4.出アフリカ
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人類の冒険と大陸進出:氷河期とユーラシアへの展開 | 人類の進化と絶滅の危機
人類はこれまで何度も絶滅の危機に瀕してきました。今から260万年前に最後の氷河期が始まり現在まで続いています。1.1万年前に終わったという説もありますが、はっきりした根拠はないそうです。氷河期は地球規模のとても長い期間で、寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期とが、おおよそ10万年の周期で繰り返されます。一般に間氷期というと温暖で住みやすそうに思われますが、あまりにも森林が増大すると、大木ばかりの森には生物が少なくなり、ヒトは食料の確保に苦労したようです。一方氷期にも比較的穏やかなものもあり、森は後退しステップ地帯が広がります。草は木より早く育ち、背たけが低いので昆虫や小動物が繁殖し、それにともない大型動物も増加します。豊富な食料により、ヒトの人口も増大したことでしょう。しかし、ほとんどの生物が死滅するような極寒の氷期も到来します。ヒト属は、何度も厳しい気候変動にさらされます。
180万年前頃から、原人たちはアフリカを出て広大なユーラシア大陸へと進出していくようになります。これを旧約聖書に書かれている「モーセに率いられたエジプト脱出」になぞらえて出アフリカといいます。
ヒト族はなぜアフリカを出ていったのでしょうか。気候変動とか人口増加などいろいろ原因が考えられますが、やはりヒト族特有の“冒険野郎”がいたからに違いありません。数十万年という短期間にこれだけ広い範囲に広まった動物はほかにはいません。ヨーロッパ、アフリカ、東アジア、南アジアという、気候も動植物相もまったく異なる土地に住みつき、着実に人口を増やしていきます。ジャワ原人や北京原人が特に有名です。
ヒト属の驚異的な環境適応能力:移動距離と知能の進化
皆さんは移動距離に驚くかもしれませんが、数十万年というスケールに注意してください。1日の移動距離を1メートルとすると、1年で1キロメートル、50万年で50万キロメートル、50万年もすれば地球を10周してしまいます。驚くべきは移動距離ではなく、環境への適応能力です。すべての生物は、環境の変化に遺伝による身体の変化で対応してきました。これに対し原人は脳の容積を増大させ、知能によって問題を解決するようになります。例えば人間の体毛の少ないむき出しの肌は、防御としては役に立ちませんが、発汗作用があり冷却装置としては優れていて、長時間の運動が可能です。ヒトは衣服を発明しました。毛皮の衣服は防寒効果に優れ、その上取り外しできます。華奢な両腕は、道具を用いれば強力な武器となり、移動のときは便利な運搬装置となります。不利であった身体は、知能を働かせることでかえって有利となります。このようにしてヒト属は、極寒の極地から極暑の赤道直下までさまざまな環境に適応することができるようになったのです。
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「多地域進化説」と「アフリカ単一起源説」
多地域進化説
19世紀になるとヨーロッパの大学では古代の人類に関心が持たれるようになり、各地に散らばった原人たちがそれぞれの地域で進化し、白人、黄色人種になり、アフリカに取り残された人が黒人になったという 『多地域進化説』 が提唱されました。当時は人種主義、ヨーロッパ第1主義が主流で、ヨーロッパ人(白人)は進化の頂点に立つ最も進化したものであり、それに続いてアジア人(黄色人種)、最下位に位置するもの(つまり、ヒトの進化樹で最初に枝分かれしたもの)が黒人だ、という考えが支配したのです。こうした「人種主義」的な考えは根が深く20世紀になっても存続します。
最近では、世界中に散らばった原人たちは、すべて絶滅したと考えられています。おそらく激変する気候変動に抗しきれなかったのでしょう。アフリカに残った原人は、やがて旧人、新人(ホモ・サピエンス)と進化します。
新人の出現
60万年ほど前に、原人に代わって旧人と呼ばれる人々が現われます。原人よりさらに手の込んだ石器と高度な文化とを持つようになります。旧人の中から、ネアンデルタール人と、現在の私たちの祖先であるホモ・サピエンス(新人)が現われます。ネアンデルタール人の祖先もアフリカから出ていきます。ヨーロッパからまだ比較的脳の容積が小さいネアンデルタール人の祖先の化石が出土しています。
生き残りをかけた新人の冒険:氷期と海岸の試練 | 栄養豊富な海産物と球根の利用
どうやら私たちの先祖である新人たちも、まさに絶滅一歩手前だったようです。今から19万年~13万年前に襲った氷期は凄まじいものでした(この氷期は現在の私たちから見て前々回の氷期にあたります)。アリゾナ州立大学のマリーン博士の研究によると、新人たちは、子供をつくれる年齢の人が数百人にまで減ったということです。これは種として存続できるぎりぎりの数です。厳しい寒さの上に乾燥化が続き、草原は砂漠と化して、生き物はほとんど死に絶え、食料がそこを突きます。新人たちはどのようにして生き延びたのでしょうか。
