第19回 序数詞と日本の暦

『暦の起源』は全22記事からなるWeb連載です。

日本では昔から数を表す記数法として、漢数字 一、二、…、十、百、… を使ってきましたが、これ以外にもいろいろな記数法があります。これらは皆中国から伝わったものです。数を表す基本的な用法には、個数を表す基数詞と順番を表す序数詞とがあります。古代ではどこの国でも、これら2つの用法は別々の言葉が用いられていました。英語では今でも、基数詞は one, two, three, … と、序数詞は first, second, third,… と使い分けています。今回のお話では日本の暦に関わる序数詞を紹介しましょう。

五行

世界を構成する5つの元素

中国ではオリエントと同様、天文学(占星術)が発達していて、これから述べる序数詞も天文学からきているようです。5つの惑星を「五星」、これに月と太陽を加えたものを「七(せい)」(「政治に必要な七つのもの」の意)と呼んでいます。また、春秋(しゅんじゅう)戦国時代の哲学者鄒衍(すうえん)は、この世界は

(もく)()()(ごん)(すい)

5つの元素(原素)からできているという説を唱えました。序数詞ですから、順番はこのように決まっています。

木は燃えて火となり、
火の灰は土となり、
土は固まって金が生じ、
冷えた金の表面に水が生じ、
水から木が生じる

のちに、これが「五星」に結びつけられますが、もともとの惑星の名前はこれではなく、

木星は(さい)(せい)
火星は熒惑(けいこく)
土星は鎮星(ちんせい)
金星は太白(たいはく)
水星は辰星(しんせい)

と呼ばれていました。  

五行と四季

五行はいろいろなものに割り当てられましたが、四季には次のように割り当てられました。

五行

春、夏、秋、冬は、木、火、金、水を割り当てます。さらにこの4つのそれぞれから 1/5 を切り取り、土を割り当てました。立春の前の18日を冬の土用、立夏の前の18日を春の土用、立秋の前の18日を夏の土用、立冬の前の18日を秋の土用と呼びます。土用とは、「土の作用がもっとも強い時期」を意味し、現在の日本ではふつう夏の土用を指します。

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陰陽説(いんようせつ))

世界を構成する神羅万象は、相反する2種類の“気”である“”と“”に分けられるとする思想を陰陽説といいます。これはオリエントの哲学における「二元論」、あるいはコンピュータ・サイエンスにおける「二値論理」に通じるものがあります。

“気”とは何かという説明は難しいのですが、「元気(げんき)」や「(いき)」の“き”のことで、神羅万象の根本という意味のようです。「けがれる」のもともとの意味は「気が枯れる」という意味のようです。陰陽説では、多くの概念を次のように2つの対立する概念に分けます。ヨーロッパの「二元論」と違って、陽は「善で上位のもの」、陰は「悪で下位のもの」といった明確な価値基準は持っていないようです。()

十干(じっかん)

甲・乙・丙・丁…

十干とは次の10個の文字のことです。

甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、申、辛、壬、葵

十干は、この文字の代わりに上で述べた五行陰陽を組み合わせて次のように表すことがあります。バビロニアの60進数は 6・10進数と見ることができます。Web連載〔バビロニアの数 – 4. バビロニアの60進法〕参照。これと同様に、5行は5(と、陰陽は2(ですから、組み合わせると10(ができます。

序数詞:十干

“陽”は“兄”、“陰”は“弟”になぞらえます。たとえば“甲”は“()()”、“乙”は“()()”、丙は“()()”、… と読まれたり書かれたりします。「えと(兄弟(えと))」とは本来この意味の十干(じっかん)のことですが、日本では以下で述べる十二支(じゅうにし)のことを干支(えと)と呼んでいます。

陰陽五行説

五行説」は、5つの星のそれぞれにはそれぞれの“気”があり、それが勢いをもったり衰えたりし、それによって世界が影響を受ける、という説です。また「陰陽説」は、この世の中のものはすべて陰と陽の2つに分けられるという説で、これを五行説に割り当てて判断するのが、中国の形而上学である「陰陽五行説」です。これらは当然“暦”に取り入れられます。  

中国では10の単位を「(じゅん)」と呼び、これに十干を割り当てていました。1ヵ月は、上旬、中旬、下旬と3つに分けられます。旬年とは10年のこと、旬月とは10ヵ月のことです。

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十二支

これまで世界で使用されてきたおもな序数詞は、2進、5進、10進、12進、60進です。これらは古代の日本にも存在していました。2進は陰陽、5進は五行、10進は十干です。12進としては、十二支(じゅうにし)と呼ばれる次の12個の文字があります。

十二支は、もともとは1年12ヵ月を数えるために作られたもので、すでに(いん)代の甲骨(こうこつ)文字にも刻まれて残されています。正月(1月)が“子”、2月が“丑”、…、12月が“亥”でした。しかし漢代になると、1日を12等分した時刻や、12の方位を表す名前としても用いられるようになります。また秦のころから、十二支は動物説話と結びつきます。日本では十二支を“干支(えと)”と呼んで、12種類の動物を表すようになりました。

六十干支(ろくじっかんし)

十二支は十干と組み合わされ、60の序数詞を表します。これも、次の表のような呼び方と、大和言葉があります。

序数詞:六十干支

現在でも、甲子園、庚申塚、壬申の乱など表19-3のような訓読みもありますが、暦などでは表19-1と表19-2のような大和言葉が用いられます。たとえば甲子は、「(きの)()()」、乙丑は「(きの)()(うし)」と、弟の場合は“の”を入れ、兄の場合は入れずに読みます。

次回の連載、「土用の丑の日」の計算
では、干支に関する数理について解説します。「2030年の夏の土用の丑の日は何月何日か」「壬申の乱は西暦何年か」などを計算してみましょう。お楽しみに!


バビロニアの60進法とは?

シュメール人が発明した位取り方式という記数法は非常に画期的なものでした。現在私たちが時間や角度を表すのに使っている60進数はバビロニアから伝わったものです。60進数という記数法はどのようにして生まれたのでしょうか。詳しく知りたい方は以下の記事をぜひご一読ください!
Web連載『バビロニアの数』4. バビロニアの60進法▼

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