3.二足歩行の進化とヒトの生存戦略:探求心と社会的変容

『数の発明』は全12記事からなるWeb連載です。

冒険野郎の誕生:好奇心と草原への進出が進化を促した

太古の昔、ヒト族の進化に大きな影響をおよぼすのはいつも気象変動でした。およそ700万年前、海洋の温度は冷え、世界中の大陸の雨量と気温に影響を及ぼしました。それまでアフリカは巨大な森林でおおわれていましたが、森林が後退しところどころ草原が現われまた。草原といっても現在のサバンナのようにどこまでも続く広大な草原ではなく、森林と疎林と草原が入り組んだものでした。この気象悪化は、かえって複雑な生態学的な舞台を創り出し、私たちの祖先である原人を生みだしたのです。原人が類人猿と決別し、独自の進化の道を歩みだしたきっかけとなったのは二足歩行 だと言われています。この二足歩行がヒトにどのような進化を促したかを見てみましょう。以下の進化の見方に関しては、これと違った意見を採る研究者もいます。これについては、本連載の〔6.進化のふしぎ〕で議論します。

ヒトはなぜ二足歩行を始めたのでしょうか。これはヒト族特有の性質なのかもしれませんが、ヒト属にはとんでもない冒険野郎がいるものです。好奇心が旺盛で、森から抜け出し草原を徘徊(はいかい)します。樹上生活は安全なのですが、草原には猛獣がひそんでいてとても危険です。私たちの祖先は、動物を狩る方ではなく狩られる方だったのです。冒険野郎の行動は、個人としてはとても愚かな行動で、多くの命が失われたことでしょう。しかし、こういった行動が種全体を救うことになるのです。

長い年月の間には、たびたび大きな気候変動が襲います。乾燥化が進むと、森林は木がまばらとなり、緑の草原は乾燥した草と灌木でおおわれた荒野と化します。森はやせ細りましたが、荒野には栄養豊富な昆虫や、根菜があります。100万年という長い年月と、二足歩行のおかげで、ヒトの手は足の役割から解放されある程度自由に動くようになっていました。昆虫を捕まえたり、根菜を掘り起こすことができるようになっていたのです。また、二足歩行は長距離の移動も可能にしました。住み慣れた森を捨て、新しい森を見つける旅に出ることもできたのです。

400万年前になると、ヒトは完全に二足歩行できるようになっていたようです。この頃のヒト属を猿人といいます。サバンナには360万年前の3人の足跡が残っていました。2人は大人で、たぶん夫婦でしょう。1人は子供で、大人の足跡を踏んで歩いているようすがうかがえます。火山灰が湿ってセメント上になっていたようで、足跡がついたあとすぐに固まり残ったようです。この発見まで二足歩行は化石の骨からの推測でしたが、足跡は二足歩行を示す具体的な証拠となりました。この足跡が真っすぐ目的地に向かって歩いていることから、すでに猿人が将来の予測計画性を持っていたことが分かります

  

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猿人から原人へ:脳の進化と石器の発展

180万年ほど前に、原人と呼ばれるヒト属が現われます。このあと原人は100万年も存続しますから、そのあいだに進化が進み、初期の原人と最後のほうのものとはずいぶん違ってきているようです。猿人と原人を分けるのは道具の違いですが、340万年前かそれより前、すでに猿人は石と石をぶつけたときにできる切片で切れ端の鋭いものを道具として使っていました。180万年前頃から本格的な石器であるハンド・アックス握斧(にぎりおの))と呼ばれる打製石器が使われ始めます。これは何度も石を割って涙型に加工し、刃と握り部とを持った石器に成形したものです。この新しい石器の出現は、猿人から原人への移行を示しています。脳や体の進化と石器などの道具類の進歩とはお互いに強い関連があると研究者は見ています。細かい手作業を必要とする石器の製作は脳を刺激して脳の容積を増大させます。大きくなった脳はさらに精巧な石器を生み出します。しかし石器など道具の進歩も緩慢で、10万年単位の変化などはとても分からないといいます。

   

原人の生存戦略:打製石器と知恵の道

原人は猿人と比べはるかに大きな身体と脳を持ち、打製石器を使いサバンナで狩猟生活をしていました。原人はどのような戦略で生き抜いてきたのでしょうか。ここでいう戦略とは、たとえば脳を増大させることです。大きな脳は打製石器の発明など、ヒトの進化にとってなくてはならないものでした。あたかも遺伝子が意思を持っていて「脳を増大させた」と述べていますが、実際はそのような形質を持った者だけが生き延びてきた、ということです。

ヒトの出生は超未熟児:ヒトの独特な生まれ方と脳の進化

ヒトは進化に適応するために脳を大きくする必要がありました。そのために、妊娠期間を長くして脳を大きくしました。しかし、脳が大きくなると産道を通りにくくなります。また、ヒトは直立歩行のため胎盤が変形して、大きな胎児が産道を通るのがますます難しくなっています。そこで、産道を通るギリギリのところで出産し、出産した後で養育するという戦略を取りました。また、出産方法にも工夫があります。現代の分娩では、胎児は産道を通るとき一回転して、頭から出てきます。このようにすれば大きな頭も産道が通れるわけですが、このような分娩はヒトだけのようです。これは現代の分娩ですが、おそらく原人の時代から続いているものと思われます。

このようにヒトは超未熟児として生まれてきます。特に脳は未完成のままです。生まれたとき約400グラムだった脳は2年後には約 1,100グラムとなり、成人して約 1,400グラムとなります。そのため新生児の頭蓋骨はとても融通性のある構造をしており、成長するのに合わせて脳を覆うことができます。生後2年頃までは、栄養は主に脳に送られるため、その分身体の成長は遅れます。これを成長遅滞といいます。

ヒトの赤ちゃんの泣き声はなぜ大きいのか?

