10.シュメールの小石 トークン:数字の発明

本連載の前半では人類の進化の歴史をたどり、ヒト属が猿人、原人、新人と進化の道を歩んできた様子を見ました。人類は栽培農耕と牧畜という新たな生きる手段を発見し、「知識の集積」による新たな進歩の時代へと入ります。進化の歴史は、600万年前から1万年前の旧石器時代の終焉までといった、100万年単位の変化でした。1万年前に農業革命が起こります。〔 詳しくはこちら▶︎ 8.農業革命 〕しかし“革命”といっても1千年単位の変化ですから、現代人の感覚からすると非常に緩やかなものでした。5千年前に都市革命が始まると、変化の加速度は急速に上がります。都市革命こそ文明の始まりでした。

   

今回は、猿人の時代から文明の前夜まで、人類がをどのように扱ってきたかを見てみましょう。猿人の数に対する能力は、チンパンジーとほぼ同じだったのではないかと思われます。つまり猿人も生得的に(生まれながらにして)、10 程度の数の認識はできたと考えられます。

1.数は人間の発明か 〕で述べたように、チンパンジーは、10以上の数を認識できたり、数を記号と対応させたりする能力を持っていますが、これは人間がチンパンジーに教えたもので、生得的な能力ではありません。猿人も「教えれば覚える」能力は(生得的に)持っていたと思われます。猿人とそれに続く原人の数に対する能力は、ほとんど変化を見出すことはできていません。原人が新人に進化し、旧石器時代の終わりになって、新人はすばらしい発明を成し遂げます。それは数字の発明です。

   

数の発明

数字の発明

線刻:旧石器時代の数

ヨーロッパやアフリカの、5万年から3万年前の旧石器時代の遺物の中に奇妙な印のついた獣骨が見つかっています。この骨に刻まれた刻み目は数字ではないかと考えられており、線状の刻み目は線刻と呼ばれています。チェコで見つかったのは3万年前のオオカミの骨で、線刻は5本ずつグループに分けられており、全部で55本の線刻が付いていました。アフリカのイシャンゴで発見された獣骨には、3行にわたって
            9, 19, 21, 11
           19, 17, 13, 11
           7, 5, 5, 10, 8, 4, 6, 3
と刻まれていました。

このことから次のことが推測できます。3万年前の新人は、10進2桁程度の数を認識していた。2桁の数は一人では必要なく、共同体全体がという概念を共有していた。だとすると、少なくとも1桁ぐらいの小さな数を表す言葉は持っていた。

   

言葉の重要性

言語知能と密接な関係を持っています。しかし古代人がどのような言語を使っていたかは、文字が現れるまでは直接的な証拠がなにもありません。はとても抽象的な概念です。幼児教育の専門家は数の体得には「数えあげ」が大切だといいます。私たちは子供の頃から何度も数を数えさせられて数を体得します。線刻は、新人も数え上げをしていたことを示唆します。新人もいきなり2桁の線刻を刻むようになったのではなく、最初は4本とか5本といった小さい数だったに違いありません。

記号だけあってそれを表す言葉がないということは考えられません。言葉ができると概念が形成されます。線刻を5つまとめて「(たば)」とか「五」という概念が作られます。するとたとえば「束が3つ」あるいは「五が3つ」というように、2桁の数 15 を表すことができるようになります。このようにして、記号と言葉は互いに互いを発展させいっしょになって進歩していったのだと思います。2桁の線刻が得られるようになるまでは、何万年もの年月がかかったことでしょう。

そして、最も重要なことは、この線刻という数字を新人の誰かが発明したということです。チンパンジーやオウムは学習する能力は持っていますが、発明とか発見は、人類だけが持つ能力です。

古代人は線刻で日数を記録していた

アフリカのレボンボで発見された獣骨には29本の線刻が刻まれていました。その線刻を顕微鏡で見てみると、1本1本が違った道具で刻まれているようです。つまり、線刻は連続して刻まれたのではなく、1本刻んだ後次の1本が刻まれるまでには時間の間隔があったと考えられます。29本ということから、これは月の満ち欠けを観察し、1ヵ月の日数を数えたものではないかと推測されます。もしそうなら、ものの個数ではなく、日数のような抽象的なものまで数えていたことになります。

線刻という数字を使って数を記録していたという事実は、この頃の新人は、将来を予測し、計画性のある行動をとるだけの知能を持っていたものと思われます。

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トークンとは何か

シュメールの小石

1万年前に農業革命が始まったあと、5千年前に都市革命が始まるまでの間に「数」に関して何が起きたかを見てみましょう。農業革命が起きた肥沃な三日月地帯の各地の遺跡から、小さな粘土の玉が出土しています。大きさは3~5センチメールで、形は球、円盤、円柱、三角錐、円錐などいろいろなものがあります。形の違いはおそらく数える対象が違うからだと考えられていました。のちにシュメール地方の遺跡の研究が進み、出土したシュメールの小石が実際に計算に使われていたことが明らかになりました。現在これはトークン(計算玉)と呼ばれています。

calculate( 計算する )の語源

古代人が小石とか小枝を使って計算していたであろうことは、「言葉」からも推測されます。「計算する」という意味の英語 calculate は小石を意味するラテン語 calculus から来ています。また、私たちはむかし仏様にお祈りするときには数珠(じゅず)を使っていました。この数珠も、もともとはお祈りの回数を数えるためのものでした。漢字の「算」には「竹」が含まれており、竹の棒(筮竹(ぜいちく))が計算に使われたことを示しています。このような「状況証拠」はいくつかあるのですが古代の確実な「物的証拠」は見つかっていませんでした。なにしろ「文字のない世界」ですから。

