1-2.ユークリッドの原論-構成と定義
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ユークリッドの原論とは?
数学史上最も多くの人に読まれた本『原論』
ユークリッドの原論以上に世界中の人に読まれた本は「聖書」くらいのものだ、と言われるぐらい近世になるまで原論は広く読まれていました。実際、ヨーロッパの中世から近世にいたるまで、数学者はほとんどの人が原論を読んでいましたし、大学での教科書も原論でした。また、当時の特権階級には数学愛好者がいて、多くの人が原論を読んでいたようです。
原論の主眼は“事実”ではなく“証明”にある
ここでは原論の特徴をごく大まかに紹介したいと思います。原論の主眼とするものは、各命題が表している“事実”ではなく、なぜその命題が正しいのかを示す“証明”なのです。例えば、原論の中にはピタゴラスの定理についての証明がでてきます。ピタゴラスの定理には、現在までに何百という証明が考えられてきています。ガウス※などの数学者もいくつもの証明を考えています。もうすでに正しいことが分かっているのに、それに証明を考えたとしてもどうせ以前に同じ証明を考えた人がいるに決まっているのに、皆はなぜピタゴラスの定理の証明を考えるのでしょうか。現在では、ピタゴラスの定理の示す事実は、ピタゴラスの時代よりもはるか前にすでにバビロニアで知られていたことが広く知られています。しかし、原論に出ているピタゴラスの定理の証明は、やはり最も美しい証明の一つといえると思います。
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ユークリッドの原論の構成
『原論』は次の13巻からなる大著です。
- 第1巻~第4巻:平面幾何
- 第1巻平面幾何の基礎
- 第2巻面積の幾何学
- 第3巻円の幾何学
- 第4巻円と多角形
- 第5巻~第7巻:比の理論
- 第5巻量の比
- 第6巻相似
- 第7巻数の比
- 第8巻~第10巻:比と数論
- 第8巻連比
- 第9巻素数の完全数
- 第10巻非共測量(通約不能量)
- 第11巻~第13巻:立体幾何
ユークリッドの原論の構成
中世以降、ヨーロッパの大学では原論がテキストとして用いられていましたが、第1巻だけで、第2巻以降は難解で理解できなかったようです。原論は学生向けのテキストだと思っておられる方が多いように思われますが、それは第1巻だけで、全体として専門家向けに書かれた学術書です。特に第5巻以降はとても難解だと多くの数学者を悩ませてきました。
ヒルベルト・プログラム
19世紀になると、数学は格段と進歩し、原論はもはや数学のお手本ではなく批判の対象となっていきます。当時は「数学は普遍的な事実を述べる学問だから、どのような述べ方をしてもかまわない」という考えが支配的でした。ですから、当時の最新の数学を使って古代ギリシアの数学を解釈することになんの疑問も持たなかったのです。また、当時は数学を完全に形式化された体系にしようという運動が起こっていました。簡単にいうと、「数学上のすべての命題をコンピュータにも分かるような言語で表すことができるようにしよう」という運動です。これを提唱者の名を取って「ヒルベルト・プログラム」といいます。
実際ヒルベルトはユークリッドの幾何学を完全な形式的体系としてまとめています。当然のことながら、ヒルベルトの(したがって現在の)定義、公理、定理などの意味は、原論の定義、公準、公理、命題とは異なります。数学史の流れの中で、原論が批判されたことは当然の成り行きであったと思います。しかし現在では、原論を現代数学の視点で議論すると「ギリシア数学の歴史的意義」を見失うおそれがあると思います。これではギリシア数学のすばらしさをかえって損なうことにもなりかねません。
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ユークリッドの原論の『定義』
『原論』の定義をみてみましょう。第I巻はいきなり次の定義から始まります。
- 定義 1 点とは部分を持たないものである。
- 定義 2 線とは幅のない長さである。
- 定義 3 線の端は点である。
- …
定義 1は、点とは「位置を示す」機能だけを持つもので、大きさはない、といっています。定義 2は、線とは「長さを表す」機能だけを持つもので幅はない、といっています。定義 3 は、線には両側に端の点があると言っています。
非常に形式化された現代数学の意味では、これらは定義になっていません。定義 1,2,3 は点と線の意味を別の言葉で言い換えたものにすぎず、本文の中のどこにもこれらが引用しているところがない、と批判されることがあります。言葉を言葉によって定義するのですから、どうしても定義しきれない言葉が残ってしまいます。定義されない概念を原始概念といいます。現代数学は、非常に少ない原始概念を使ってすべての概念が定義されます。その基になる原始概念が集合です。現代数学の形式的な扱いは、いろいろ学んだあとに必要になってから学んだ方がいいと思いますから、ここでは省略します。原論では上で述べたような定義が23個続きます。
このように原論では、まずすべての用語の定義を済ませてから、議論に入ります。しかしこれは初心者にとって読みづらいと思いますので、具体的な例を挙げながら用語の説明をすることにします。したがって用語の定義が後になることもありますが、さいわい現代の皆さんはこれらの概念をご存知だと思いますから支障はないでしょう。
点・線・無限の扱い
『原論』と現代数学との大きな違いの一つは無限の扱いです。現代数学は無限を扱いますし、無限がなければ現代数学は成り立ちません。例えば、数学で最も基本的な実数でさえ、無限の概念がなければ存在することができません。ギリシア人が無限を扱わなかった理由を「ギリシア人の無限の忌避」とする本が多いようですが、古代の数学ではまだ無限の概念が必要なかったからはないでしょうか。人類は長い年月をかけ無限をとりいれ現代の数学を作りあげていったのだと思います。
本連載では用語は現代のものを用いますが、上の定義2, 3 で述べた“線”は原論の用語です。原論では、“線”は有限ですが、この後で述べるように“線”は両方向にいくらでも延長することができます。現代数学では直線は両方向に無限に伸びています。片方向に無限なものを半直線といいます。ギリシアの“線”のように両端のある者を線分といいます。また、現代数学では直線や線分を“点の集合”として扱います。半直線の端の点、および線分の両端の点を端点といいます。
まとめ
今回はユークリッドの原論の構成と定義について解説しました。『原論』を読み始めた人にとって、最初に定義や公理が長々と続くので取っつきにくく感じる部分もあるかもしれません。ニュートンも原論の冒頭を少し読んだ後しばらく読まなかったという話も残っています。しかし、定義や公理をきちっと述べてから議論を始めるというのが数学の流儀で、この流儀を確立したのが『原論』なのです。
次回は5つの公準について解説していきます。