科学の時代の始まり
ページ目次
近代科学の生みの親 ガリレオ
天文学者ガリレオ
ガリレオ・ガリレイはみなさんがご存知の通り、近代の科学の生みの親ともいわれる人で、現代の物理学、あるいは数学の基礎を築いた人です。しかしガリレオが有名なのは、むしろ天文学においてです。ガリレオは望遠鏡を作成し、それを天体に向けた最初の人で、天体観測により、数々の驚くべき発見をしました。ガリレオが天文観測始めてからちょうど 400年目が2009年で、この年は「国際天文年」と名付けられています。望遠鏡の発明は天文学のあり方を根本的に変えました。このように、器具や機械が科学のあり方をガラリと変えることはよくあります。現在ではコンピュータの出現により科学の研究方法も変わってきています。コンピュータ自身を研究対象としたコンピュータ・サイエンスという学問さえ現れています。
ガリレオが後世に残したもの
しかし、ガリレオが科学に与えた重大な影響は、天文学における数々の発見ではないのです。望遠鏡を発明したのはガリレオではありませんし、ガリレオがなしとげた天体上の発見もガリレオがいなかったとしても、他の誰かがなしたことでしょう。ガリレオが後世に与えた絶大な影響は、物理学(数学)においてであり、ニュートンをはじめ数々の学者がその影響を受け、物理学(数学)を作り上げていったのです。
ガリレオの伝記は数多く書かれています。しかし彼の行った研究が具体的にどのようなものであったのか、また現在の物理学や数学にどんな影響を及ぼしたのかについては、あまり述べられていません。実はこれを正確に述べるのはとても難しいのです。なぜ難しいのでしょうか。まずこれについて説明しましょう。
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速度とは何か
速度の計算方法
ガリレオ自身が言っているように「数学は言葉」です。言葉がなければなにごとも述べることができません。ガリレオの研究を一言で述べるとしたなら「落下の理論」といえます。この理論にはいろいろな概念つまり言葉が出てきますが、まず速度(速さ)について考えてみましょう。皆さんは、「速度とは何か」と聞かれたら即座に
速度 = 移動距離/時間
と答えると思います。本連載では“速度”が頻繁に出てきますから少し復習しておきましょう、現在の物理では「数+単位」を“量”と呼んでいます。“量”は以下のように“数”と同じように計算できます。ここで、h=時間、s=秒です。
時速 36キロ = 36 km/h
= 36キロメートル / 1時間
= 36000 m / 3600 s = 36000/3600 m/s = 10 m/s = 秒速 10 メートル
自動車とか野球などの打球測度では「時速 36キロ」と言い、気象では「風速10メートル」と言いますが、両者は同じものを示しています。よくガリレオは「“瞬間速度”の発明者だ」と言われますが、本当でしょうか。車とか打球の球速を測るのに、スピードガンが用いられますが、これはマイクロ波を反射してその反射波を計測するのですが、(非常に短い)時間に進んだ距離で計算します。けっして瞬間ではありません。車とか打球の瞬間を写した一枚の写真(スナップショット)だけからは速度は判定できないのです。現在の数学における速度の定義は「関数とか極限」といった概念を用いたものですが、ガリレオの時代にはそんなものはありません。
時代背景の理解
数学史とは数学がどのように発達してきたかを調べる学問です。数学で扱われる概念は時代とともに変化し発達してきました。ガリレオの業績をガリレオの時代にまだなかった数学を使って述べることはできないのです。第一に上の議論ではメートル法を使っていますが、ガリレオの時代はこのような共通の単位がありませんでした。さらに上では「距離/時間」としていますが、ガリレオは自然数以外の割り算を使っていません。ガリレオが使っていた数学言語は、当時流行り出した“代数”ではなく、ギリシアの“幾何学”でした。
ギリシア数学 – 比の理論
数と量
ここで、ギリシアの幾何学における数と量について復習しておきましょう。ギリシアでは数は自然数だけで、長さ、面積、体積、角度は“量”として、“数”とは全く別物だと考えていました。その証拠は ユークリッドの『原論』の比の理論を見れば明らかです。『原論』では「数に対する比の理論」と「量に対する比の理論」が別々に独立に論じられています。現代から見ると、同じ定義、同じ命題とみなされるものが独立に述べられているのです。論理を最も重要視する『原論』ですから、「数も量の特別な場合」と見るならば、このような重複は許しません。
「異なる種類の量」の比較
現代では比 a : b は分数 a/b とみなされます。だとしたら「距離 : 時間」は「距離 / 時間」とみなせばよいのではないか、と思うかもしれませんが、ギリシア数学ではこれができないのです。比 a : b は、「a は b の何倍か」という概念の拡張概念で、「a と b は大きさが比較できる量」つまり「a と b は同じ種類の量」でなくてはならないからなのです。「6メートル」と「3秒」はどちらが大きいか比較ができません。したがって「6メートル 対 3秒」という比は考えることができないのです。ガリレオ自身は比の理論から離れることはできませんでしたが、ガリレオの後継者たちはやがて
6m / 3s = 6/3 m/s = 秒速 2 メートル
と計算するようになります。こういった意味でガリレオは、「幾何学から代数を自立させた人」とみなされることがあります。
