歴史の父ヘロドトス
古代ギリシアの歴史家で、ペルシア戦争について書いた「ヒストリアイ」の著者。ヒストリアイは『歴史』と訳されていますが、彼が用いたヒストリアイは「調査する」という意味の動詞ヒストレオから派生したものです。
『歴史』のような紀行文や歴史が書かれるようになったのはヘロドトスからです。『歴史』は、現在の歴史の教科書のような事実の羅列ではなく、人びとに面白く伝える読み物です。古い伝承や人から伝え聞いたお話が多く含まれており、同時代の事件でも登場人物の会話を交えた、さながら演劇の台本のようでした。ヘロドトスは「歴史の父」とも呼ばれています。
ピラミッドの謎
ヘロドトスが活躍した時代はギリシア古典期の終わりごろで、多くのギリシア人がエジプトの進んだ文化を学びに訪れています。これを「エジプト詣で」と呼んでいる歴史家もいます。ヘロドトスもエジプトを訪れ、当時のエジプトの風習や文化を生き生きと伝えています。
「ピラミッドの謎」に関する著作の中にはヘロドトス文書なるものがよく出てきています。長い間多くの偉人たちを魅了してきたピラミッドの謎とは?古代エジプトの『数』に関する3つの謎を解き明かす連載はこちらから▼
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歴史の記述と「暦」
ヘドロトスは『歴史』をアテナイの人々のために書きました。アテナイ暦の1月は、夏至の直後の新月に始まります。しかしヘロドトスは1年を春に始まることにしています。これはメソポタミアの多くの国、特に大国ペルシアに合わせたのだと思われます。ヘロドトスは歴史家として年代を世界標準に合わせる必要があったのでしょう。
歴史の記述には「暦」が必要です。古代ギリシアの暦については以下で詳しく説明しています▼
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