2.人間の起源と進化:人間の定義と脳の容積
ページ目次
知能とは何か
現在この世界に生きているすべての動物の中で、人間はまったく特異な存在です。人間と他の動物とを隔てる大きな違いは知能です。人間は他の動物より明らかに賢いとは言えても、どのようにどのくらい賢いのか言うことはできません。そもそも「知能とは何か」がまだはっきりと分かっていないからです。
前回の連載でチンパンジーが小さな数なら認識できることを見ました。しかしこのことより、たとえば「チンパンジーは人間の幼児の6歳ぐらいの知能だ」とか「人類の進化の初期のヒトの知能だ」と判断するのは、擬人化の危険性をはらんでいます。チンパンジーと人間とは、ものの感じ方とか認識の仕方が根本的に違うかもしれないのです。
自己認識:鏡像認知とは何か?
認知心理学がよく問題にするのは「自己認識」です。つまり自分と他者とを区別できているかどうか、です。『種の起源』を著したダーウィンは、チンパンジーに等身大の鏡を見せて観察しましたが、明確な結論を得ることができませんでした。ダーウィンから100年後、ドイツの認知心理学者が同様の実験をしました。チンパンジーにしばらくの間鏡を見せた後、麻酔で眠らせ、眠っているあいだに額に赤い印を付けました。目を覚ました後、チンパンジーに鏡を見せると、チンパンジーは自分の額に赤い印が付いているのに気づいた動作をしました。
まだ鏡を見たことのないチンパンジーに同様のことをしても、額に印が付いている気づいたそぶりは見せなかったそうです。それ以後この実験は「鏡像認知」という名で知られ、多くの人が追試験をし、象やイルカやある種の鳥なども鏡像認識ができることが知られています。興味深いことに、人間の赤ちゃんは生後10ヵ月から18カ月で鏡像認知ができるのに、チンパンジーは8歳以下では無理なようです。しかしながら、この「鏡像認知」がいったい何なのか、正確にはまだ分かっていません。
利他行動:動物の行動に見る他者を思いやる能力
もうひとつ「他人のことを思いやることができるか」というテストがあります。チンパンジーに赤と青のボタンを押させ、赤を押すと自分だけ、青を押すと自分を含め皆にエサが出る仕掛けを作ります。すると、チンパンジーは赤か青かを考慮せずランダムに推すそうです。つまり自分のことしか考えていないようです。
ある種の鳥は次のような「利他行動」が認められています。自分の巣にキツネなどが近づくと、わざと傷ついたふりをして自分の方にキツネをおびき寄せます。これは自分の遺伝子を守るためで、遺伝学ではよく知られています。ここで注意してほしいのは、こういった「利他行動」とか「思いやり」とか「好奇心」などといった複雑な行為が遺伝として認められていることです。
人間の認知力と思考力:将来予測と高次思考
他の動物にはなく人間特有の特質は「将来を予測する」ことです。石器時代の人は、目的地に向かって歩いたり、石器を作るために石を住居に持ち帰るなど「計画性」を持った行動をしています。また、人間の思考レベルを測る基準に次のものがあります。第1レベルは他者を認識すること。第2レベルは、他者がどのように考えているかを他者の立場で考えることができること。第3レベルは、ちょっと高度ですが、他者が他者の頭の中で「他者以外の第3者がどのように考えているか」を考えることができること。 このような脳の働きは、認知とはまた別の思考に分類されるものです。認知力は、眼や耳などのセンサーを使ってものを認識する力であり、思考力は、認識したものを演繹し評価判断する力です。人間はいつ頃から高い認知力や思考力を持つようになったのでしょうか。
--Advertising--
人間とは何か?人間の起源と他の生物とのつながり
生物学的な人間の定義
現在の私たちが「人間」について知ることが困難なのは、自分たち以外に近類の種がいないからかもしれません。人種というのは生物学的な”種“を表すのではありません。現在の人類は一つの種しかないのです。しかし50万年前には、現在の私たちに近い”種“がたくさんいたようなのです。なかでも有名なのがネアンデルタール人で、ネアンデルタール人の脳の容積は私たちより大きく、認知機能は私たちと余り変わらないと考えられています。
