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地動説 とは

地動説とは?


かつて人々は、「地球こそが宇宙の中心である」と信じていました。

この天動説は、古代から中世にかけて長いあいだ天文学の常識として受け入れられていました。


しかし16世紀、コペルニクスが地動説を唱えたことで、宇宙に対する見方は大きく揺らぎ始めます。

そしてその地動説を、実際の観測によって支持したのが、イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイでした。


本記事では、ガリレオの功績や発見、そして教会との衝突を通じて、宇宙観の大転換がどのように起こったのかを見ていきます。

天動説とは?──かつて信じられていた宇宙のかたち

かつて人々は、「地球は宇宙の中心にあって動かず、太陽や月、星々が地球のまわりを回っている」と考えていました。

この考え方を天動説(てんどうせつ)といいます。

この天動説を理論的に体系化したのが、古代ギリシアの天文学者プトレマイオスです。彼は著作『アルマゲスト』の中で、地球を中心とした宇宙モデルを数学的に整理しました。

天動説 | プトレマイオス説

プトレマイオスの天動説では、惑星が円を描いて地球のまわりを回る「周転円」や、中心を少しずらした「離心円(りしんえん)」などの概念を使って、当時観測されていた惑星の逆行運動(逆に動いて見える現象)まで説明することができました。

この精巧なモデルは、およそ1400年もの間、ヨーロッパ中世からイスラーム世界に至る広い地域で天文学の標準理論として広く受け入れられていたのです。

地動説とは?

地動説(ちどうせつ)とは、「地球は宇宙の中心ではなく、太陽のまわりを回っている」という考え方です。

この発想自体は、実はプトレマイオスよりも前の時代にすでに登場していました。

古代ギリシアの天文学者アリスタルコスは、地球が自転しながら太陽のまわりを公転しているという説を提唱していたのです。

しかし当時は、地球中心の宇宙観(天動説)が主流であり、アリスタルコスの考えはほとんど支持されず、長いあいだ忘れ去られてしまいました。

この地動説が再び注目を集めるのは、16世紀になってからです。

ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスが、アリスタルコスの着想をもとに理論を再構築し、太陽中心の宇宙モデル(地動説)として発表しました。

こうして地動説は、長い眠りから目を覚まし、のちの科学革命の出発点となったのです。

地動説 は「地球が宇宙の中心ではなく、地球自身が太陽の周りを回っている」という考えです。地動説の萌芽は、プトレマイオスよりも前の時代に遡ります。古代ギリシアの天文学者アリスタルコスは、すでに地球が太陽の周りを回っているという説を提唱していました。しかし、彼の説はプトレマイオスの天動説に比べて支持を得られず、長い間忘れ去られていました。

地動説が再び注目を集め、科学的に確立されるのは16世紀に入ってからのことです。ポーランドの天文学者コペルニクスはアリスタルコスの地動説を再評価し、理論的に発展させました。

コペルニクスと『天球の回転について』

ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスは、当時利用できた観測データをもとに、太陽を中心とする新たな宇宙モデルを構築しました。

そして1543年、彼の代表的な著作『天球の回転についてDe Revolutionibus Orbium Coelestium)』を出版し、地動説の理論的な根拠を示しました。

この著作では、「地球は宇宙の中心ではなく、太陽のまわりを公転している」とする考えを数学的に整理して説明しています。

しかし当時は、教会が天動説を公式に支持していた時代であり、地動説は宗教的・社会的に受け入れがたい考えとされていました。そのため、コペルニクスの説は発表当初すぐには広く受け入れられず、本の出版直後に彼は亡くなったこともあり、普及にはなお時間がかかりました。

なお、「地動説」「天動説」という言葉は日本独特の呼び方であり、西洋ではそれぞれ「太陽中心説(heliocentrism)」「地球中心説(geocentrism)」という用語が一般的に用いられます。

地動説 | コペルニクス説

地動説を支持したガリレオ・ガリレイ

コペルニクスの唱えた地動説(太陽中心説)を、観測によって支持した人物として有名なのが、イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイです。

ガリレオは自作の望遠鏡を使い、当時としては革新的な天体観測を行いました。

その結果、彼は次のような重要な発見をします:

  • 月の表面に山やクレーターがあること(天体は完全で滑らかだという従来の考えに反する)
  • 木星に4つの衛星(ガリレオ衛星)が存在すること(地球以外の天体を中心とする運動の発見)

これらの観測結果は、「すべての天体が地球を中心に回っている」という天動説に疑問を投げかけるものでした。

ガリレオはこうした証拠をもとに地動説を支持しましたが、当時のカトリック教会は依然として聖書の教えに基づいた天動説を正統とみなしており、地動説は教義に反する異端的な思想とされました。

そのため、ガリレオは異端審問(宗教裁判)にかけられ、1633年には地動説を放棄するよう命じられ、有罪判決を受けました。

まとめ

ガリレオは、望遠鏡による観測という新しい方法で天体を探り、地動説を実証的に裏づけた最初の科学者の一人です。

彼の発見は、従来の宇宙観を根底から覆すものであり、結果として宗教と科学の対立を引き起こすことにもなりました。

その生涯は波乱に満ちていましたが、彼の残した功績はやがて世界に認められ、現代科学の扉を開く礎となりました。

ガリレオの姿勢は、今も「証拠に基づいて真実を追い求める科学者の精神」として、多くの人々に受け継がれています。

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