暦の起源 ・ 全22回

第8回 太陰暦と太陽暦の起源|バビロニアからイスラム世界への暦の継承

やさしい 天文・暦
第8回 太陰暦と太陽暦の起源|バビロニアからイスラム世界への暦の継承

本連載ではこれまでメソポタミア、古代エジプト、古代ローマ、古代ギリシアの暦について述べてきました。しかしオリエントにはまだまだ多くの国が存在していました。地理は2次元で、歴史はさらに時間軸の1次元が加わります。それに対し文章は1次元で、ある国に対し時間軸に沿って述べているとき他の国については触れることができません。専門外のものにとって、ただでさえ多くの国や民族が出てきてうんざりするのに、複雑な国際関係が絡み合うともうお手上げです。ここではオリエントの歴史の中でに関することだけかぎり、ごく簡単に説明することにします。

オリエントの歴史

バビロンの捕囚

ギリシアが発展を始めようとしているとき、メソポタミアではアッシリアが大国に成長し、一時バビロニアを支配しますがやがて衰退していきます。バビロニアでは新バビロニア王朝が興ります。新バビロニアはアッシリアと同じ帝国主義でした。東地中海沿岸の諸王国を情け容赦なく蹂躙(じゅうりん)し、エルサレムを陥落させ、ユダ王とその妃と共に数千人のユダヤ人をバビロンに連行します。これが悪名高き「バビロンの捕囚」です。

しかし強制移住といってもアッシリアと違って、民族を分断し混交(こんこう)させることまではしませんでした。そのためにユダの人びとはバビロンに行ってもイスラエルの神ヤハウェへの信仰を持ち続けることができました。

ペルシアの台頭

アッシリアや新バビロニアが覇権をかけて争っているとき、メソポタミアの西方ではペルシア(アケメネス朝)が台頭してきました。ペルシア人は印欧語族で、古くからイラン高原に定住していたのですが、ギリシアが活躍を始めるのと同じころ(紀元前8世紀ごろ)歴史に姿を現します。新バビロニア王朝の繁栄は100年ともちませんでした。東方で勢力をのばし大国となったペルシアに征服されてしまったのです。紀元前539年ペルシア王キュロスが征服者としてバビロンに入城してきたとき、市民は歓声をあげてキュロスを迎えたといいます。

アレクサンダー大王の遠征、そしてヘレニズム時代へ

あっという間に歴史は進みます。オリエント一帯を征服したペルシアも、新興国家マケドニアのアレクサンダー大王に世界帝国の座をひき渡します。これ以降時代はヘレニズム時代に入ります。エジプトでは、アレクサンダーの将軍の一人であったプトレマイオスがエジプトのファラオとなりエジプト王朝を引き継ぎます。首都アレクサンドリアは、オリエント随一の文化と交易の中心地となります。さらに歴史は進み、紀元前30年、エジプトはローマの属州となります。

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