第10回 古代の時間
現在の日本の社会は、正確な時間どおりのスケジュールで動いています。学校や会社やお店の始まる時間や終わる時間はしっかり決まっていますし、日本の交通機関ほど時間に正確なところは世界でも珍しいようです。しかしほんの200年前、江戸時代には時計などなく、お寺の鐘でのんびりと暮らしていたようです。夏は日が短く冬は長かったので、夏と冬では時間の進み方が違いました。これを季節時間といい、現在のように季節にかかわらず一定の間隔で刻まれる時間を「定時制」といいます。少し古い歴史では、古代はみな季節時間で、メソポタミアやエジプトも季節時間だと考えられていました。しかし、一般の人たちは時間で生活していましたが、天文学者は定時制を認識していたようです。今回は「古代の時間」について詳しく見てみましょう。
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古代バビロニアの時間
時計としての星座
〔2.星座は暦で時計だった〕で、古代メソポタミアでは、星座が暦であったと述べました。ここでは星座が時計でもあったことを述べます。説明のために星座の名前を付け換えます。おひつじ座を1月座、おうし座を2月座、… と反時計回りに12月座まで名前を付けます。皆さんは今バビロニア時代にいると思ってください。したがって春分の日が年始の1月です。太陽が1月座にいるときが1月で、2月座にいるときが2月です。このようにすれば今が何月かすぐに分かります。星座は太陽と共に行動しますからその月にはその月の星座は見ることはできませんが、たとえば太陽が1月座と共に西の地平線に沈むと、東の空から7月座が現れるので現在が1月だと分かります。1月では、7月座の位置で夜の時間を知ることができます。たとえば7月座が真南に来たときは夜の0時です。星々は東から西に1時間で30度移動しますから、これで夜の時間が測れます。
月の観察 – 現在は何月か?
さらに月を観察すれば、月の満ち欠けの形より太陽の位置が分かります。たとえば満月の時は、太陽は地球をはさんで真後ろにあり、朔月の時、月は太陽と同じ位置にあり、その他の場合も同様に太陽の位置が分かります。たとえば満月が2月座にあれば、太陽は8月座にあり、現在8月です。このようにして天体の知識が増えると、もはや日没のときに東の空に現れる星座を観測しなくても、暦と月の形と月が現在どの星座にいるかが分かれば、現在が何月であるか分かるのです。
立てた棒の影の長さとか、日の出の位置で1年の長さを正確に計測するのはなかなか困難です。しかし、月がどの星座にあるかは、ゆっくりと時間をかけて計測することができます。このように、知識が増えれば計測方法も増え、計測結果もさらに正確なものになります。
バビロニアの1日
いま述べたように、1年や1ヵ月の時間が、太陽や月の運行で正確に刻まれるなら、1日の時間の経過も同様だと気がつきます。実際、バビロニアの時間の単位はベールーとゲシュで、
1日 = 12ベールー、
1ベールー = 30ゲシュ
と定められていました。したがって、
1日= 12×30ゲシュ = 360ゲシュ
となります。私たちの単位では 1日=24時間 = 1440分 ですから、1ベール=2時間、1ゲシュ=4分 となります。星々は1日に天球を1回転、つまり 360度回転します。したがって、1度動くのに 1ゲシュ(=4分)となります。星々は私たちが持っている時計と同じ機能を持っていたのです。円も時間と同様、12ベールー = 360ゲシュに分けられていました。この単位はシュメールの時代から使われていました。私たちが使っている円一周 360度という角度の単位もシュメールから伝わったものなのです。
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古代エジプトの時間
古代エジプトの1年
次に古代エジプトを見てみましょう。エジプトでは1年を365日と見なし、365 を 360 と 5 に分けました。「1年は360日」というのが基本で 5日はおまけです。エジプトでは 10 が基本で、10を「デカン」といいます。バビロニアでは黄道を12に分割しましたが、エジプトでは36に分割しました。すなわち、1年を36デカンとし、3デカン=30日 を1ヵ月としたのです。したがって、1年は12ヵ月、1ヵ月は、上旬、中旬、下旬と3つのデカンに分けられます。とても合理的にできています。ちなみに日本(中国)でも1ヵ月を3つに分け、上旬、中旬、下旬と呼んでいます。
エジプト人は、36に分割した黄道に36の星座を設定しました。太陽は10日ごとに1デカン、次の星座に進みます。朝夜明け前に東の空に現れる星座を見ると、現在太陽がどの星座にいるか分かります。
古代エジプトの1日
1日も36デカンに分けられました。すると昼と夜はそれぞれ18デカンとなりますが、昼間と夜明け前と夕暮れ時は、明るくて星が見えません。特に重要なのはシリウスの旦出のある夏です。夏は昼が短く、およそ1日の3分の1、12デカンです。そこで夜を12時間としたのです。残りは昼ですが、夜と昼とで時間数が異なるのは一般民衆には不便だということで、昼も12時間、合計1日24時間としたのです。
古代中国の時間
古代中国の黄道の分け方
