ジローラモ・カルダーノ とは?
16世紀イタリアに生を受けたジローラモ・カルダーノ(1501–1576)は、三次方程式の解法(通称「カルダノの公式」)で知られる数学者でありながら、医師・占星術師としても名を馳せたルネサンス屈指の多才な人物です。
時代背景 ジローラモ・カルダーノ が活躍した時代はどんな時代?
カルダーノが活躍した16世紀前半のイタリアは、まさにルネサンス文化が成熟し、多様な分野で才能が開花した時代でした。活版印刷の普及は古典や最新の学術書を広め、人文主義の理念が学者や職人、芸術家の間に浸透しました。
一方で、イタリア諸都市はフランスや神聖ローマ帝国を巻き込む戦乱の中にあり、政治情勢は不安定でした。学問や医学に携わる者は、紛争を避けてミラノ、パヴィア、ボローニャなどの都市を転々とすることも少なくありませんでした。
宗教改革の影響が広がりつつあった当時のヨーロッパでは、占星術も学問として一定の地位を保っており、天体と人体の関係を重視する医師が多く存在しました。
カルダーノもそうした時代の空気を吸い込み、合理的な研究と神秘的な探究という、一見相反するような活動を両立させることができたのです。
代数学・確率論・工学への貢献
カルダーノの最大の業績の一つは、1545年に出版された代数学の書『アルス・マグナ(大いなる術)』です。この書では、ニコロ・タルタリアンが発見した三次方程式の解法を公表し、代数学の発展に大きく貢献しました。
また、彼はギャンブルの経験から確率的な思考に到達し、著書『賭博について』の中でサイコロやカードゲームの勝率や資金管理の方法を論じました。これは、後にパスカルやフェルマーによって発展する確率論の先駆けとされています。
さらに、古くから知られていたユニバーサルジョイント(カルダンジョイント)の原理を詳細に記述した機械工学の草稿を残し、医師としてもペストや喘息の治療例を報告するなど、多岐にわたる分野で顕著な成果を上げました。