7.旧石器時代の終焉
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旧石器時代:人類の進化と生活様式の変遷
学校の歴史などでは人類の歴史を、石器、青銅器、鉄器など使用された道具で区分けする方法が用いられています。本によって多少違いますが、ここでは石器が使われ始めた350万年前から、農耕が始まった1万年前までを旧石器時代とします。旧石器時代は人類の進化の歴史といってよいでしょう。進化によって知力を身につけた人類は、環境の変化に適応し生活様式を変化させていきました。旧石器時代の終盤の人類の様子を見てみましょう。
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人類のグレートジャーニー:新人の探索心と気候変動の戦い
アフリカを出た原人たちは絶滅しましたが、新人は南極を除く世界中ほぼすべての所に行きわたりました。3万年前~1万年前の厳しい寒さのため、ベーリング海峡は海水面が引き、陸地になっていました。新人は歩いてアメリカ大陸に渡り、南アメリカ南端のパタゴニアにまで達しています。北極圏の極寒の地から、熱帯地方の高温多湿の地まで、新人たちの環境適応能力には目を見張るものがあります。他の動物たちのように進化によって身体を環境に合わせたのではなく、知力によって環境を克服することができるようになったのです。
世界中に散らばったといっても、人類の人口はまだまだとても少なかったようです。ある研究者の試算によると、世界中で1千万ぐらいではなかったかと想定しています。東京都の人口が1千4百万ぐらいですから、東京都の人を世界中にばらまいたようなものです。世界中どこを探しても人影がなく、洞窟や森蔭にかすかな人の痕跡が見つかるぐらいだと思います。
新人たちがグレートジャーニーを続けているとき、地球は氷期でした。氷期といっても極寒の期間と比較的温暖な期間の繰り返しで、アフリカやヨーロッパや西アジアでは現在よりもずっと湿潤で豊かな草原が広がっていた時期がありました。氷期には、地球上のいたるところで森が後退し、その代わりに草原が広がります。草は木よりも成長が早く、その上背が低いため多くの動物が繁殖します。草原は動物の大群が動き回るようになり、新人たちは集団で動物の群れを狩るようになります。一度狩りが成功すると、しばらくの間、一族全員を養うのに十分な食料が得られます。こうして新人たちの人口も増加していきました。
新人たちを悩ませたのは氷期の寒さもありましたが、それよりも急激な気候の変動のほうが多かったようです。温暖でも乾燥すると、近くに動物がいなくなり、森林にも果実や木の実がなくなると、一族を引き連れて移動の旅に出なくてはなりません。森林とともに北上する大型動物を追って行く一族もいました。マンモスは1万年前に滅亡しますが、その原因のひとつは人類だったようです。厚い毛皮で覆われているのでもなく、体もさほど頑強でもないのですが、人には考える力がありました。見知らぬ場所に対する不安、飢えの恐怖などは当然あったでしょう。しかしそれ以上に新しい世界を切り開く冒険心と、未知のものに対する好奇心を持っていたのです。
旧石器時代の道具の進歩と共同体の形成
旧石器時代も終盤(5万年前~1万年前)になると道具類も格段に進歩します。例えば、投げ槍を投げる「投槍器」と呼ばれる道具が生み出されます。長さ50センチほどの木の棒で、先に投げ槍を引っ掛けるフックが付いています。これを用いると実質的に腕が長くなったのと同じ効果が生まれ、飛行速度も距離も格段に増大します。おそらくこの投槍器は、大型動物の狩りで、大人数がいっせいに用いることで威力が発揮できたと思われます。石器に関しても、それまでは「石刃」と呼ばれる両刃の細長い石器を作っていましたが、これをさらに細かくし、カミソリの歯のように薄く鋭利な「細石刃」が作られるようになります。これを作るにはガラス質の石を焚火で熱し、薄い剥片に剥ぎ取るという高い技術と熟練が必要です。ここに技術の伝承が見られます。
大型動物の狩りは人数が多いほど安全で、逃げられる恐れも少なくなります。多くの家族が一定の地域にまとまって生活する共同体が形成されていたと思われます。大型動物の捕獲には複雑で高度な技術が必要です。太鼓など音を発して獲物の一匹を群れから引き離すもの、火を使って沼とか崖に追い込むもの、槍などで仕留めるもの、全体を指揮するもの、など役割分担ができます。石器のつくり方とか槍を使って獲物を殺傷する方法など、得意な技術を持ったものは他のものにその技術を教えます。
こうして共同体で生活していくうちに、狩りがうまい者、道具作りの技術を持った者など、それぞれの能力が意識され始めます。火の管理はとても重要な仕事で、これを専門に行う長老は、皆から尊敬を受けたでしょう。狩りや一族の移動には強力なリーダシップが必要です。このようにして、共同体の中には役割分担が生まれ、社会が形成されていきます。ヒト族以外の哺乳動物は、遺伝子に書き込まれたプログラムにしたがって生きていくだけですが、ヒト族は得られた技術や知識を共同体全体の財産として蓄積し、次世代に継承していくことができるようになっていたのです。
