第1回 科学のはじまり:天文学の源流「バビロニア文明」
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自然科学のはじまり
バビロニア文明とは
天文学も数学と同様、ギリシアが源流とされています。しかし、どんな文明もそれ以前の文明の影響を受けて発展するものです。最近では、ギリシアの天文学も多くをバビロニアの天文学に負っていることが分かってきました。もちろん、現代の数学はギリシア数学に多くを負っていますが、エジプトやバビロニアの影響も多いようです。ここでは古代のメソポタニアやエジプトで発達した天文学について見てみましょう。
古代メソポタミアの文明はバビロンという都市を中心に栄えたので、そこで行われた天文学や数学をバビロニア天文学、バビロニア数学と呼ぶのが一般的です。中世のヨーロッパでは、バビロニア人のことをカルディア人と呼んでいて、カルディア人とは天文学者(占星術師、数学者)という意味も持っていました。17世紀の有名な画家フェルメールの「天文学者」という絵には天球儀が描かれており、背後の壁には「モーセがエジプトから太古の科学と知恵を学んだ」ことを示す絵が掛けられています。
天文学はどのようにはじまったか
自然科学とは、この世界のいろいろな現象を観察し一般的な規則を導き出すことです。農耕が始まる石器時代の人でも、太陽の運行を観察し時間の流れを認識したと思います。東の空に太陽が昇ると一日が始まり、日が高いうちは狩りを続けることができ、日が西に傾くとそろそろ家に帰らなければ、と思ったでしょう。季節の変化も生活に影響を与えます。狩りをするのに冬場は獲物が少ないこと、秋には川に魚が遡上してくることや、森には果実や木の実がとれることを知っていたはずです。当然、冬の寒さや夏の暑さは、太陽の高度と関係があることに気づいていたと思います。
灌漑による集団農業が始まると、季節の移り変わりを知ることがますます重要になってきます。いつ種を播き、いつ水や肥料を施し、いつ収穫するかなどは、収穫量に大きく影響します。
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日の出の観測
ストーンヘンジ 、チャンキロ遺跡の例
人類が最初に季節を判断できるようになったのは、おそらく太陽の昇る位置からであったと思われます。イギリスのストーンヘンジの巨石や、ヨーロッパ各地で見つかるストーンサークル、ペルーのチャンキロ遺跡の塔などは、夏至の日や冬至の日の日の出の位置を示すためのものだとされていますし、アイルランドのニューグレンジ遺跡では冬至の日には通路の奥まで朝日が差し込むようになっています。メキシコのチチェン・イッツア遺跡には、古代マヤ文明の大きな宮殿があり、春分や秋分の日になるとその宮殿の階段の側面に太陽の影で大蛇(ククルカン)が舞い降りるように作られています。
各地で発見されるこのような遺跡から、東の地平線のもっとも北寄りの地点から太陽が昇る日が夏至で、もっとも南寄りの地点から昇る日が冬至の日であることを太古の昔から人々は知っていたようです。
太陽が昇る方向から季節を判断する
図1で、O は観測地点、OA は夏至の日の日の出の方向、OB は冬至の日の日の出の方向とします。AO = BO となるように点 A, O, B がとられ、この3点が長い間保たれるように石などが置かれます。CO を角AOB の2等分線とします。すると CO は真東にあたり、春分の日と秋分の日には太陽は CO の方向から昇ります。古代では、多くの地方で春分の日が1年の始まりとしていました。春分の日と秋分の日は儀式を行う重要な日でした。古代では多くの地方で、このような方法で季節を判断していました。
「1年の何日目か」を知る方法
ではこの方法で「1年の何日目か」は測れるのでしょうか。試してみましょう。夏至から何日目かを測るには弧 AB を半年分の日数で分けなければなりません。弧の中央あたりでは間隔が大きく、夏至の A と冬至の B の近くでは間隔が狭くなりますが、これは無視して等分することとします。∠AOC = 30°としましょう。すると ∠AOB は 60°で、これを 365/2 で割ると
60°÷ (365/2) ≒ 0.33°
となります。図2 の角度は1°を表しています。0.33°はこの3分の1ですから、太陽が昇る方向は1日にほんのわずかしか変化しないことがわかります。
したがって太陽が昇る方向から1年の何日目かを測るのは少し難しそうです。
【天体の豆知識】地球から見た月の大きさは?