すべての生物((しゅ))は出生率と戦ってきました。死亡率が出生率を上回るとその生物は絶滅します。サバンナに降り立ったヒト属は、大きな危険にさらされ、存続の危機を迎えます。そこで採った戦略が“多産”です。子供をたくさん産むためには授乳期間を短くしなければなりません。ゴリラは4年、チンパンジーは5年、オランウータンは7年なのに対し、ヒトは1年から長くて2年です。さらに、上で述べた成長遅滞のため、乳幼児の養育にはほぼ10年も必要とします。授乳や養育に時間をかけていたのでは次の子供が産めません。さいわいヒト属は大家族制をとっていました。離乳食など手間のかかる幼児の世話は、大家族の構成員である幼児の姉か叔母が引き受けました。これは若い娘たちにとって将来の育児のための実地研修となりました。

話を中断しますが、現在の母親には育児ノイローゼになる人が多いようです。いま述べたように、人類は長いあいだ共同保育を続けてきました。しかしこの100年ほど前から、都会の社会は核家族化し、母親は育児の経験もないのに一人で新生児の世話をしなくてはならなくなりました。これが育児ノイローゼの原因の一つのようです。また、人間の赤ちゃんは大声で泣き叫びます。これは空腹などの状況を共同保育の保育者に知らせるための手段で、人類が進化の過程で獲得した性質なのです。誤解のないように補足しますが、声の大きい乳幼児が生き延びたというのではありません。声の大きな乳幼児は保育士さんからより多くの食料が与えられる可能性が増え、平均寿命が延び、より多くの遺伝子を残す確率が増えた、ということです。野生動物の場合は、大声を上げる赤ちゃんは捕食される可能性が増すだけです。

   

脳を大きくした代償

脳を大きくするという戦略はいいことばかりではありません。お産はとても難産で、常に死と向かい合わせでした。現代では医療が発達していてお産で死ぬ人はめったにいませんが、一昔前まではお産で多くの人が死にました。また自力でお産をすることが難しくなり、お産の手助けをする産婆さんが必要でした。出生率を上げるということに矛盾するようですが、死の危険を冒しても多産を選んだ方が出生率が上がったようです。

   

   

数の発明:二足歩行

   

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ヒトの社会的な進化と生存戦略:安全で効率的な生活様式への変化

家族の役割分担と集団生活

直立歩行するようになったヒトは、もはや他の霊長類のように、母親が子供を背中に載せてエサを探しに動き回るということができなくなります。また草原は木の上と違い危険でいっぱいです。そこで、男たちは食料を探しに出かけ、女は家にいて子育てをする、という役割分担が生じます。定まった居住地を持つことによって、ヒトの生存率はずいぶん高まったものと思われます。採集した食料を草原で食べるよりは家に持ち帰って食べた方が安全です。男も、病気になったり事故でけがをすることがあります。そのときがあれば、そこで休息を取り回復を待つことができます。

家族は大きい方が安全性が高まります。ひと家族よりは複数の家族が集まった方が、さらに安全性が高まります。また、狩も集団で行う方が効率的です。狩りを行い、小動物の肉など栄養価の高いものを食べるようになると、ヒトの身体や脳もますます大きくなっていきます。

火の使用とヒトの進化:食物の多様化と道具の発展

人類の進化において特筆すべきは火の使用です。他の動物と同様、ヒトも火を恐れていたと思います。しかしヒト属には好奇心に富んだ「冒険野郎」がいて、落雷か自然発火の山火事を観察し、火を「家」に持ち帰るものが現れました。火の使用は生活を一変させます。猛獣を寄せ付けませんし、煮たり焼いたりすることで、食べることのできる食物の種類も増加します。草食動物は一日中食べてばかりいますが、ライオンなど肉食動物は数時間狩りをした後は1日中寝ています。肉はとてもエネルギー効率がよいのです。ヒトも肉食をするようになると余暇ができます。石や木の棒を「家」に持ち帰り、狩りの道具を作り始めます。細かい手作業は脳を刺激し、脳の発達を促します。大きくなった脳はさらに込み入った道具を生み出します。石器はさらに手の込んだものとなり、狩りの方法も工夫され、狩の獲物は大型動物となっていきます。

現在確認されている最初の火の使用は、原人の時代の70万年ぐらい前からのようです。広く火が用いられるようになるのは35万年ぐらい前で、そのころになると恒常的に火が使用されるようになっていたようです。ヒトがいつ頃から摩擦熱を利用して火を起こせるようになったのかは分かっていません。原人はおそらく、落雷による山火事、火山の噴火、天然ガスなどの自然の火を利用していたのだろうと考えられています。火の使用は人類の進化に大きな影響を与えました。固い肉などをかみ切る必要がなくなり、あごの負担が減り脳が増大します。当然ながら冬の寒さからも守られます。

   

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