第4回 古代エジプトの暦:シリウスと暦の物語

『暦の起源』は全22記事からなるWeb連載です。

現代の暦の起源、エジプト暦

現在私たちが使っている暦はグレゴリオ暦と呼ばれる暦で、そのくるいは1万年にわずか3日という精度です。グレゴリオ暦はユリウス暦を改良したものです。ユリウス暦とは1年を 365日とし、4年に1回1年を366日とする閏年を設ける暦です。つまり、数学的にいうと1年を 365.25日とする暦のことです。これだけ聞くとたいしたことなさそうに思えるかもしれません。これは、4年間の日数を数えて、365×4+1日だったというだけのことではありません。当時はたいした観測機器などなく目視ですから、4年間日数を数えたとしても誤差が出ます。十分大目に見て、4年間で 0.1日の誤差としても、40年経てば1日の誤差となってしまいます。しかしユリウス暦の誤差は、100年に1日未満という精確さなのです。観測技術は、ガリレオが望遠鏡を発明するまで基本的には変わっていません。この精度を達成したのは古代エジプトの暦で、現在私たちが使っている暦はエジプト暦を引く継ぐものなのです。ここではエジプトの暦について調べてみましょう。

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シリウスの観測

おおいぬ座のα星、シリウス

皆さんはシリウスという星をご存知ですか? 冬の南の空、オリオン座(三ツ星)の左下に輝く全天で最も明るい星です。シリウスは正式にはおおいぬ座のα星といいます。ギリシア神話では、オリオン座は狩人で、おおいぬ座はその猟犬ですが、エジプトでもこれらの星は信仰の対象でした。

星空を観測する2つの方法

少し天球の復習をしましょう。夜、南の空にシリウスが輝いていると考えてください。星空の眺め方として、2通りの方法があります。時間を固定する方法と、天球を固定する方法です。時間を固定する方法では、たとえば時間を真夜中の 0時に固定し、毎晩0時に星空を眺めることにします。天球は1年に1回転しますから、簡単のため1年を 360日とすると、星々(天球)は1日に1度、東から西へ回転します。時間を固定するということは太陽を固定するということです。こんどは天球を固定しましょう。すると太陽は、天球とは逆に、1日1度西から東へ回転します。1日=24時間= 1440分ですから、1度動くのに 1440分÷360 =4分 となります。つまり、きのう0時に見ていた星は、今日の0時には1度だけ西に移動してしまっていますから、同じ位置にあったのは0時から4分前ということになります。言い換えると、星々は太陽を追いかけるように移動します。星々のほうが速いので、やがて太陽に追いつき、追い越します。

シリウスの旦出

シリウスに話をもどしましょう。冬の真夜中にシリウスを眺めていると思ってください。次の日シリウスが同じ位置に来るのは4分前です。日数がさらに経過すると時間もどんどん後戻りし、夕暮れ時になります。太陽は西の地平線にいます。こんどは時間を止めましょう(つまり太陽を止めます)。シリウスはだんだん太陽に近づき、やがて追いつきます。春になり、シリウスが太陽と一緒に行動している間、シリウスは人間の目から消えます。やがてシリウスは太陽を追い越し、夏の始め、日の出の直前に東の空に姿を現します。このように、星が太陽の直前に昇ることを旦出(たんしゅつ)(英語ではヘリアカル•ライジング heliacal rising)といいます

ナイル川と古代エジプト人

シリウスとナイル川増水の法則

古代エジプト人はナイル川と共に生きる川の民でした。ナイル川は毎年決まった時期に増水し、上流から肥沃な用土を運んでくれ、種を播くだけで植物は生育します。しかし増水する前にしなければならないことがたくさんありました。貴重品や生活必需品を水の来ない高台に運ぶこと、運河をさらい堤防を補強し、水を隅々まで行き渡らせるようにすることなどです。

シリウスの旦出はナイル川の増水の前兆だったのです。シリウスの旦出の後、まもなくしてナイル川は増水します。エジプト人はこの日を年の始め、つまり正月として祝いました。すると1年はシリウスの旦出から次のシリウスの旦出まで、約365日となります。古代エジプト人は以下で示すようにとても整然として美しく整った暦を作りました。

