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Introduction

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新連載『バビロニアの数』公開中です!

皆さんはバビロニアという国をご存知でしょうか。むかし南メソポタミア地方に栄えた国で、今はありませんから知らない人も多いでしょう。皆さんにとっては、バビロニア文明というよりはメソポタミア文明と呼んだ方が通りがよいかもしれません。メソポタミアとは、ギリシア語に由来する語で「 2つの河川の間の土地 」を意味します。この2つの川とはチグリス 川とユーフラテス川のことで、現在のイラク共和国を中心とする地域がかつての古代メソポタミアの領域です。

メソポタミアの南部をバビロニア、北部をアッシリアといいます。バビロニアの中でも最南部のチグリス •ユーフラテス川下流地域をシュメール地方と呼んでいます。ここに、メソポタミアの最初の文明がシュメール人によって築かれました。その後この文明はバビロニア地方を越えて西アジア全域に伝播していき、メソポタミア文明となります。

本連載で述べる数学もシュメール人が始めたもので、シュメール人が消滅した後も、アッカド人に引き継がれ、その後王朝がたびたび変わりましたが、文化は継承され2千年以上も存続します。こうしたことから、バビロンという古代都市を中心に発達した数学のことを「バビロニア数学」と呼んでいるのです。

バビロニアの数:メソポタミア地図

バビロニアはその後カルデアと呼ばれたこともあり、古代ギリシア人や中世以降のヨーロッパ人にとって、カルデア人とは天文学者の代名詞となっていました。当時は、天文学者とは占星術師でもあり、数学者でもあったのです。また占星術は怪しげなまやかしの学問ではなく、医者にとっては治療や手術の日を決めるまっとうな学問でした。病気の原因が細菌やウィルスによることが分かったのは最近(19世紀)になってからのことで、病気は悪魔の仕業しわざだったのです。

中世のヨーロッパには、その昔バビロニア(カルデア)地方に高度な文明が発達していたという伝承が伝わっていて、カルデア人は学者として尊敬されていました。フェルメールの絵にも「天文学者」という題の絵があり、背景には12宮の星座が描かれた天球儀があります。しかしヨーロッパが大航海時代に入り、科学が発展してくると、アジアの評価はだんだん下落していきます。またバビロニア地方もかつての栄光は見る影もなく、荒涼こうりょうたる廃墟と化していました。太古の昔この地に高度な数学や天文学が発展していることが分かったのは、最近になってからのことなのです。

マテマティカWeb連載:古代の数シリーズ『 バビロニアの数 』では、60進数という記数法はどのようにして生まれたのか、バビロニアで行われていた高度な計算とはどのようなものだったのか、などバビロニア数学に焦点を当て詳しく見ていきたいと思います。

『バビロニアの数』第1回は『たばね法です。ぜひご笑覧ください。

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古代の数シリーズ 『数の発明』もチェック!

私たち人類どのようにして“知能”すなわち“考える力”を獲得していったのでしょうか。人類が数の概念を獲得するまでには長い道のりがありました。Web連載『数の発明』では、ヒト属が猿人、原人、新人と進化の道を歩んできた歴史をたどりました。人類は栽培農耕と牧畜という手段を発見すると「知識の集積」による新たな進歩の時代へと入ります。そして人類はついに、文明にとって最も重要な要素の一つである文字を発明するのです。数学が生まれるためには文明という土壌が必要です。バビロニアで数学が発展するための基盤となったメソポタミア文明はどのようにして興ったのでしょうか。
詳しくは 古代の数シリーズ第1章にあたる『数の発明』をぜひお読みください!

目次はこちら▶︎『 数の発明:目次

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