5.ネアンデルタール人との出会い
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氷期と気候変動:新人の進化と適応
アフリカ大陸を出たホモ・サピエンス(新人)はその後どのような経過をたどったのでしょうか。当時は最後の氷期の真っただ中でした。新人たちを苦しめたのは厳しい寒さというよりもむしろ気候の激変でした。フランス南部のある渓谷の沼底の土の成分(花粉など)を解析したところ、約150年の周期で樹木が生い茂る森林と、乾燥したステップ平原の繰り返しだったそうです。中東といえば常に乾燥地帯のように思われますが、5万年ほど前には豊かな緑で覆われていたようです。しかし新人が中東に現われた7万年前はまだ極寒の時期でした。
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ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの出会い:共存と進化
ヨーロッパに進出した新人はそこでネアンデルタール人に出会います。ネアンデルタール人の化石はヨーロッパや中央アジアで数多く発見されており、私たち現生人類と非常に近い種であることもあって、研究者の興味を引き多くの研究が発表されてきました。発展している分野ではよくあることですが、以前の説が否定され新しい説で置き換えられています。たとえばネアンデルタール人は40万~20万年前頃にアフリカを出たと思われていたのですが、スペインの洞窟で60万年前のネアンデルタール人の祖先の化石が発見されました。まだ脳の容積は小さいところから見ると、ネアンデルタール人はヨーロッパで進化したようです。だとすると、60万年前にはすでにアフリカを出ていたことになります(ネアンデルタール人の骨は、アフリカでは発見されていません)。
また、以前はネアンデルタール人が絶滅したのはおよそ2万年前とされていました。このことから、約5万年前にヨーロッパに姿を現したホモ・サピエンスは、暴力的にネアンデルタール人を追い払い、激烈な交代劇が起こったと考えられてきました。しかし近年、年代測定の技術が進歩した結果、ネアンデルタール人が絶滅したのはおよそ4万年前であるという結果が出ました。4万年前は、ウルム期と呼ばれる最後のもっとも厳しい氷期で、特に緯度の高いヨーロッパは苛酷な状況でした。ネアンデルタール人は地中海沿岸に追いやられ、人口はすでに7万人にまで減少し、絶滅の坂を転げ落ちているときだったのではないかと考えられます。とはいっても、数千年という短い期間ではありますが、ホモ・サピエンスと共存していたのは確かです。両者の間には熾烈な争いもあったと思われますが、通婚もあり私たちの遺伝子の中にはネアンデルタール人の遺伝子が混じっています。
ネアンデルタール人は私たち現生人類にとても近く、ホモ・サピエンスの亜種の可能性もあると考えられています。学名もホモ・サピエンスは「ホモ•サピエンス•サピエンス」と呼ばれ、ネアンデルタール人は「ホモ•サピエンス•ネアンデルターレンシス」と呼ばれています。実際、ネアンデルタール人は原人よりはるかに進化していました。彼らが摩擦熱を利用して火を起こすことを発明していたことは確かですし、石器などの武器も洗練されていました。彼らが日常的に食べる食物は動物性のもので、彼らの獲物は、狩るのに大きな危険のともなう大型の哺乳動物、マンモスとかケブカサイでした。
ネアンデルタール人に関する様々な説:埋葬の習慣・食文化・肌の色・成長特徴
ネアンデルタール人に関しては次のような定説がありましたが、この説もいずれ訂正される可能性があります。
原人と比べ多くの骨が発見されているのは、ネアンデルタール人が埋葬の習慣を持っていたからです。イラクの洞窟で発見された遺骨には一緒に花粉が見つかっています。遺体に花を手向ける習慣があり、何らかの宗教的な感情を持っていたようです。ある遺骨は手足が不自由であるばかりか左目を失っており、当時としては高齢の40歳ぐらいだったようです。野生動物の場合は体が不自由だと仲間から追い出されますが、ネアンデルタール人は、ハンディキャップの人も高齢になるまでていねいに扱われていたようです。
