エラトステネス とは?
古代ギリシア、ヘレニズム時代の地理学者・天文学者。アレクサンドリアの図書館長。地球の周長(約4万km)を測定したと言われています。一度にたくさんの素数を見つける「エラトステネスのふるい」という方法の名前は彼に由来しています
時代背景 エラトステネス が活躍した時代はどんな時代?
エラトステネスが生まれた時代は、紀元前3世紀の古代ギリシアで、ヘレニズム時代と呼ばれる時期でした。この時代は、アレクサンドロス大王の東方遠征によってギリシア文化が広く普及し、地中海東部から中東、エジプトにかけてギリシア的な文化や学問が栄えた時代です。
周辺背景 エラトステネス が活躍した国とその周辺情報
エラトステネスが活躍したアレクサンドリアは、紀元前3世紀の学問の中心地でした。アレクサンドリアにはアレクサンドリア図書館とムセイオン(学術研究所)があり、各地から集まった学者たちが最先端の研究を行っていました。
アレクサンドリアの図書館長
アレクサンドリアの西方、現在のリビアにあるキュレネに生まれました。しばらくの間学園都市アテナイで学んだ後、プトレマイオス王朝の王子の家庭教師として招かれ、エジプトのアレクサンドリアにやってきました。その後、図書館の館長に就任し、終生をアレクサンドリアで過ごしたと言われています。エラトステネスに関しては数多くの逸話が伝えられています。
エラトステネスはアルキメデスから手紙をもらっており、一流の学者と認められていたようです。しかしあまりにも多くの分野に手を広げたため、どれか一つに抜きんでていたというわけではなさそうです。エラトステネスはその知識の広さから「ベータ ( β )」(ギリシア文字の二番目の文字)と呼ばれていたようです。これは、「学問の全分野で一番の才能を持っているわけではないが、全分野で優れている」ことを意味しています。
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エラトステネス と 地球の大きさ
エラトステネスは、地球の周囲の長さを測定したと伝えられています。伝記などによると次のように言われています。
大図書館の図書館長であるエラトステネスは、ある日エジプトの年中行事の書かれたパピルスを読んでいました。その中でアレクサンドリアの南にあるシェネという町では、夏至の日の正午に、深い井戸の底に太陽が映ることを知りました。つまりシェネでは夏至の日の正午には太陽は真上にあることになります。一方、アレクサンドリアでは、同じ夏至の日の正午でも物体に影ができていました。つまり、太陽がわずかに傾いて見えるということです。エラトステネスは夏至の日の正午、アレクサンドリアで真っすぐに立てた棒の影の長さを測りました。その影の長さから、棒と太陽光線がなす角は 7度12分でした。7.2 ÷ 360 = 1 / 50 ですから、7度12分は地球1周 360度の 1 / 50 であることが分かったのです。
そこでエラトステネスは、測量士を使ってシェネとアレクサンドリア間の距離を測ると、その結果は「5000スタディオン」でした。スタディオンとは当時使われていた長さの単位です。シェネとアレクサンドリア間は地球の 1 / 50 ですから、地球の周長は 5000 × 50 = 25万スタディオンとなります。
1スタディオンが現在の単位でどのくらいになるかはいろいろな説があり、150メートルから180メートル前後と言われています。1スタディオン=160メートルとすると
250,000 × 160 m = 40,000,000 m = 4万キロメートル
となり、実際の地球の周長の 約4万キロメートルに非常に近い値となります。このようにしてエラトステネスは地球の周長を算出したと言われています。
この測量の伝承には、いくつかの疑問点が指摘されています。以下の記事ではエラトステネスの時代について詳しく調べ、深掘りしています▼
〔Web連載 ピラミッドの謎〕 5-6.エラトステネスの地球の測量
関連記事以下の記事で詳しく解説しています++。
エラトステネスのふるい
一度にたくさんの素数を見つける方法にエラトステネスのふるいと呼ばれる方法があります。素数とは 1 と自分自身以外に約数を持たない自然数のことです。
素数に関する解説はこちら▼
[ 知る・調べる – 用語 ] 素数
関連記事以下の記事で詳しく解説しています++。
20世紀に入ってコンピュータが発達すると素数が大勢の人の注目を集めるようになりました。エラトステネスのふるいは、大きな素数表を必要とする素数の研究者にとっては貴重なものでした。
このアルゴリズムにはエラトステネス名前がついていますが、素数の研究が盛んになった後世の誰かがこのアルゴリズムにエラトステネスの名前を割り当てただけかもしれません。