1.数は人間の発明か

数とは何か。数の実在性を考える

現代の私たちは毎日数に囲まれて生活しています。学校でも、幼稚園のころから数を教えられます。ですから、ほとんどの人は数の実在性を疑ってはいないでしょう。議論を単純化するために、ここでは“数”とは自然数のこと、つまり、1, 2, 3, … といったものの個数に限定することにします。

数学史においてよく話題となるのは、数は人間の頭脳が作り出したものなのか、あるいは人間などいなくてももともと自然界に存在していたものなのか、という問題です。読者の皆さんはなぜこんな問題が話題となるのか不思議に思っているかもしれません。数が実在していることなど当たり前なのですから。「数とは何か」を知るために、まずこの「数の実在性」も考えてみる必要があります。

数の実在性の大きな根拠のひとつは普遍性です。数は時代を越えて、また地域を越えて曖昧さの無い明確な意味を持っています。現在のアメリカ人が “three” といっても平安時代の日本人が“みっつ”といっても同じ自然数の 3 を示します。他の言葉、たとえば“勇気”とか“自由”とか“親切”などと違って、はとても安定した概念で、人によって「解釈の違い」などありません。これは数学のすべての概念についていえることかもしれません。

動物は数を認識しているか

生得的な能力 《 カッコウ・狼・カラスの例 》

は人間だけでなく、動物も持っているといわれています。カッコウという鳥は別の小鳥の巣に自分の卵を産み、その小鳥に自分の子を育てさせます。その時余分な卵が混じっているのがばれないように、その小鳥の巣から卵を一つ蹴落(けお)とします。親鳥は巣に帰ってくると、卵の数を確認します。カッコウの卵と自分の卵との違いは、大きさとか色で分かりそうなものですが、親鳥は数が同じなら安心して育てるそうです。ちょっと間抜けですね。

群れをなして狩をする動物、たとえば(おおかみ)とかライオンは、群れの数を瞬時に認識するようです。例えばある群れが、別群れに遭遇した場合、瞬時にして「どちらの群れが多いか」を判断し、戦うか逃げるかを判断しなければなりません。

数が「同じ」とか「どちらが多いか」は数の認識の最も基本的な性質ですが、カラスになると、もう少しかしこく足し算とか引き算できるようです。次のような観察結果が報告されています。畑の中に小屋があり、その小屋の中に人がいるときはカラスは近づきません。誰もいない小屋に、まず3人が入り、そのあと2人入ります。そのあと4人がその小屋から出てもカラスはその小屋に近づきません。まだ1人残っていることを知っているからです。残りの一人が出ると、はじめてカラスはその小屋に近づきます。

ここで、動物の能力を生得的(せいとくてき)(生まれつき持っている)ものと、生まれてから学習によって得られたものに分けて考えましょう。カッコウとか狼の数認識能力は生得的なもの、つまり遺伝子に書き込まれた情報によるものだと思われます。

カラスは言語を持っていることが観察されていて、関東の言葉と関西の言葉があり、関東で「危険を知らせる鳴き声」を録音して関西で聞かせても反応しないそうです。これは学習によるもののようですが、一般に生得的なものか学習によるものかはなかなか難しい問題のようです。まだ言葉が離せない人間の赤ちゃんで同様な実験がなされたようです。箱の中にボールを3つ入れ、それから2つ取り出します。箱の中を見せると中は空っぽ。ちょっとした手品ですが、赤ちゃんはびっくりするようです。このような足し算ができる動物は限られているようです。「足し算ができるイヌ」などの話をよく聞きますが、イヌは人間の表情や感情を敏感に感じ取っているようです(これはまたイヌの別の能力です)。  

足し算が生得的なものだとすると、遺伝子情報として持っていることになります。足し算のような高級な能力が遺伝子に書き込まれた記号列だけによるなどとは、とても不思議な気がします。“脳”にもコンピュータの“演算回路”のような“思考回路”があり、この設計図が遺伝子の中に書き込まれているのでしょうか。“遺伝”とか“脳”に関してはまだまだ分からないことが多いように思います。

  

学習による能力 《 チンパンジー・オウムの例 》

“数の認識”は生得的なものだけではなく、学習によるものもあります。愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所では、チンパンジーの数の認識能力に関する研究をしています。コンピュータの画面に丸い印が何個か現れるようにし、チンパンジーに何個の丸が現れたかを数字のキーを叩かせることによって数の認識能力を調べます。例えば、画面に7個の丸が現れた場合、“7” のキーを叩けば正解で、餌がもらえます。チンパンジーはこのテストを難なくこなせるようになったといいます。つまり、「 7個の丸が現れた画面と、“7” という抽象的な記号との対応ができる」ということです。また、には順番という重要な概念があります。タッチパネルに複数個の数字が表れるようになっており、その数字を小さい順に叩くというテストもあります。たとえば画面に、7, 2, 5 と現れたなら、2, 5, 7 の順に叩けば正解で、それ以外の順番は間違いです(この記事は少し前のものなので現在はもっと賢くなっているかもしれません)。算用数字 1, 2, 3, …, 9 は人工的な記号です。したがってこの能力は生得的なものではなく、学習によるものだといえます。また、反応の速さより、チンパンジーは個数を“数えている”のではなく、個数と記号との対応を記憶しているように思われます。