埋葬とか宗教的行事は死後の世界という抽象的なことを思い描く能力を持っていることを表しています。しかし、これには異論も出ています。ネアンデルタール人の骨が多く見つかっているのは、石灰質の洞穴で見つかっているからで、人骨は自然に埋まった可能性があり埋葬とは限らない、というのです。またネアンデルタール人は「人肉」を食べる風習(カニバリズム)を持っていたという説もあります。これは、出土した人骨についた傷の様子から食べられたヒトの骨であり、埋葬ではないといいます。このことより、ネアンデルタール人が他者を思いやる気持ちを持っていたかどうかも、もう少し検討する必要がありそうです。
ヨーロッパは緯度が高いため太陽光が微弱です。肌の色が黒いと日光を吸収しにくくビタミンDが不足になりがちです。したがって、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスに出会った頃、白化して紅毛碧眼で彫の深い顔をして白い肌をしていたと考えられていました。しかしDNA の肌や髪の毛の色に影響を与える遺伝子の解析の結果から、これも見直す必要がありそうです。白化していたという説は、ネアンデルタール人が寒い雪国で進化した「寒冷地適応」の種であり、ホモ・サピエンスがアフリカで進化した「熱帯適応」の種であるという思い込みからきているようです。
また出土した歯の解析から、ネアンデルタール人の幼児の成長期は原人よりは長くなってはいますが、現代人よりは短いことが分かってきました。上あごの「親知らず」は6歳以下で生えはじめており、これは現代人より4歳ほど早いそうです。つまり現生人類の特長である「成長遅滞」がまだ顕著には見られないということです。
ここまでネアンデルタール人に関するいくつかの説を紹介しました。みなさんが学校で習うことがらは、ほとんどが評価の定まった定説です。しかしこの世の中にはまだ分からないことがいくらでもあります。学問の世界では古い説が否定されることなどいくらでもあります。自分の唱えた説が否定されたとしても、それは汚点でも、非難されるべきことでもありません。公表された論文は公のものとなります。ですから、自分の書いた論文を自ら批判することさえあります。
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姿を消したネアンデルタール人と進化を遂げたホモ・サピエンス
ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスによって駆逐されたのか、あるいは自然の猛威に抗しきれなかったのか、いずれにしても絶滅への道をたどります。ホモ・サピエンスは世界中に勢力を伸ばします。両者の差は何であったのでしょうか。ネアンデルタール人は化石の骨格から見ても強力な肉体を持っていました。これに対し、ホモ・サピエンスは手足は細く体格は華奢でした。ネアンデルタール人は強靭な肉体を頼りに狩りに挑み、たびたび致命的な怪我を負うことがあります。一方ホモ・サピエンスは、一人ひとりはひ弱ですが集団になると大きな力を発揮します。
ネアンデルタール人との差は、ホモ・サピエンスが社会性のある集団を形成していたことにあると思います。ホモ・サピエンスは「成長遅滞」を獲得していました。脳が未完成で生まれてくるため、乳児期は脳に多くの栄養が取られ、そのため体の成長が遅れます。人間の認知力や思考力の発達にとって乳児期がとても大切なことが知られています。火を使い、肉を食べることによってヒトは幼児期に十分な知的能力をつけることができました。当時の過酷な自然環境のもとでは、子育ては集団保育でなければなりませんでした。集団の中で育つことによって、ヒトは自己と他者を意識するようになります。狩りなどの共同作業をうまくこなすには、個人の能力や得意分野を知り、他人の気持ちを察する能力が必要です。幼児期の学習によって、ヒトは自己を意識するようになり、食料となる動物や植物の多様性、環境の変化に対する適応力を学んだのだと思います。
ネアンデルタール人が住みついたのはヨーロッパと中東の一部だけでしたが、ホモ・サピエンスは、オーストラリアの南端のタスマニアから南アメリカ南端のパスゴニアにいたるまで世界中に住みつきました。