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言語と知能の発達:言語能力と人類の脳の関係
人類は長い進化ののち、大きな脳、つまり知力を得ました。ここでもう一つの重大な能力である言語について見てみましょう。私たちは言葉を使ってものを考えます。言語と知能の発達は密接に関係しています。
150万年前に戻り、原人の言語能力を見てみましょう。ヒトは直立歩行するようになると、気管や食道は空気や食物を通しやすくなります。口は獲物に噛みついたり、ものを咥えて運ぶという役割から解放され、口腔内が広がり、舌も自由に動かせるようになります。また、人間の脳にはブローカ野と呼ばれる領域があります。ブローカは19世紀のフランスの医師で、この部分が人間の言語能力に関係していることを発見しました。頭蓋骨の裏側を調べると、脳の形状がある程度分かるそうです。原人の頭蓋骨を調べるとブローカ野が発達していることが分かりました。そこで、「原人はすでに言語を話していた」とか「もし原人が言語を話していなかったとしたら、人類は将来言語を話すための脳を用意していた」という意見が出ました。現在では、「原人は簡単な発話ができたと思われるが、高級な言語は使われていなかっただろう」と思われています。言語が使われだしてから、それまで使われなかった脳の部分や舌や喉が使われるようになった、と考えることができるからです。
新人になると喉頭(気管の入り口部分)が下がって長い空間ができ、肺から出た空気をここで共鳴させていろいろな種類の音が出せるようになっていました。この豊富な音素を組み合わせることで、新人は簡単な言語を話していたのではないかと想像されています。
新人が言葉を話せるようになったことを示す根拠として線刻があります。獲物の数を線刻という記号で表すことができるということは、新人が「抽象的な思考力を持っている」ことを表しています。記号で表わすことは、「記録を残す」ことと「人に情報を伝える」といった目的を持っています。したがって「数を表す言葉」を持っていたはずです。それも「十進法で2桁の数」を表す言葉は、一つの単語ではなく、構造を持った単語列です。新人が高級な武器である投槍器を発明できたり、連携の取れた狩りができたりしたことも、新人たちが言葉を使っていた傍証になると思います。
民族の発生と知識技術の伝播:共同体から地域全体へ
得られた知識や技術は、大家族からなる共同体だけにとどまらず、その地域全体の人々に伝わります。上で述べた投槍器は、ヨーロッパだけでなく、オーストラリアやアメリカなど世界中で発掘されています。この知識の伝播は、遠く離れた種族との婚姻や交易によるものもあったでしょう。たとえばナイフの刃などに使われる黒曜石は、チャタル・ヒュユク(現在のトルコにある遺跡)を経由地として地中海の東海岸からペルシャ湾沿岸にまで運ばれています。
交易もありましたし、共同体の間の交流もありましたが、やはりまだ交流は限定的で、おのおのの共同体は閉じた世界を作っていました。地域全体の人々が持つ共通の風習や習慣、生きるための技術や知識や戦略など全部をひっくるめた総体を文化といいます。また、同じ文化を共有する集団を民族といいます。旧石器時代の終わりには、まだまだ非常に小さいですが、民族の「はしり」が生まれていたと考えられます。民族はその後、地域や環境の違いによって大きく違ったものに変化していきました。
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旧石器時代の終焉
いまから2万年ほど前、氷期はピークを迎え、その後1万年かけて氷期が終わります。平原に代わってまた森が進出してきます。ヒトは氷期の間は平原で動物の群れを追い回していたのですが、平原とともに動物の群れも消えていきます。森には、増えすぎたヒトを養うだけの食料はありません。一日中追いかけまわしてやっとのことで捕まえたリスも、一人分の食料にも足りません。この危機に人類はどのように立ち向かったのでしょうか。これについては次回の連載で述べたいと思います。
〔4.出アフリカ〕で述べたように、現在の人類はたった6万年前は一握りの集団だったようです。6万年は進化という点から見るととても短いのです。つまり人類は、皮膚の色といったような外観の違いなどわずかにあるものの、種としては単一なのです。生物学的な見地から見ても、白人、黒人、黄色人種などの人種の差は統計的な確率の差でしかありません。
民族は、遺伝子による進化の結果ではなく、もっと社会的なもの、学習による文化の継承によるものだと思います。現在では民族は主に使用する言語によって分類されています。私たち日本人はモンゴロイドといい中央アジアで寒冷地適用を受け日本に移動してきたと考えられています。白人はコーカソイドといいコーカサス地方(黒海とカスピ海の間)に住んでいた人びとで、おそらく1万年前あたりから人口を増やし印欧語族として活動し始めたと考えられています。 旧石器時代は「遺伝による進化の時代」でした。これに続く1万年前から現在までは、「文化の継承による進歩の時代」です。「数の進歩」は「思考の進歩」の一面を具体的に見せてくれると思います。数は、皆さんが考えているほどあたりまえのものではありません。次回からは、いよいよ人類がどのようにして数を扱うようになったかを見ていきましょう。