PROFILE:No. 9 三大数学者の一人。万有引力の法則で知られる天才

アイザック・ニュートン

  • 時代 1642 - 1727
  • 出身地 イギリス
  • 肩書き 数学者・天文学者・物理学者
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アイザック・ニュートン とは?

「りんごが木から落ちるのを見て、万有引力を発見した」


この有名な逸話で知られるアイザック・ニュートンは、17世紀のイギリスで活躍した数学者・物理学者です。微積分学の創設者の一人でもあり、万有引力の法則や運動の三法則など、近代科学の礎を築いた人物として知られています。

時代背景 アイザック・ニュートン が活躍した時代はどんな時代?

ニュートンが活躍した時代は、「科学革命」のまっただ中。

それまでの世界観が大きく塗り替えられていく中、1665年から1666年にかけてロンドンでペスト(黒死病)が猛威をふるい、大学は閉鎖され、ニュートンは故郷で隔離生活を送ることになります。

しかしこの孤独な2年間のあいだに、彼は光学、力学、そして微積分において画期的な発見を次々と成し遂げました。この奇跡のような期間は「驚異の年(Annus Mirabilis)」と呼ばれています。


幾何学中心だった数学の思考様式を、代数的・解析的な方向へと導いたニュートンの革新。その歩みをたどれば、現代にまで続く科学の基盤がどのように築かれたのかが見えてきます。

万有引力の発見 – りんごから宇宙へ

「ニュートンは、りんごが木から落ちるのを見て万有引力を発見した」

この話はあまりに有名ですが、そこには“科学の時代”の幕開けを象徴する深い意味が隠されています。ある日、ニュートンが庭でくつろいでいたとき、1つのりんごが木から地面に落ちるのを目にします。その瞬間、彼はふとこう考えました。

「あっ、そうか。月も地球に落ちているのだ——

月が地球に落ちる力と、地球から飛び出そうとする力がつり合っているから、あの軌道を描いているのだ。太陽や惑星など、宇宙の壮大な現象も、地上のりんごの落下も、すべて同じ単純な法則に支配されているのではないか?」

この洞察こそが「万有引力の法則」の発端となり、やがて『プリンキピア』でその理論が打ち立てられていきます。

自然現象を“神の意志”ではなく、“普遍的な数理法則”で説明しようというこの姿勢は、まさに“科学の時代”の到来を告げるものでした。

科学革命の金字塔『プリンキピア』の執筆

ニュートンが歴史的名著『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)』を著すきっかけは、意外にも一人の訪問者との会話でした。

ある日、天文学者エドモンド・ハレーがニュートンを訪ねてきます。彼はケプラーの惑星運動の法則に関する疑問を投げかけました。ニュートンはすぐに、理論的にその法則を導けると答えたのです。

その返答に感銘を受けたハレーは、ニュートンに王立協会での講演を勧めますが、彼は講演ではなく一冊の書物にまとめることを選びました。こうして約2年の歳月をかけて執筆されたのが、『プリンキピア』です。これは単なる観察の記録ではなく、自然界の運動を支配する根本的な法則を厳密に定式化した、科学史上最も偉大な書のひとつとされています。

この書物でニュートンは、単に「物体は互いに引き合う」と述べるだけではありません。引力が距離の二乗に反比例すること(逆自乗則)などを数学的に定式化し、そこから惑星の運動や潮の満ち引きに至るまで、多くの自然現象を論理的に導き出しました。

興味深いことに、彼はすでに微積分法という強力な道具を自ら開発していたにもかかわらず、『プリンキピア』ではそれを用いず、あえてユークリッド幾何学に基づく古典的な手法で記述を行いました。

この選択は、当時の学術界への配慮でもあり、同時に古代ギリシア以来の伝統を受け継ぎながら、新しい時代を切り拓く橋渡しでもあったのです。

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微分積分法の発見 – 驚異の年

アイザック・ニュートンは、ライプニッツと並んで微分積分学の創始者として知られています。

彼がケンブリッジ大学で学位を修得した直後、1665年、ロンドンでは黒死病(ペスト)が猛威をふるい、大学は一時閉鎖を余儀なくされました。ニュートンは故郷ウールスソープに戻り、ほとんど人と接することのない約2年間を過ごします。

この隔離期間中、彼は学問に没頭し、人生でもっとも創造的な時期を迎えました。

微分積分学の基礎理論光と色に関する光学的考察、そして後に「万有引力の法則」へとつながる天体運動の洞察——これらニュートンの偉大な業績の多くは、この2年間に芽吹いたとされています。

この期間は後に「驚異の年(Annus Mirabilis)」と呼ばれ、近代科学の夜明けを象徴するエピソードとして語り継がれています。

最後のバビロニア人― もうひとつのニュートン像

科学革命の英雄、近代物理学の祖――

そんな称号に包まれたニュートンですが、彼の真の姿はもっと複雑で、神秘的です。

経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、晩年に手に入れたニュートンの未公開文書を読み解いたうえで、こう語りました。

「ニュートンは近代人ではない。彼は最後の魔術師、最後のバビロニア人、最後のシュメール人であった」

錬金術、神学、占星術…

ニュートンは現代的な科学者であると同時に、古代の神秘思想にも深く傾倒していたのです。

科学と魔術、理性と神秘――そのあいだに立ち続けたもうひとりのニュートン像を知りたい方は、ぜひこちらの記事もご覧ください

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最後のバビロニア人『ニュートン』のお話 [Vol.1]:科学革命の旗手

アイザック・ニュートン の名言

私は海岸で貝を拾って遊ぶ子供と同じだ。目の前には未知の大海が横たわっている

この言葉は、科学史に残る数々の発見を成し遂げたニュートンが、自身を謙虚に振り返ったときの名言です。

今日では地球上のあらゆる地域に人々が暮らし、衛星や探査機が宇宙の果てまでも到達しようとしています。「もう未知の世界など存在しない」と感じている人もいるかもしれません。

しかし、ニュートンの言う「未知の大海」は、今なお広がり続けています。

その“海”は、物理学の最前線かもしれませんし、量子の世界かもしれません。あるいは心の働きや生命の起源、人類の未来といったテーマかもしれません。


重要なのは、それに気づく目を持つこと。

私たちは、貝を拾い集めるように、小さな発見を重ねながら、この広大な大海に少しずつ足を踏み入れていくのです。

自分は巨人の背に乗った子供にすぎない。私が少しでも遠くを見ることができたのは巨人のせいだ

ニュートンは、どんな天才であっても、すべてを一人で成し遂げられるわけではないことを、この言葉で表しています。

彼が「巨人」と呼んだのは、古代ギリシアの数学者たち、そして近世の先駆的な科学者たち——つまり、先人たちの知の積み重ねです。


ニュートン自身、ユークリッドやアルキメデス、ガリレオ、デカルト、ケプラーなどの知見を徹底的に吸収していました。

現代に生きる私たちもまた、こうした「知の巨人たち」の肩の上に立っているのです。


さらに視野を広げれば、ヨーロッパの科学も、古代オリエントやイスラーム世界の知恵の影響を受けていたことが、近年あらためて見直されています。

文明も、学問も、誰かひとりの功績ではなく、長い時間と多くの人々の協力によって育まれてきたものなのです。

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