ユークリッドがといたピタゴラスの定理の美しい照明についての動画解説です。
ピタゴラス とは?
ピタゴラスは、古代ギリシアの宗教家であり数学者・哲学者でもあります。彼は 「数には神秘的な力が宿る」 と考え、各数字に独自の意味を与えました。
万物は数と調和によって統一されている
── この信念のもと、ピタゴラスは宇宙の法則や自然の秩序を、すべて数の関係で説明しようとしたのです。
時代背景 ピタゴラス が活躍した時代はどんな時代?
ピタゴラスが活動したのは、古代ギリシアの 紀元前6世紀(アルカイック期)。
この時代、ギリシア世界では文化・哲学・科学の芽がいっせいに伸び始めていました。
彼の出生地とされる サモス島 は、イオニア海域に浮かぶ島で、当時すでに商業と海上交易で栄えた有力都市。こうした活気ある環境のもとで、ピタゴラスは「数」と「調和」を軸とする斬新な思想を育んでいったと考えられます。
周辺背景 ピタゴラス が活躍した国とその周辺情報
ピタゴラスが生まれた紀元前6世紀、ギリシア世界は次のような地理構成でした。
•ギリシア本土
本土東側にはポリス・アテナイ(古名アテナイ)が位置する。
•エーゲ海
本土とアナトリア(小アジア)の間に広がり、サモス島をはじめ大小の島々が点在。
•クレタ島
エーゲ海よりさらに南、地中海に浮かぶ大島。
•アナトリア(小アジア)
現在のトルコ西部沿岸。西岸一帯は イオニア地方 と呼ばれ、ギリシア系都市が繁栄。
•黒海
アナトリア北方に広がる内海。
•レヴァント地方
イオニアの南、東地中海沿岸(現在のシリア・レバノン・イスラエル付近)。
•エジプト
さらに南下するとナイル川デルタ(下エジプト)に到達。
東地中海一帯は、古来 エジプト文明 と メソポタミア文明 の周辺部として栄え、島々と沿岸都市が結ぶ巨大な交易ネットワークが形成されていました。ピタゴラスの生まれ故郷 サモス島 もその要衝に位置し、多様な文化・知識が行き交う環境が彼の思想形成を支えたと考えられます。

ピタゴラスの定理とその背景
直角三角形の三辺の関係を示す 「三平方の定理」 は、別名 「ピタゴラスの定理」 として知られ、幾何学で最も有名な定理のひとつです。また、この定理を満たす自然数の組── 例 :(3, 4, 5) や (5, 12, 13) ── は ピタゴラス数 と呼ばれます。
実はこの法則自体は、ピタゴラス(紀元前6世紀頃)よりはるか以前から各地で利用されていました。
・古代バビロニア(紀元前1800年頃)の粘土板には、直角三角形の辺の長さを計算した例が残っています。
・古代エジプトでは「ロープ測量」と呼ばれる方法で、長さ 3 : 4 : 5 の結び目を付けた縄を使い、正確に直角を作っていました。
こうした実践知が体系化され、ギリシアの数学者ピタゴラスの名と結び付いて今日まで伝わっているのです。
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万物は数 ――ピタゴラスが抱いた“数”への信仰
ピタゴラスは数に神秘的な力が備わっていると考えました。
彼は それぞれの数に固有の意味を与え、世界(宇宙)で起こるあらゆる出来事を数に結び付けようとしました。すなわち、一つひとつの数には固有の個性があると見なしたのです。
ピタゴラスは、自らが率いる「ピタゴラス教団」を組織し、弟子たちとともに学問を深めました。この集団では数学や哲学の探究に加え、独自の宗教的・倫理的教えも重視されていたと伝えられます。
当時の古代ギリシアでは、科学や数学はまだ現代のように体系化されていませんでしたが、ピタゴラス学派が「数」の重要性を強調したことで、数学は哲学や宗教と強く結びつくことになったのです。
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ピタゴラス学派が『数』についてどのように考えていたか、長きに渡って語り継がれてきたエピソードをご紹介します▼
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ピタゴラス の名言

万物は数である
あらゆる現象の背後には数が潜み、世界の調和は比によって示される。
── すなわち「宇宙は比に支配され、万物は数である」。