忘れがちですが、私たち人類も他の動物と同じ起源をもつ生物なのです。たとえばハエと人間は5億年前をたどると同じ祖先をもち、その遺伝子の3分の1を共有しているのです。いくら科学技術を誇り“頂点捕食者”として生物界に君臨しようとも、現在の私たちは他の生物と同じ生物学的過程の産物なのです。
人間の知能と脳の容積の関係:生物学的な視点からの考察
人間とは何でしょうか? これまで多くの哲学者が「人間」について考察をしてきました。しかし、生物学的で厳密な「人間の定義」を考えるようになったのは19世紀になってからです。人間とチンパンジーなどの類人猿との違いは”知能“であり、知能の違いは脳の容積に表れているように思えます。人間の脳の容積は 1000cc から 2000cc と大きな幅を持っていますが、小顔の人安心してください、脳の容積と知能とは関係がないようです。哺乳類でも、同じ種であれば脳の容積と知能は関係なさそうです。しかし哺乳類全体で、種と種を比較する場合は、脳の容積の平均値が知能と大きな相関を持ってきます。その場合は体の容積も考慮しなければなりません。体が大きくなれば当然脳も大きくなりますが、体が大きくなるほど脳の容積は大きくなりません。
人類の進化の系統図:古人類学の視点からの考察
古人類学者は、脳の容積だけでヒトの系統を分類するのを放棄しているようです。20世紀以来、私たち現生人類の近縁である化石が数多く発掘され、数多くの種が存在することが分かってきました。考古学者や古人類学者が頭を悩ませているのは分類の難しさです。特に脳の容積は一つの種の中でも大きなばらつきがあります。現在では、類人猿と人類との分岐点は「二足歩行」にあるとしています。二足歩行をしていたかどうかは、化石の頭骨や足の骨の分析などから判定できます。これによると、最古のヒト族の中で最古のものは700万年前近くにまでなるそうです。
私たちは学校でヒト族の系統を、猿人―原人―旧人―新人と習ってきました。古人類学の研究者にはこの用語を好まない人もいます。その理由として最近でも多くのヒト族の種が発見されていて、これらの定義がはっきり定まっていないことや、私たち現生人類の先祖がいったいどの種なのかはっきり分からなくなっていて、人類の進化の系統図が正確に表すことができないことなどが挙げられます。しかし本連載は学術書ではないので、難しい学名が氾濫すると混乱しますから、従来通り猿人、原人、新人といった用語を使うことにしました。猿人は最古のヒトの祖先で、身体的特徴はほとんど類人猿と変わるところがありません。二足歩行の類人猿と呼ぶ学者もいます。200万年前頃から猿人から進化したヒト族が現われます。これを原人と呼びます。原人にはいろいろな種があり、化石の発掘場所により、体の大きさや脳の容積にはばらつきがあります。200万年前は約400cc だった脳が、その100万年後には倍の約800cc に増加します。60万年ほど前に、ネアンデルタール人の祖先と人類の祖先が分岐します。これを旧人と呼びます。ネアンデルタール人の祖先はヨーロッパで進化します。人類の祖先はアフリカで進化し約20万年前にホモ・サピエンス(新人)へ進化します。20万年前には、現生人類である現在の私たちがほぼでき上がっていたのではないかと思われます。
人類の系統図において、どこから人間とみるかは研究者によってまちまちです。ここで用いている猿人、原人、新人などの用語はおおまかな概念を表すものであって、厳密な種の集合を表すものではありません。用語の補足説明をしておきます。一般に用いられている「ヒト科」という用語は類人猿を含みますから、原人の子孫全体をこの本では「ヒト族」あるいは単に「ヒト」と呼ぶことにします。本連載で用いている「原人」の代わりに「ヒト属」とか「ホモ属」という用語を用いる人もいます。“族”と“属”という漢字を使い分けていることに注意してください。
急速な進化をとげた人類二足歩行の役割
生物の進化を研究する古生物学者が問題にしているのは、人類の進化の速さです。この地球上に生命が誕生してから35億年、脊椎動物が生まれてから5億年です。動物の進化の速度と比べヒト族の進化は急速です。なぜ人間はこれほど早く進化したのでしょうか。また、同じ霊長類であるチンパンジーの祖先はなぜ進化しなかったのでしょうか。人間が進化したのは「二足歩行」のためだと言います。次回の連載では二足歩行によってどのように進化したのかを見てみましょう。