第15回 日本の暦:季節を表す二十四節気

『暦の起源』は全22記事からなるWeb連載です。

時代小説とかコミックを読むと、時刻や季節の記述が出てきます。日本では時刻や季節をどのように扱ってきたのでしょうか。今回のお話では日本の暦法時刻法について詳しく見てみましょう。太陰暦に季節を反映させるために取り入れられた二十四節気とはどのようなものだったのでしょうか。

日本の時刻

十二辰刻制から定時制へ

明治5年明治政府は、新しい暦法を布告した同じ日に、時刻法を従来の1日十二辰刻しんこくから、1日24時間の定時制に切り替えることを布告しました。ここでまず用語の説明をしておきます。“辰”という漢字は“時”という意味を持っていて、“辰刻しんこく”とは“時刻”のことです。“定時制”とは“絶対時間”をあらわし、“不定時制”は季節によって長さが変化する時法です。以下暦法や時法や記数法において「日本では」と書きますが、これらのほとんどは中国からきたものです。

暦に用いられる12進法:十二支

日本の記数法10進法12進法の両方が使われます。ここでは暦に用いられた12進法の十二支について説明しましょう。十二支(じゅうにし)はもともと中国の(いん)の時代に、1年12ヵ月を表すために作られたもので、占いに用いられた甲骨文字にも刻まれています。

十二支

()月は1月、丑月は2月、…、()月は12月と順に割り当てられていました。しかし、漢代以降は、立春に近い寅月が年の始めの1月となっています。日本も旧暦では寅月が正月でした。漢代になると、十二支は1日を12等分した時刻方位の呼び名としても、またを数えるのにも使われるようになります。まず方位から見てみましょう。

方位の表し方

方位は360度を12等分し、北を「子」、北北東を「丑」、東北東を「寅」、東を「卯」、…    と順に十二支を割り当てました。北極星を「()の星」と呼ぶのはこのためです。真北(())と天頂と真南((うま))を結ぶ大円を子午線といい、真東(())と天頂と真西((とり))を結ぶ大円を卯酉線(ぼうゆうせん)といいます。北東は北北東の「丑」と東北東の「寅」の中間にあるので「うしとら」といい、漢字で(うしとら)と書きます。「うしとら」は、(つの)をもつ牛と牙をもつ虎が合体した想像上に生き物で「鬼」とされています。北東を「鬼門」と呼ぶのはこのためです。京都の御所の鬼門は比叡山延暦寺、江戸城の鬼門は上野東照宮、江戸の鬼門は日光東照宮です。北東の鬼門の反対側に位置するのは鬼退治の桃太郎の家来の(さる)(とり)(いぬ)です。南東、南西、北西をそれぞれ「巽(たつみ)」、「坤(ひつじさる)」、「乾(いぬい)」といいます。

時刻法

日本の時刻法は、オリエントと同様本来は定時制だったようです。定時制であることが確認できるのは平安時代、醍醐天皇の命によって書かれた『延喜式』の規則から分かります(927年頃)。それによると、宮殿の諸門を開平する時刻が記されているのですが、その時刻は季節によって異なります。これは季節によって、日の出と日の入りの時刻が異なるためで、これより定時制が採られていたことが分かります。

一般に暦は天文学者が定めていたので、定時制でしたが、民衆は日の出と日の入りを基準とした不定時制の方がなじみやすかったのでしょう。室町時代の文献は、定時制と不定時制が混在し、だいぶ混乱していたようです。暦書が不定時法になったのは意外に新しく天保暦(1884)からのようですが、一般には江戸時代には不定時制となっていたようです。現代の私たちにとっては定時制の方が理解しやすいので定時制で説明します。現代の時間は24時間制で示します。したがって、0時=24時は真夜中、12時はお昼です。十二辰刻(しんこく)制は、1日を12刻に分けます。したがって(定時制では) 1(こく)=2時間となります(不定時制では1刻の長さは季節によって変化します)。()

時刻法

注意しなければならないのは、たとえば「()の刻」は0時という時点を示すのではなく、23時から1時までといった区間を表すことです。1刻は2時間と長いので、4つに分けて順に、一つ、二つ、三つ、四つと呼びました。たとえば「(うし)の刻」は、1時から3時までの区間を示します。怪談なのでよく出てくる「(うし)三つ(どき)」は、2時から2時半までの区間を表します。「正」という漢字は、“真ん中”とか“ちょうど”という意味も持ちます。「正午」は12時、「正子(しょうし)」は0時という時点を示します。

時の鐘

ヨーロッパでは教会の鐘が時を告げましたが、日本でもお寺の鐘が時を告げていました。「時の鐘」は、宮廷の行事として『延喜式』で定められていたようですが、江戸城内にも時計の係がいて、城中行事の時間を鐘や太鼓で示していました。江戸開府の頃、城門の開閉を示す合図として、明け六つ、暮れ六つの2回鐘が突かれました。なぜ「六つ」なのかよく分かりませんが、「明け六つ」は現在の「午前6時」、「暮れ六つ」は「午後6時」に対応しています。ヨーロッパの影響かもしれません。2代将軍秀忠の時代から、一刻おきに鐘を突くようになりました。鐘の数は、九つから順に減っていき四つまで、となります。一つとか二つでは聞き漏らすことがあるからでしょう。九つから始めたのは「六つ」に合わせるためだと思います。