月とか太陽の大きさは約 0.5度ですから、この機会に 0.5度がどのくらいの大きさか覚えておきましょう。腕の長さを 50cm とします。半径 50cm の円周は 314cm です。0.5度は1度の半分だから、314cm を 2×360 で割ると、
314cm ÷ (2×360) = 0.436cm ≒ 5mm
5円玉の穴が約 5mm ですから、腕を伸ばして5円玉を見た時の穴の大きさがだいたい月の大きさです。
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星の観測
暦(こよみ)は人類が定めた最古の文化的な“決まり”で、人びとの日々の生活や農作業などの経済活動、物語や歴史の記述など文化と密接に結びついています。日本語の“こよみ”という言葉は、太陽や月から「日を読み解く」という意味の「日読み(かよみ)」という言葉からきているようです。
古代においては天空に輝く星々が暦(こよみ)であり時計でした。古代エジプトではシリウス(エジプト語ではソティス)という明るい星を基準にしました。シリウスが日の出の直前に東の空に輝く日を1年の始まりとしたのです。バビロニアでは星々を結びつけ“星座”を考え出しました。日が沈んだ直後に東の空に現れる星座から、その時の季節を知ったのです。また、日没からの経過時間も星座の位置で知ることができました。
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古代の天体観測
古代エジプトでもバビロニアでも、そして中国でも、このような方法で1年が 365日と 1/4日であることを知っていました。どのようにしてこのように正確な値を知ったのでしょう。例えばエジプトを見てみましょう。ある年、日の出の直前にシリウスが東の空に現れた日から日数を数え始めます。しかし、観測には誤差があります。正確に365日後にシリウスが日の出直前に観測されるとは限りません。例えば10日の誤差があったとしましょう。10年観測しても、100年観測しても、誤差は蓄積されるのではなくほぼ同程度の 10日程度です。100年間観測すれば10日の誤差は 0.1日となります。驚くべきことにエジプトでは、この観測を3千年以上も続けたのです。バビロニアも同じであったと思われます。少なくとも千年以上もの長きに渡って継続的に記録が取られてきたようです。メソポタミアでは多くの民族が覇権を争い、戦乱が絶えず、多くの王朝が興亡を繰り返しました。しかしどの国もそれを引き継いだ前の国の文化を引き継ぎました。天文学に従事していた知識階級(書記)の地位は、支配者が変わっても安定して継続していたようです。
もう一つ注意すべきことは文字の存在です。石器時代でも、石器人たちは獣骨に線を刻むことによって日数を数えていたようです。刻まれた線の本数が 29本であることから、1ヵ月、つまりカレンダーではないかと予想されています。しかし、石器人が認識できたのはせいぜい百程度の数だと思います。千とか万という数を認識するにはやはりそれなりの記号が必要です。私たちは言葉を用いて思考します。文字は言葉を記録するものですが、文字の発達によって言葉も発達するものです。人類が「1年は365日」という知識を持つことができたのは、文字があったからだと思います。ちなみにギリシア人がオリエントから文字を学んだのは、紀元前8世紀ころのことです。
文字はどのようにしてうまれたのでしょうか。詳しい記事はこちら▼
Web連載『数の発明』第11回 文字の発明
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星占いの源流 – バビロニア
皆さんは星座というとギリシア神話とかローマ神話を思い浮かべるのではないでしょうか。また、星占い(ホロスコープ)は西洋のものだと思っている人もいるかと思いますが、この源流はバビロニアにあるのです。
バビロニアでは1年を12に分割し、天空に12の星座を設定しました。そして、太陽が東の空から昇る前に東の空に見える星座によってその時の季節を知ったのです。この12個の星座の多くは、粘土板文書や、印章などの図形、また境界石に描かれた図形などから現代にまで続いているものと判定できます。
星座のお話
例えば、ギリシア神話のふたご座の2人の少年は、最高神ゼウスが白鳥に化けてスパルタの王妃に近づき、王妃に産ませた子供たちです。王妃は卵を産み、その卵から2人の女の子と2人の男の子が産まれます。男の子の一人はゼウスの子、もう一人はスパルタ王の子です。この話のもとになったバビロニアでのふたご座は、地獄の門を護る巨人の兄弟です。
おうし座のお話もしておきましょう。またまた好色なゼウスが少女を誘拐するお話です。あるときフェニキアの王女エウロペが海岸の近くで遊んでいます。ゼウスは空からそれを見初め、立派な牛に変身して近づきます。王女が警戒心を解くまで、じっと動きません。安心して王女が牛にまたがると、突然牛は海に向かって突進します。大声をあげて追いかける侍女たちをしり目に、牛はどんどん陸を離れていきます。ついた先がクレタ島です。このお話にでてくる王女の名前エウロッペは“ヨーロッパ”の語源になっています。当時のギリシア人が考えていたヨーロッパとは、ゼウスがエウロッペを連れて回った地域に限られていて、現在の西ヨーロッパは含まれていませんでした。また、当時のギリシア人はフェニキア人を自分たちの先祖とみなすほど立派な民族だと考えていたようです。このようにヨーロッパという地名一つとっても、その時代によって示す範囲が違いますし、古代文明の解釈や評価は時代によって大きく変わっているのです。
バビロニアのおうし座は、英雄ギルガメッシュが大刀で真っ二つにしたもので、今でも大空に前半分だけを現わしています。
このようにバビロニアの星座は、4千年の時を越え、ギリシア、ローマ、西ヨーロッパに伝わり、現在の日本にまで伝わってきているのです。
バビロニア数学について知りたい方は、マテマティカWeb連載『 バビロニアの数 』をぜひご一読ください。60進数という記数法はどのようにして生まれたのか、バビロニアで行われていた高度な計算とはどのようなものだったのかなど詳しく解説しています▼
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