1582年より前に、ユリウス暦の春分の日を太陽の運行に合わせたのは、西暦325年のニカイア会議においてでした。したがって、通日の起点をこの日とすれば、両者の差は10日となったのです。しかし、西暦1年を起点としたため、ユリウス通日とグレゴリオ通日の差は、325年のニカイア会議までに2日ずれたのです。

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ユリウス日の計算

これでやっとユリウス日の計算方法を述べることができます。紀元前4713年1月1日から紀元前1年12月31日までの日数を計算しましょう。

4713 ÷ 4 = 1178 … 1,   閏年 1178回
よって  4713 × 365 + 1178 = 1,721,423

ユリウス日はこの日を起点とした通日ですから、次のようになります。

1582年10月4日以前のとき
ユリウス日=ユリウス通日 + 1,721,423        

1582年10月15日以後のとき
ユリウス日=グレゴリオ通日 +2 + 1,721,423

本連載では、紀元前の通日は扱いませんから、ユリウス通日とグレゴリオ通日だけで十分です。上の式の「+2」は、グレゴリオ通日の起点がユリウス通日の起点より2日後だからです。原則として、ユリウス通日は1582年以前、それ以降はグレゴリオ通日を使います。しかし、1582年にグレゴリオ暦が採用されたのは、ヨーロッパでカトリック教会の勢力下にあった地域だけで、グレゴリオ暦が世界中に広まるには長い期間が必要でした。それらを扱う場合はユリウス通日が必要です。英国で採用されたのは1752年になってからのことです。

ガリレオが死んだ年にニュートンが生まれた

ガリレオが死んだ同じ年にニュートンが生まれた」とよくいわれます。これを検証してみましょう。

ガリレオの死亡日:1642年1月8日   グレゴリオ暦
ニュートンの誕生日:1642年12月25日 ユリウス暦

ガリレオが亡くなったイタリアでは1642年にはグレゴリオ暦が採用されていました。一方、ニュートン誕生の地英国では当時はまだユリウス暦が使用されていました。
ニュートンが誕生した日をユリウス暦からグレゴリオ暦に変換してみましょう。1642年1月0日のユリウス通日を計算します。

1641 ÷ 4 = 410 … 1  より 365 × 1641 + 410 = 599,375

したがって、1642年12月25日のユリウス通日は、月通日の表より、

599,375 + 334 + 25 = 599,734

となります。つまり、ニュートンは西暦1年1月1日から数え 599,734日目に生まれたことになります。したがって、グレゴリオ通日は(起点が2日あとですから)

599,734 – 2 = 599,732

となります。1643年1月0日のグレゴリオ通日を計算してみます。

1642 ÷ 4 = 410 … 2
1642 ÷ 100 = 16 … 42
1642 ÷ 400 = 4 … 42

したがって

365 × 1642 + 410 – 16 + 4 = 599,728

となります。すると、ニュートンの誕生日の通日 599,732日が、1643年1月0日の通日 599,728 を越えるので、ニュートンは1643年に生まれたことになります。599,732 – 599,728= 4 ですから、ニュートンの誕生日は、グレゴリオ暦では1643年1月4日となります。


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