チンパンジーだけでなく、オウムも同様の能力を学習することが知られています。あるオウムはとても賢くて、1から7ぐらいの数は覚えるようです。たとえば3個のブロックを見せると “three” と英語の数詞をひしゃげた声で答えるようになったといいます。オウムの場合は、数と記号の対応ではなく、数と言葉との対応です。

「狼の数の認識能力」と「チンパンジーの数の認識能力」は明らかに違います。狼には「7匹の狼の群れ」を “7” という記号で置き換えることはできないと思われます。これは「カッコウとオウムの数の認識能力」についても同様です。オウムは数を言葉で言い表します。つまり、チンパンジーやオウムは、おのおのの数を一つの抽象的な対象として扱っているのです。したがって、より高い“数認識力”と言えます。またこの数認識力は、生得的なものではなく、生まれてから後に学習によって得られたものです。チンパンジーやオウムは、生得的に学習する能力を持っているのです。

   

動物は数を認識しているか

   

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人類はいつ数を使い始めたのか?

線刻による数の記録

私たち人類について考えてみましょう。古代人は言葉を使い始めるとまもなくして、数を使い始めたようです。旧石器時代の遺跡の中から、何本ものキズが刻まれた獣骨が出土しています。おそらく仕留めた獲物の数を記録したのでしょう。古いものはアフリカで発見された3万7千万年前と2万5千万年前の狼やヒヒの骨に刻まれたもの、ヨーロッパで発見された 3万年前の狼の骨などがあります。これらの骨には棒状のキズが付けられており、このキズを線刻(せんこく)といいます。骨の中には、線刻が5つずつ分けられているものがあり、数を表しているということが分かります。5つずつ(たば)ねることを 5 束法 (そくほう) と呼ぶことにします。例えば次は 18 を表しています。

【数の発明】線刻

これらの数は、おそらく仕留めた獲物の数でしょう。旧チェコスロバキアで見つかった狼の骨には5個ずつの束が11個と、2本の余りが刻まれており、これは 57 という10進で2桁の数を表していると考えられます。またある骨には、29本の線刻があるものがありました。これらの線刻は一つ一つが別の道具を使って付けられており、カレンダーではないかと考えられています。石器人は、1日に1本傷を付けると29日で1ヵ月になること、たとえばある満月の夜から29回目の夜にふたたび満月が戻ってくることを知っていたことになります。(1) のような線刻は、原始的な”数字とみることができます。古代人は10進数でだいたい2桁の数が理解できていたようです。

道具としての数

チンパンジーと石器人の認識能力の違いとは?

ここでチンパンジーと石器人の数の認識能力の違いについて考えてみましょう。石器人は数を道具として使いこなしています。また数える対象も、獲物の数などいろいろあったと思われます。もし29本の線刻がカレンダーだとするなら、古代人は 物の個数だけでなく日数といった抽象的なものも数える対象として認識していたことになります。しかし、注目すべきことは、古代人はチンパンジーと違って線刻という数字発明した という事実です。チンパンジーは数を教えられて「学習した」に過ぎません。数える対象も、画面に表示されて記号ぐらいでしょう。チンパンジーは、道具を使うことはできますが、石器などの道具を自分の手で作ることは無理なようです。“数”というのは考えるための道具であり、知能と直結しています。これは“ことば”と同じです。イヌや、チンパンジーやオウムが少しの言葉を理解したからと言って、むこうから人間に話しかけてくるはずはありません。

石器人は線刻という数字を発明することによって、十進数として2桁程度の数字、30とか50ぐらいの数字、は認識できたと思われます。しかし、せいぜいそこまでで、千とか万といった数字は到底考えたこともなかったと思われます。なぜそこで止まってしまったのでしょうか。人間の“進化”がまだそこまで達していなかったからなのでしょうか。

人類の歴史を600万年とすると、獣骨に数を記したのが3万年前、農耕が始まったのが1万年前、文明の始まりが5千年前、さらには最近100年の科学技術の発達は凄まじいものがあります。この変化は加速度的(指数関数的)です。この変化の原因は何でしょうか。人類の“進化”なのでしょうか。

  

進化と進歩

ここで、本連載で用いる進化進歩の意味をはっきりさせておきましょう。 進化は生物学的な(しゅ)としての変化、つまり遺伝子(DNA)の変化 のことを意味することにします。進化は少なくとも数万年単位で起るもので、数千年とか数百年の変化は一般に進化ではありません。また、進化は純粋に遺伝子の変異を意味するものであって、なんの価値基準も入っていません。退化という言葉がありますが、これも生物のある器官が縮小していくことを示すだけで、価値判断は含まないことにします。 進歩は進化以外の変化を意味します。進歩は、価値判断を含み、「よい方向へ変化する」ことを意味します。19世紀、20世紀は「進歩主義」が大勢を占め、「文明は常に進歩する」と考えられていました。またヨーロッパは先進国であり、アジアは非文明国あるいは発展途上国である、とみなされることがありました。

私たち人類の文明が発達したのは、人類600万年の最後の1万年にすぎません。これは進化ではありません。つまり脳が突然変異を起こしたわけではないのです。では、何が起きたのでしょうか。 知能の活動“と密接にかかわっている ように思われます。私たち人間がどのようにして“知能”すなわち“考える力”を獲得していったかをみるために、まず「人類の進化」を見てみましょう。

   

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第2回 私たちはいつ人間になったか

   

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