古代エジプトの3つの季節

古代エジプト人は1年を360日として、1年と1年の間に5日の付加日を設けました。古代エジプト人はこの付加日を「エパゴメン」と呼んでいました。エジプト人にとって1年は360日で、付加日は1年とは別の、それぞれの神を祀るお祭りでした。1年は1ヵ月30日の12ヵ月に分けられます。この12ヵ月は、それぞれ4ヵ月からなる3つの季節に分けられました。

アケト(増水季)、ペレト(播種(はしゅ)季)、シェムウ(収穫季)

アケトは夏から秋にかけてナイル川が増水している季節で、農閑期です。ペレトはナイル川の水が引き、種まきをする季節で、冬から春にかけての季節です。シェムウは実ったムギを刈り取る春から夏にかけての季節です。実は、エジプト暦は移動暦で、季節は毎年少しずつ移動します。これについてはあとで説明します。

トト神の伝説

アケトの4つの月の最初の月をトトといいます。トト神は知恵の神でエジプト人に文字と数学を教えたと考えられていました。1年はトトの月から始まります。エジプト人は、この宇宙を大きな水の循環と捉えていました。シリウスの旦出後、ナイル川は増水しはじめます。するとどこからとなく白い鳥トキが集まってきます。どうしてトキは増水の時期を知っているのでしょうか。宇宙の神秘を知っている賢い鳥トキをトト神の化身(けしん)と考えました。

古代エジプトは10進数なので10が数の基底で、10をデカンと呼びます。古くはエジプトの1週は10日でしたから、“週”のことをデカンと呼ぶこともあります。1週のうち9日働き1日休みました。後にエジプトもバビロニアの影響で1週7日となります 。ギリシア語で 10 を表す「デカ」はエジプトのデカンに由来します。

シリウスの語源

ついでにシリウスの語源も調べてみましょう。シリウス星は古代エジプトではソプデトと呼ばれ、イシス女神の化身とされていました。イシス女神は古代ギリシア人やローマ人にも人気があり信仰の対象となっています。異説もありますが次のようだと思われます。

エジプト語:ソプデト(Sepdet)
⇒ ギリシア語:ソティス(Sothis)
⇒ ラテン語:シリウス(Sirius)

オリオン座の三ツ星はサフと呼ばれ、これも人気のある冥界の王オシリス神と同一視されています。オシリス神とイシス女神は夫婦で、壁画や天井図などでは一緒に描かれています。冬の夜空で夫である三ツ星(=オシリス)が妻のシリウス(=イシス女神)を先導する形で昇ってきます。名前がたくさん出てきましたが、以下ではシリウスの代わりにソティスを用いることにします。

ソティス=シリウス=ソプデト=イシス女神

英語では夏の暑い日(つまり夏の土用)のことを dog days といいます。「おおいぬ座」は現在冬の星座ですが、エジプトの暦ではおおいぬ座のシリウスは太陽の近くにいる夏なのです。中国ではシリウスのことを天狼(てんろう)星といいます。オオカミは犬ですから、これもエジプトと関係があるかもしれません。

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古代エジプトの民衆暦

太陽年と恒星年

上で述べた1年を365日とする暦を民衆暦といいます。エジプトではいつ頃から民衆暦を使っていたのでしょうか。この議論の前に太陽年と恒星年の復習をしておきましょう。

1恒星年=365.256363日 = 365日6時間9分9.764秒
1太陽年=365.2422日     = 365日5時間48分45.2000秒

1恒星年は、太陽が天球を一巡してもとの星の位置に戻ってくる時間です。1太陽年は、夏至から次の夏至までの時間、つまり太陽に対する地軸の傾きが同じに戻るまでの時間です。したがって、民衆暦は、意味からいうと太陽暦ではなく“恒星暦”というべきなのですが、「1年を365日とした暦」ですから、どちらでもかまいません。