この「時の鐘」のせいかどうか分かりませんが、十二辰刻(しんこく)制はよく混乱を招きました。鐘が九つ鳴るのを聞くと、人びとは「午の刻」が始まったと思うようになります。実際は「午の刻」は11時から13時までの区間を表すもので、「九つ」はその区間の真中の「正午」を表すものだったのですが、半刻=1時間ズレて考える人が出てきます。

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二十四節気とは

季節を反映させる二十四節気

日本の暦はバビロニアと同じ太陰太陽暦でした。太陰暦はそのままでは季節が反映されません。バビロニア人は星座12宮を導入することによって太陽暦の利点を取り入れました。太陽がおひつじ座にいるときが“第1月”、うお座にいるときは“第2月”、… です。穴が開いたら閏月を挿入します。このように補正すると、第X月は季節を反映します。中国ではこれに当たるものとして二十四節気を考えました。月の名前に節気を与えることによって、月に季節を持たせることができるようになったのです。太陰暦が太陰太陽暦に変身したのです。

まず次に示す表1 の二十四節気の表について説明をしておきましょう。旧暦の一月には立春雨水という名前が付けられます。立春は「春の始まり」を意味し、現行の2月4日頃です。しかし旧暦では前後15日ほどの誤差を伴います。つまり、「旧暦一月の始めを示す立春」は、現行の1月21日~2月19日のどこかにきます。旧暦一月の“なかび”である雨水についても同様です。

二十四節気

二十四節気の節気と中気

二十四節気を節気中気の二つに分けます。図1 で線分 a1a’ は1年(1太陽年)です。

二十四節気:節気と中気

上で述べたように、殷の時代、年の始め a1 は冬至で、第1月は「()月」でしたが、漢の時代になると第3月の「(とら)月」が月の始めとなります。日本でも同様なので、起点となる a1 は冬至点ではなく立春として議論しますが、理論としては起点はなんでもかまいません。a1, a2, …, a12節気といい、次からなります。

a1:立春、a2:啓蟄(けいちつ)、 …、a12:小寒(しょうかん)

また、b1, b2, …, b12中気といい次からなります。

b1:雨水(うすい)、b2:春分、 …、b2:大寒(たいかん)

節気と中気の完全なリストは上で示した表1を見てください。

1年を分割する方法:恒気法

1年を24に分割する方法は2通りありました。最初に述べるのは恒気法といい、1年(太陽年)を24等分する方法です。

365.2422 ÷ 24 = 15.218 (日)

ですから、

a1 = 0, b1 =15.218, a2 =2×15.218, b2 =3×15.218, …

となります。図1 の長さ1年の線分 a1a’ を長さ1朔望月=29.53059 の線分で埋めていきます。最初の線分に「1月」という名前を付けます。1年の線分 a1a’ の左端には前年度の「12月」の一部が残っていることがあります。この部分には b1=雨水 は含まれていないとします。「1月」はこれに続けて置きます。

図2 では a1 を含みますが、図3 では含みません。次からは直前の線分に続けて置き、次の規則で線分に名前を付けます。

(規則) 中気 bn を含めば「n月」とする。

したがって、「1月」の次は「2月」、「2月」の次は「3月」、… となります。しかし、線分の長さ(=1朔望月)は、1年の長さの12分の1より短いので、図4のように中気を含まないものが現れることがあります。そのときは次の規則で月名を付けます。

(規則) 中気を含まないとき。直前の月名が「n月」なら「閏n月」とする。

このようにしてつけられた月名が旧暦の月名となります。長年この方法で閏月を挿入すると、19年で7回の閏月が挿入されることになります。このように線分を置いていくと、最後の線分「12月」は次の年にかかることがありますが、「12月」は b12 を含んでいますので、次の年にかかった部分には b1 が含まれることはありません。

上の議論では1朔望月は小数付きの数ですが、実際には小の月か大の月で埋めなくてはなりません。また節気 an や中気 bn も小数付きの数です。議論は煩雑になりますが、これらを整数で置き換えて議論することができます。

1年を分割する方法:定気法

おおざっぱに見ると恒気法でもいいのですが、正確ではありません。〔 6. メトン周期 〕でも述べましたが、1朔望月=29.53059 は平均値であって、季節によって異なるのです。これは地球の公転軌道が円ではなく楕円であって、地球が太陽に近いとき(近年は1月2日ごろ)は1朔望月が短く、遠いとき(近年は7月6日ごろ)は長いからです。図1 で a1a’ は1年の長さ(日数)でしたが、a1a’ を日数ではなく黄道360度とし、これを24等分したものを a1, b1, …, a12 とします。この方法を定気法といいます。

月の名の与え方は上で述べた恒気法と同じです。ただし図1 において a1, b1, a2, … は日数ではなく黄経となります。黄経とは現在太陽が天球のどの位置にあるかを示す座標です。春分の日が黄経0°、夏至90°、秋分180°、冬至270°です。古代の天文学者は、星座や月の観察から現在太陽がどの星座にいるかが分かります。したがって、黄経を把握していて、上で述べた方法で月名を割り当てることができ、太陰太陽暦を構成することができました。現暦日は、現行のグレゴリオ暦の日にちで、1~2日の誤差があります。月名は旧暦の月名で、現暦日は始まる日を示します。たとえば、「1月節が2月4日」とあるのは、旧暦の1月は、現行の2月4日の15日前から15日後から始まることを示します。「1月中 2月19日」は、旧暦の1月の“なかび”は2月19日の前後15日以内に始まることを意味します。

 

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