次に中国をみてみましょう。天球における月の通り道を白道といいます。月の公転軌道と地球の公転軌道は5度ほどの差しかありませんから、白道も黄道もほぼ同じものとみてかまいません。バビロニアでは黄道を12に、エジプトでは36に分割しましたが、中国では28に分割しました。これは1恒星月が 27.3日であることからきています。28宮としたのは、4等分できるからだと思います。28個の星座に、1日座、2日座、…、28日座と名前をつけたとします。この名前は説明のための名前でここだけのものです。あるとき、月が1日座にあったとそします。1恒星月は小数部を持ちますから、1日座の真中にあるか端にあるかは決まっていません。次の日は2日座、その次は3日座、と毎日1星座ずつ進み、27日座か28日座の後に1日座に戻ってきます。戻ってきた時の月の形と出発したときの月の形は約2日分だけ違います。たとえば十五夜で出発したとすると、戻ってきた時は十三夜となります。1日座にいるときの月の形を見れば、現在が1年のどのあたりにいるかが分かります。
推算歴
バビロニアもエジプトも中国も黄道を分割する数が違うだけで本質的には同じです。その日の日の出、日の入り、月の出、月の入り、月の形を記載した暦を推算暦といいます。古代の人は観測した結果を推算暦として記録していました。この推算暦があれば、現在の月と星座を観測すれば、現在の日付だけでなく時間まで分かったのです。実際、バビロニア人は日食の日時を、日にちだけでなく時間まで正確に予測していたようなのです。もちろんバビロニア人は正確な時計など持っていません。機械時計よりも正確な星時計があったのです。
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星時計以外の古代の時計
日時計・影時計
古代には「星時計」のほかに「日時計」、「影時計」、「水時計」がありました。日時計は、真っすぐに立てた棒の影と東西に引いた線との成す角度によって時間を計ります。影時計はL字型をした棒で、L字の短い方を太陽に向けて立て、長い方を水平にして、できた影の長さで時間を計ります。長いほうには目盛りが書かれていて、日の出から真昼までが6分割されていています。真昼から日の入りまでは同じ目盛りが使われます。季節によって1時間の長さが違いますから、季節によって異なる目盛りが刻まれています。日の出からの1時間と、日の入り前の1時間からは、影の長さが長すぎて測ることができません。影時計は持ち運び可能で、日時計と違って東西の方向が分からなくても、短い方を太陽に向ければ時間を計ることができます。
ギリシアへの伝播
ギリシアの歴史家ヘロドトス※は「ギリシア人は日時計(ポロス)と、影時計(グノモン)と、また1日の12分法をバビロニア人から学だ」と述べています。しかし、ヘロドトスがエジプトやバビロニアに訪れたときは、すでに両文化は混じり合っており、どちらから伝わったかはっきり分かりません。エジプトは、昼12時間、夜12時間で1日24時間です。一方バビロニアは、1日を通して12時間です。これから見るとギリシア人は時間をエジプトから学んだように見えますが、古代ギリシアでは時間があるのは昼間だけで夜には時間がなかったようなので、同時代に生きたヘロドトスが言うようにバビロニアから伝わったのかもしれません。
水時計
エジプトの出土品の中に「クレプシュドラ」と呼ばれる水時計があります。これは小さな穴の開いた壺で、流れ出る水の量で時間を表します。夏用の目盛り、冬用の目盛りと季節によって目盛りが使い分けされています。ギリシアでも水時計は使われていました。
星時計
星時計に関しては、出土品の中に「メレケト」と呼ばれるナツメヤシの茎から作られた棒状のものがあります。これは簡単な子午儀のようなもので、これを使って夜間に天体を観測し、時刻を測定したのではないかと考えられています。また第20王朝(前1150年頃)の墳墓の装飾の中には、24枚の星空の図表があります。ひと月2枚、24枚で1年間の星の動きが示されています。この図表を使えば、星の位置から現在の時刻を知ることができ、あるいはこれとは逆に日時から星の位置を知ることもできます。また、壁画には、北天の星空を背景に助手と観測者が向かい合って座っている絵が描かれています。これは、北天の特定の星が、助手の背後で周回移動するようすを、腕、肩、耳、頭と記録していき、時刻を計測していたと考えられています。これらの“星時計”は季節時間ではなく「定時制」です。
天文学と占星術
絶対的時間
この記事の始めで、季節によらない“時間”を「定時制」と呼びました。科学的な観点からいうと「絶対的時間」といった方がいいかもしれません。絶対的時間とは、季節などのいかなる条件下においても、時間は常に一定の速度で進む、という概念です。ここでは時間をそれほど厳密に捉えているわけではありませんが歴史ではなく天文学の話となるので“絶対的”という用語を使うことにします。
ホロスコープ- 占う対象の変化
バビロニアで天文学が発達したのは占星術のためです。バビロニアの占星術は国家の命運を占うものでした。ヘレニズム時代になると、占星術は国家から個人の運命を占うものへと変わってきます。個人の運命の場合、その人が“どのような星の下で生まれたか”が問題となります。つまり、生まれた年だけでなく、生まれたときに頭上で輝く星が問題となります。星占いは英語でHoroscope ホロスコープといいますが、このhoro は英語の hour の語源であるギリシア語の hora からきているのです。つまり英語の hour(時間)はバビロニアの天文学と関係があるのです。
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