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ガリレオの時代
「時間」の導入
ガリレオが比の理論から離れられなかったのには理由があります。ヨーロッパではまだ度量衡の単位がまちまちで、国の違いだけでなく、隣村でさえ違っていました。したがって、長さや重さなどの量は“比”で表すほかなかったのです。しかしここで強調しておきたいのは、ガリレオが“時間”という物理量を導入したことです。現在の私たちは“分”とか“秒”という時間の単位を当たり前のように使っています。もちろん当時はそのような単位はありません。ガリレオは自ら水時計を製作し、時間の単位を決めたのです。現代の皆さんも、もし皆の持っている時計がまちまちだったとしたなら、どのように速度というものを定義したらよいか、考えてみてください。ガリレオは時間を導入しただけでなく、それを用いて「落下の理論」を構築しました。
代数学は10進数と共にアラビアからヨーロッパに伝えられたものでしたが、ヨーロッパで独自の発展を遂げつつあり、アラビア数学を凌駕しようとしていました。しかし代数を教えるのは、商人や技術者を対象とした“算術教室”においてであり、大学で教えるのは“低級”な代数ではなく、“高級”なユークリッドの幾何学でした。当時は階層社会で、すべてのことが“高級”から“低級”へと階級に分けられていました。時は“大航海時代”も佳境に入っています。世界中から新しい知識や物品が入ってきており、もはや商業や技術は確固たる地位を築いていました。 ガリレオは著書『新科学論議』の中で登場人物に次のように語らせています。
「ヴェネチアでの有名な海軍工廠での実践的経験は、思索的な知性にとって哲学するための広大な場を提供してくれたように思います。特に、機械学と呼ばれている分野においてそうなのですが、そこではあらゆる種類の器具や機械が大勢の職人たちによって稼働しており、そこで生じるあらゆる種類の効果の原因を探究する技術者との話し合いは、私に有益な示唆を与えてくれました。」
ガリレオとアリストテレスの自然学
アリストテレスの自然学はラテン語で physica といい、これは英語の物理 (physics) にあたります。ガリレオはよくアリストテレス説に批判をしていましたから、「自然学(哲学)から物理を自立させた人」と呼ばれることがあります。当時は新発見や新理論がもてはやされており、アリストテレスの教条主義を否定する著作は一般の人々の受けがよかったようです。しかし当時は階級社会であり、神学教授や哲学教授は、数学教授より何倍も高給を取っていました。ガリレオがトスカナ大公付き首席数学者に任命されたとき、ガリレオは肩書に「哲学者」を追加してくれるように頼んでいます。ガリレオは、神学者や哲学者の専門領域にずかずか乗り込んでいく著作を書きました。そのため神学者や哲学者の中には敵対するもの、痛烈な批判をするものもいましたが、ガリレオの才能を認めている人も多くいました。科学が哲学や神学から自立するのは、ガリレオやニュートンの死後200年以上も経ってからのことです。
多くの実験を行ったガリレオ
実験と測定
やはりガリレオが後世に残した影響の中で、最も重要なのは「実験と測定」でしょう。ガリレオは以下の節で述べるように多くの実験をしました。そういった実験では測定誤差が生ずることを知っていましたし、ある予測が正しいこと、あるいは間違っていることを実験によって確かめるためには多くの枝葉末節なことを取り払って、本質的なことがらに的を絞らなければならないことも知っていました。つまり、数学的なモデル化です。ガリレオの測定した値はすべて自然数でしたが、著作としてまとめるときは、長さ、時間、速度などの“量”は、線分(の長さ)として表現しています。これらはやがて“数”とみなされます。ガリレオの最大の貢献は「自然科学への数学の応用」を可能にしたことです。
落下の理論
ガリレオは若いころからずっと「落下の理論」を考えていました。最初の頃は「速度は移動距離に比例する」という“誤った原則”をもとに理論を構築していました。彼が納得できる「速度は時間に比例する」という“正しい原則”に至ったのは、有名なガリレオ裁判が終わって、著作活動に入った人生の終盤のころです。理論的な著作では、発見された順に書かれているとは限りません。基本的で基礎的な概念が、著作としてまとめる段階で始めて導入されるということがよくあります。ガリレオは長い研究活動の間にいろいろな概念を用いていますが、これらは現代の用語とは異なります。本連載はなるべく多くの人に数学を知ってもらうのを目的としていますから、現代の用語を用いることにします。また述べる順番も時間軸に沿ったものではありません。ガリレオの行った実験や研究成果は、手稿や手紙類として残っています。これらについての詳細な研究が次の書にありますから、正確な情報を知りたい読者はこれを参照してください。以下ではこの著作を『迷宮』と引用することにします。
ガリレオの迷宮、高橋健一著、共立出版 (2006)
ガリレオが研究で得た原則や規則の名称、例えば上で述べた「誤った原則」などはこの著作『迷宮』からのものです。ただし、後述の「時間自乗則」だけは「時間平方則」に変更しました。
ガリレオは、コペルニクスが唱える地動説を支持し、この説がキリスト教の教理に反しているということで異端裁判にかけられたことは有名です。以下の記事ではガリレオ裁判について検証します▼
ガリレオ裁判の真相[vol.1] :“近代科学の父”ガリレオの生涯
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