ソティス日

古代エジプト人は、最初はソティス(=シリウス)の旦出を1年の始めとしていたと思われますが、そのうち1年を365日と定めた民衆暦を使うようになります。すると、1月1日(元旦)はこの暦によって決められます。エジプト人はソティスの旦出の日を“ソティス日”としてお祝いしていました。最初は1月1日がソティス日だったのでしょう。しかし4年後には1月2日がソティス日となります。つまり、4年ごとに1日ソティス日が移動していきます。365×4=1460 ですから1460年経つとその次の年に、ソティス日はもとの1月1日に戻ってきます。

民衆暦で1461年 = 365× 1461 = 533265日
1460恒星年 = 365.256363×1460 = 533274.29日

なんと1460年で9日の誤差です。前回のお話〔メソポタミアの暦〕で述べた 春分点移動 は太陽年と恒星年のズレ、“ソティス日の移動”は民衆暦と恒星年のズレです。似ていますが、少し違います。ソティス日が移動するということは、季節が移動するということです。したがって、上で述べた「アケト季は増水季、…」という当初のもくろみは時代が経過するにつれて成り立たなくなります。しかし、1つの季節が次の季節と入れ替わる時間は 1460年の 1/3、約500年ですから、実生活にはほとんど影響がありません。

関連記事以下の記事で詳しく解説しています。

第3回 メソポタミアの暦:太陰太陽暦

ソティス年とは

古代エジプト人は民衆暦の何月何日にソティスの旦出が起きたかを記録し続けていました。1月1日がソティス日となった年を“ソティス年”といいます。ソティス年の正月は、エジプト人にとっては“真の正月”ですから特に盛大なお祭りがなされました。古代ギリシア人は、この現象を「アポカスタシス」と呼んでいました。

ソティス元年を探る

歴史学者(編年学者)と古代天文学者たちは民衆暦が始まった年をつきとめようとしました。民衆暦が始まった年はソティス年に違いありません。ソティス年の最初の年をソティス元年と名付け、学者たちは史料文献の調査を開始しました。すると、ローマ時代、紀元後139年がソティス年だということを発見しました。ときはローマ皇帝アントニヌス•ピウスの治世で、都市アレクサンドリアではソティス祭を祝う盛大な祭典が催され、記念硬貨まで発行されていました。ローマ人もギリシア人同様ソティス(=イシス女神)を信仰していたのです。139年の1460年前は -1321年、つまり紀元前 1322年です。その年は新王朝時代であり、書記たちの残した記録の中にソティス祭の記述がありました。さらにもう一巡前は紀元前2782年で、この時代は初期王朝時代です。この前2782年がソティス元年なのでしょうか。恒星ソティスは豊饒の女神ソプデトと結び付けられて、初期王朝時代にはすでに信仰されていました。初期王朝時代の次の時代は古王国時代、すなわちピラミッドの時代です。学者たちは、古王国第5王朝のウナス王たちのピラミッド•テキストの中に、当時の星観測の記録だけでなく、それよりずっと古い星観測の記録が混じっていることを発見しました。これらのことから、編年学者たちは、ソティス元年はさらに一巡前の紀元前4242年ではないかと推定しています。これはいまから6千年以上も前というとてつもない古代となります。

ソティス周期による年代決定法

エジプトの民衆暦は1460年という長い年月で循環します。これをソティス周期といいます。このソティス周期を用いることによって、エジプトの長い歴史の年代が非常に正確に決定できるようになりました。

上でも述べたように、1年の測り方には恒星年と太陽年といった2つの測り方があります。両者の差は

0.014日 = 20分24秒

とほんのわずかでほとんど無視できますが、エジプトのように何千年も続く歴史では無視できなくなります。つまり、1年で 0.014日でも千年経ったら14日にもなります。ソティスの旦出は、紀元前3000年頃6月21日だったとすると、紀元前2000年では7月5日、紀元前1000年では7月19日となります。ソティスの旦出はナイル川の増水の予測に用いられたのですが、後世ではもはやその価値はなくなっていたようです。

『暦の起源』は全22記事からなるWeb連載です。

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