   

文字より数字が先

世界最古の文字はシュメールで発明された絵文字だとされています。現時点で最古の絵文字はシュメールの古都ウルクで発見された紀元前3200年頃のもので、ウルク古拙文字と呼ばれています。この絵文字がやがて高度に抽象化され、粘土板に(あし)のペンを押しつけて書く楔形文字に発展していきます。アメリカの考古学者ベゼラは、この絵文字にも前の段階があるのではないかと考えました。彼女は「文字はトークンから発達した」という大胆な仮説を立てたのです。

最初のトークンから数千年の時を経て、シュメールではさらに複雑なトークンが作られるようになりました。壺とかイヌの頭部のような具体的な形をしたものから、表面にいろいろな記号の彫られたものが出てきます。その記号には、円の中に十字が書かれた記号がありました。絵文字から楔形文字の意味が推定されることもありますが、逆に絵文字が抽象的な記号の場合は楔形文字から絵文字の意味が判明することもあります。「ヒツジ」という楔形文字の元の形をたどると、「四角に十字」でした。このことから、「円に十字」の書かれたトークンは「ヒツジ」を表すのではないかと想定されます。これを逆にたどると、

数の発明:楔形文字とトークン


という手順で「ヒツジ」の楔形文字が生まれたことになります。つまり、「ヒツジ」を表す楔形文字は、象形文字としての絵文字由来ではなく、トークンに刻まれた抽象的な記号が変形したものだったのです。

   

ブッラの使い道

トークンと一緒に、中空の10センチメールぐらいの粘土のが出土されています。この球はラテン語で「ブッラ(ふう)(でい))」と呼ばれています。このブッラの中にはトークンが入っていて、ブッラの表面には中に入っているトークンと同じ記号が刻まれています。このブッラはどのような目的で使われたのでしょうか。

次のように想像されています。 あるときシュメール人の誰かがこのトークンを証文として使うことを思いつきます。例えば7匹のヒツジをある人に貸したとします。トークンを入れる粘土の壺を作り、そのなかに7個のヒツジのトークンを入れ、借り手に封印をさせます。この粘土の壺の中のトークンは、壺を割らないかぎり取り出すことができません。借り手はヒツジを返すとき、この壺も一緒に返します。この粘土の壺がブッラです。そのほかにもブッラは、穀物などの輸送の時送り主に輸送物の量や内容を知らせる送り状、あるいは租税の記録、麦の種などの貸し借りの記録などさまざまな経済活動などに用いられたようです。

ヒツジの委託管理

実際に、上で述べた話を裏付(うらづ)けるブッラがヌジという古代都市遺跡から出土しています。そのブッラの表面には「ジカルという人物が49匹のヒツジを管理している」と書かれており、印章が押されてありました。その封泥(ブッラ)の中からは49個のトークンが出てきました。また少し離れた別の場所からは、ヒツジの委託管理を記録した粘土板の文書が見つかっています。その粘土板には家畜群の点検表が書かれていて、そこに押された印章は封泥(ブッラ)に押された印章と同じでした。おそらくジカルは家畜の委託管理をしており、羊飼いにヒツジを渡すとき、ヒツジの個数と同じだけのトークンを封泥に入れ、羊飼いの目の前で封印し羊飼いに渡したものと思われます。こうすれば羊飼いがヒツジを自分のものにすることはできないし、委託管理人の方も多く渡したと言い張ることもできません。

   

「数の概念」を獲得した人類

数という抽象的な概念の醸成

一足飛びに、ブッラの表面に楔形の文章が書かれた時代に飛んでしまいましたが、文字の発明の前の時代に戻りましょう。

農耕が始まると、家畜の数を数えたり収穫した農作物の量を記録したりする必要が生じます。トークンを計算玉として使えば、2桁ぐらいの足し算はできます。村落では共同でヒツジを飼ったり、ムギを育てたりします。その時、誰が何匹のヒツジを所有しているか、誰がどれくらいのムギを収穫したかを記録する必要があります。トークンはこのような数を覚えておくことにも用いられたのでしょう。ヒツジの頭数、ムギの束の数、日数などいろいろなものがトークンで表されることを知って、“数”という抽象的な概念が醸成(じょうせい)されていったのだと思います。

「数える対象」と「数」の分離

数の発明:トークン

上の図が示すように、最初は数えるものごとに違ったトークンが使われていました。やがて、数えるものが違っても同じ小石でいいことに気がつきます。この時点で、数える対象からが分離されます。図式的に表すと次のようになります。

   

数の概念

このときはじめて「人類は数という概念を獲得した」のだと思います。人類が「数」にたどり着くまでには非常に長い年月を要したことでしょう。

次回は、文明にとって最も重要な要素である「文字」について考えます。

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