1-1.古代ギリシアの数学と現代の数学

古代ギリシア数学の幾何と現代の数学

古代ギリシアの数学

数学の生まれ故郷は古代ギリシアだとされ、ギリシア数学についてこれまで多くの本が書かれてきました。ただし、ギリシアの数学とは幾何学のことで、現在私たちが学校で習う数学(つまり代数)とはちょっと違うのです。なぜか最近では古典的な幾何学を学校では扱わなくなってきています。ギリシアの幾何学が扱う対象は図形で、数値は一切出てきません。これはとても奇妙なことに思えます。というのは、数学はもともと商売や農業で生産物の量を計測したり、土木工事で土砂の量とか土地の面積を測ったり、租税の見積もりや計算などの必要性から生まれたものだからです。つまり、ギリシアの数学はこのような実用数学ではないのです。

ギリシアの有名な哲学者たち(たとえばアリストテレス)は、数学の目的は何か実用に役立つためのものではなく、「それ自身の美しさのため」に追及するものだと主張しています。本連載では、ギリシア数学の代表ともいえるユークリッドの『原論』について解説しますが、ユークリッドにもこんな話があります。あるとき彼の講義を聞きに来た生徒から「これらの命題は何の役に立つのですか?」という質問を受けました。ユークリッドは奴隷を呼んで、次のように述べたと言います。

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この男に3オボロスを与えなさい。
彼は学んだものから利益を得ようとしているから

  (※オボロスは古代ギリシアの銀貨の単位)

科学の発展と数学

数学が役に立つようになったのは、17世紀の終わりごろから西ヨーロッパで始まった科学革命の時代からで、西ヨーロッパが未曾有の発展を遂げたのに数学が大きくかかわっています。さらに20世紀後半から始まったコンピュータの発達により、今では数学は社会にとってなくてはならないものとなっています。おそらく皆さんの中の大多数の人にとって、数学をする目的は、中学、高校、大学などの入試のため、あるいは企業に入って役立てるためではないかと思います。おそらく現代では、“数学が楽しい”と思っている人はよほどの変わり者なのかもしれません。

論証数学の萌芽は古代ギリシア古典期に生まれた

古典期

古代ギリシア人が“実用には役に立たない”といいながらも情熱をもって構築した幾何学とはどんな学問だったのでしょうか。どのような時代背景のもとで、なぜギリシアは幾何学を生み出すことができたのでしょうか。まず、簡単に歴史を振り返ってみることにしましょう。

当時(紀元前5世紀の初め)ギリシアは大国ペルシアとの戦争に勝ち、未曽有の発展を遂げようとしていました。なかでもペルシア戦争で主役を演じた、ギリシア最大のポリス(都市国家)アテナイは大きく発展し、ギリシア世界の各地から、また外国からも多くの技術者、哲学者、科学者が集まってきました。戦利品や交易により富が集まり、戦争によって得た奴隷のおかげで労働から解放されると、有閑層が生まれます。彼らは議論好きで、アゴラ(公共広場)や貴族の家で開かれるサロンに集まっては政治や哲学、時には科学について議論を戦わせます。

そのような場面では、「何が真実か」と言うことよりも「相手を打ち負かすこと」に熱中するものです。独創的で新奇な意見がもてはやされ、筋の通らない意見や矛盾した推論が横行したことでしょう。哲学の祖といわれるソクラテスはよく議論の途中で「ところで君の言うxxxという言葉の定義は何かね」と、相手の使った言葉の定義を聞いたそうです。まずお互いの言葉の意味を共通にしておかないと議論にはなりませんから、相手にやり込められないためにも、まず言葉の意味をきちっと定義しておく習慣がついたのでしょう。このような中で、弁論術や修辞学(しゅうじがく)が発達しました。

紀元前5世紀の後半から、アテナイは哲学、文学、演劇、建築、美術工芸など多くの分野で大きな成果を出します。この時代を古典期といいます。ユークリッドの『原論』は、この時代より後のヘレニズム時代に書かれたものですが、論証数学の萌芽は古典期に生まれたものだと、多くの数学史の専門家は考えています。