次第に狭まる生息域を求めて新人たちは、やがてアフリカ大陸の最先端の岬にたどり着きます。海岸線には海に面した大きな洞窟がいくつもあり、そこに新人たちの遺跡、火を焚いた跡とか石器のかけらなどが発見されたのです。そこから大量のムール貝の貝殻が発見されました。南アフリカの南端は、暖流と栄養豊富な寒流とがぶつかり、多くの種類の海産物が生まれます。またこの地域は球根を持つ植物が多く育っていました。球根は栄養価が高く保存がきき、また地中に埋まっているために他の動物に取られにくいという利点もあります。新人たちは、栄養豊富な海産物と球根を食料とし、絶滅の危機を免れたと考えられています。
新人たちはそれまで内陸で暮らしていたので、貝類とか海藻は食べたことがなかったと思われます。土の中に埋まっている球根を掘り出して、はじめて食べてみるというのも勇気がいったことでしょう。おそらく何人かはフグのような毒のあるものを食べて命を失ったでしょう。また、極寒の氷期を乗り切れたのは、洞窟の中で火を焚いて暖を取ったからでしょう。新人たちはすでに、このような過酷な環境に適用できる能力を身につけていました。
新人の大旅行:グレートジャーニーとアフリカ単一起源説 | 地球全土に広がる人類の移動
厳しい氷期を乗り越えた新人は、勢力を伸ばしていきます。やがて約6万年ほど前に、故郷を離れる決心をします。きっかけは、気候が温暖化に転じたことでそれまで行く手を阻んでいた北部の砂漠地帯に緑が戻ってきたからだ、とも言われています。その後約5万年をかけて、南極大陸をのぞくすべての大陸に住みつきました。この新人の大旅行のことをそれまでの出アフリカと区別してグレートジャーニーと呼ぶ人もいます。
現在世界中に分布している人びとは、このグレートジャーニーで移動した新人の末裔だとする説を『アフリカ単一起源説』といいます。この説は、上で述べた『多地域進化説』と対立する説です。近年発達した化石の年代測定法や、遺伝子解析の技術によって、『単一起源説』の方に軍配が上がっています。
ヒトの進化と学習:知識と技術の伝承、小児期の学習、そしてアフリカを出る理由
ヒトは600万年もの長い年月をかけ、大きな頭脳を獲得しました。しかしこれは遺伝子の変異によるものでヒトの意図的な選択によるものではありません。しかしヒトは、進化とは別の学習という進歩のための手段を手に入れました。ヒトは、狩りの方法、石器のつくり方など多くの技術を身につけました。しかし遺伝学では、「獲得形質は遺伝しない」と言われています。こういった知識や技術は遺伝しないのです。ヒトは超未熟児として生まれます。1~2年は脳の成長期で、10歳くらいまでは身体機能も一人前ではありません。この間がヒトの学習期間です。つまりヒトは学習する動物として生まれついているのです。
100年ほど前のインドで、オオカミに育てられた少女が保護されました。保護されたときにはもう7歳になっており、長いあいだ人間に戻す努力がなされたようですが、何をしても無駄で、結局言葉を覚えることすらできなかったようです。現在、まだ脳についてはほとんど何もわかっていないようですが、生まれてから数年の脳の発達が人間形成にきわめて大切だと言われています。
ヒトは、小児期の 学習によって集団が得た習慣、生きる技術、知識などを蓄積し子孫に伝えることができるようになりました。伝えることができたのは集団の子孫だけでしょうか。例えば「火の使用」を見てみましょう。「火の使用」は遺伝ではなく学習によって伝わります。「火の使用」を習得できた集団のみが生き残った、と言われています。「火の使用」を修得した一族の子孫だけが生き延びたのでしょうか。
知識や技術を伝播する方法に婚姻があります。血縁関係がないなるべく遠くの集団に婚姻の相手を見つけるのは、遺伝子の変異にとって有利であり、そういうヒトが生き延びてきた可能性があるといいます。婚姻によって知識を運んだのは男の場合も女の場合もあったと思います。学習は縦方向の進化では伝わらない水平方向へも伝播したのです。
ヒトはなぜアフリカを出たのでしょうか。ヒトは学習する能力によって、新しい環境に立ち向かう技術と力を身につけていました。しかし新しい環境は危険に満ちています。ヒト以外の類人猿は、何千万年にもおよぶ進化によって手に入れた身体的な能力を持っています。一見ひ弱そうにも思えますが、長い年月の間存続してきた安定性があります。実際ヒト族は何度も絶滅の危機に陥っていますが、類人猿は「変化しない」という戦略を取ることで生き延びてきました。現在の私たちも、文明に頼りきっていますが、ひとたび太陽の黒点活動で数年間通信が麻痺したり、電気が使えなくなったら絶滅してしまうかもしれません。ヒト族を出アフリカへと駆り立てたのは、環境に適応する能力だけではなく、新しい世界を希求する「冒険野郎」の好奇心だったのではないでしょうか。