PROFILE:No. 24

ナポレオン

  • 時代 1769 - 1821
  • 出身地 フランス
  • 肩書き 皇帝・軍人

ナポレオン とは?

ナポレオン・ボナパルトは、フランス革命の激動の中で台頭し、ヨーロッパ全土に影響を与えた歴史的な人物です。軍事指揮官、皇帝として知られるナポレオンは、驚異的な戦略で多くの戦争に勝利し、フランスだけでなくヨーロッパ全体を変革しました。

時代背景 ナポレオン が活躍した時代はどんな時代?

ナポレオンが活躍した18世紀後半から19世紀初頭は、フランスとヨーロッパにとって大変革の時代でした。この時期、フランスではフランス革命が起き、王政が崩壊して共和制へと移行しました。しかし、革命後のフランスは政治が混乱し、経済も安定しない状況が続いていました。フランス革命は「自由」「平等」「友愛」を掲げ、身分や特権にとらわれない新しい社会を目指しましたが、反発する勢力も多く、国内外で対立が絶えませんでした。こうした混乱の中で、若き軍人だったナポレオンがその才能を発揮し始めたのです。

ナポレオンの台頭

ナポレオンはコルシカ島で生まれましたが、10代の頃からフランスの軍学校で教育を受け、若くして軍人としてのキャリアをスタートさせました。フランス革命後、革命政府に忠誠を誓った彼は「イタリア遠征」や「エジプト遠征」でその指揮能力を発揮し、数々の勝利を収めて英雄と呼ばれるようになりました。

エジプト遠征は1798年に始まりました。この遠征はオスマン帝国やイギリスとの戦闘が繰り広げられた重要な軍事作戦でした。ナポレオンは軍人であると同時に知識に対する興味が深い人物で、エジプト文明への好奇心もありました。彼は科学者や学者を遠征に同行させ、エジプトの歴史や地理、文化の調査を進めるよう命じました。

以下の連載にもナポレオンのエジプト遠征について書いています▼
Web連載 ピラミッドに隠された謎 1-4.単位系とピラミッド

関連記事以下の記事で詳しく解説しています++。

1-4.単位系とピラミッド

その後、1799年にフランス政府の混乱を収拾するために「ブリュメール18日のクーデター」を起こし、事実上フランスの最高権力者となりました。このクーデターによってフランスの政治を安定させたナポレオンは、自ら「第一統領」という地位に就き、後に「皇帝」にまで上り詰めます。

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ナポレオン法典

ナポレオンの最大の功績の一つが、「ナポレオン法典」の制定です。この法典は1804年に公布され、フランス初の統一された法体系となりました。正式には「フランス民法典」と呼ばれます。フランス民法典は、法の下での平等や財産権の保護などを掲げ、革命の理念を受け継ぎつつも、法律を誰にでもわかりやすくするために整理しました。この法典はフランスだけでなく、彼の支配下に入ったヨーロッパ諸国にも広がり、現代の法律に大きな影響を与えました。

ナポレオン戦争

ナポレオンが皇帝に即位してからは、ヨーロッパ各地で「ナポレオン戦争」が展開されました。ナポレオンはフランス軍を率いてヨーロッパの多くの国々と戦い、その軍事戦略で数々の勝利を収めました。特に「アウステルリッツの戦い」(1805年)では、ロシア・オーストリア連合軍を打ち破り、彼の軍事的才能が頂点に達しました。この勝利によってフランスの勢力はヨーロッパ全土に広がりました。

しかし、1812年のロシア遠征で失敗したことが、彼の勢力が後退するきっかけとなりました。この遠征では厳しい寒さや食料不足により、ナポレオン軍は壊滅的な被害を受けます。この敗北をきっかけにナポレオンの支配は弱まり、最終的に1814年に一度退位し、エルバ島に流されました。

最後の戦い

1815年、ナポレオンはエルバ島から脱出し、再びフランスに戻り、短期間ながら「百日天下」として復権しました。しかし、同年に起きた「ワーテルローの戦い」で連合軍に敗れ、再び失脚します。今度は南大西洋のセントヘレナ島に流され、1821年に同地で生涯を終えました。