ヘレニズム

ギリシアの古典期の次はヘレニズム時代で、文化の中心はエジプトのアレクサンドリアに移ります。ヘレニズム期の後、東地中海一帯はローマの支配を受けエジプトはローマの属州となります。ギリシアのアテナイは、政治経済的には落ちぶれますが、ローマなどから貴族の子弟の留学先となり、学園都市として存続しつづけます。「ローマは武力によってギリシアを支配したが、文化的にはギリシアの奴隷となった」とも言われています。文芸や哲学などは西ヨーロッパに伝わりましたが、数学や天文学などの自然科学は伝わらなかったようです。

中世・近世以降の『原論』

ギリシア数学は、アラビア語に翻訳され東アジアで継続し研究されていましたが、12世紀になってやっと西ヨーロッパに伝わります。しかし、当時の西ヨーロッパはまだ遅れていたので、これらを完全に消化し自分のものとするにはこれから300年以上もの月日が必要でした。つまり、中世の終わりごろから近世にかけて、ヨーロッパの人たちは『原論』を通して“数学”を学んだのです。

数学の教科書として使われていた『原論』

ニュートンの時代も『原論』は数学教育の基礎でしたし、20世紀に入ってもヨーロッパの学校ではまだ数学教育の重要な位置を占めていました。現代の数学のやり方、前もって使用する用語の“定義”を明確にし、誰もが納得できる前提を“公理”とし、疑問の余地のない完璧な推論を用いて命題を“証明する”といった基本的な数学の形式は『原論』を手本としていたのです。

こういったわけですから、『原論』はいわれのない過重な重荷を背負わされていたように思います。つまり、近世までの西ヨーロッパの人たちにとって『原論』は、学問の完成された形として学ぶ対象であり、仰ぎ見る存在でした。一字一句そのままの形で読み、定義を変えたり、命題の順番を変更することさえありませんでした。しかし、数学も他の学問と同じように時代と共に進歩していくものです。2千年以上前といえば日本でいえば縄文時代です。数学や数に対する考え方も時代と共に変化してきますし、数学も進歩します。

数学の原型としての『原論』

数学史の専門家は「古代の数学を述べるのに現代の概念や技術を用いてはならない」とよく注意します。例えば古代ではまだ、“実数”とか“無理数”という概念は現れてはいません。むやみに現代数学を用いると“時代錯誤”に陥ります。もちろんこの注意は尊重しなければなりませんが、これはとても難しいことです。「数学は言語だ」とよく言います。現代の発達した数学の記法や用語を用いれば、表現がとても簡単になることがよくあります。現代の英語を日本語に翻訳するときでさえ、誤訳が紛れ込みます。

古代の数学は古代の概念で

本連載は研究書ではないのですから、平易な現代数学の用語を用います。幾何学に代わって発達した代数では“式”を使うようになっています。本書でも式を使いますが、式は“言葉を言い換えたもの”つまり“言葉の略記法”に限ることにします。しかし、やはり現代数学で書き換えてしまうと、誤りが紛れ込む恐れが多分にあります。次の本は、古代の『原論』を忠実に訳されていますし、ていねいな解説もありますから、疑問な点がありましたら参照してください。

  • ・ エウクレイデス全集第1巻『原論』I-VI, (訳・解説)斎藤憲、三浦伸夫, 東京大学出版会 (2008)
  • ・ エウクレイデス全集第2巻『原論』VII-X,(訳・解説)斎藤憲、三浦伸夫, 東京大学出版会 (2015)

 

以下本書で『原論』と引用した場合は上の著書を指します。 ユークリッドは英語読みで、最近ではギリシア語の“エウクレイデス”の方がよく使われているようですが、ここでは馴染み深いユークリッドを使うことにしました。また、『原論』はギリシア語ではストイケイアといい、「基本的知識」という意味のようです。

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