ガリレオ・ガリレイ とは?
近代科学の扉を開いた天才
ガリレオ・ガリレイは、1564年にイタリアのピサに生まれた、近代物理学(自然科学)の創始者のひとりです。 彼はルネサンス期を代表する科学者であり、天文学・力学・光学など多くの分野において画期的な成果を残しました。
ケプラーやニュートンが数学を天体の運動に応用したのに対し、ガリレオは数学を地上の現象――落下運動や振り子の運動――に応用した点で先駆的な存在でした。
彼の研究は、「自然現象は数式で表せる」という近代科学の基本的な考え方の土台を築いたのです。
時代背景 ガリレオ・ガリレイ が活躍した時代はどんな時代?
大航海とルネサンスの終わりに生まれて
ガリレオが活躍した16世紀末から17世紀初頭のイタリアは、ルネサンスの終焉期にありました。
ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチといった芸術家が時代を彩ったこの時代、地中海交易によってイタリアには巨額の富が集まり、ヨーロッパ文化の中心地となっていました。
同時に、世界はすでに大航海時代に突入しており、コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マゼランらの冒険によって、ヨーロッパ人の世界観そのものが大きく拡張されていた時期でもあります。
そんな激動の時代に登場したガリレオは、古代ギリシア以来の自然観に疑問を投げかけ、観測と数学によって自然を読み解くという新しい科学の方法論を切り開いていきました。
ガリレオの逸話①ー振り子の等時性の発見
ある日、ガリレオがピサの大聖堂でミサに参列していたときのこと。彼は天井から吊るされたシャンデリアの揺れに目をとめます。風で大きく揺れても、小さく揺れても、揺れの周期が変わらないように見えたのです。
オルガンのリズムに合わせて揺れるシャンデリアを、自分の脈で測ってみると、揺れの時間が一定であることに気づきました。これが、後に振り子の等時性として知られる物理法則の発見です。
この観察は、のちに時計の機構へと応用され、精密な時間計測の技術発展にもつながっていきます。
ガリレオの逸話②ーピサの斜塔での落下実験
当時の学者たちは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの自然学に強く依存しており、「重い物は軽い物より速く落ちる」と信じられていました。
ガリレオはその説に疑問を抱き、ピサの斜塔から異なる重さの球を同時に落としたという逸話が伝えられています。
鉄の球と木の球は、同時に地面に到達し、見守っていた人々は大きな驚きと歓声をあげ、、自然哲学者たちは苦虫をかみつぶしたような顔をしていたといいます。
この話は象徴的なエピソードとして有名ですが、実際の記録には残っておらず、後世の創作や脚色が加わった可能性が高いと考えられています。
望遠鏡の製作と天体観測
ガリレオの科学的業績の中でも特に重要なのが、望遠鏡の改良と天体観測です。オランダで発明された望遠鏡を手本に、ガリレオは独自に設計・改良を加え、より高倍率の望遠鏡を完成させました。
そして彼はその望遠鏡を天体に向けます。
・月の表面にクレーターや山があること
・木星のまわりに4つの衛星(今でいう「ガリレオ衛星」)があること
・金星の満ち欠けや太陽の黒点
これらの発見は、天体が完全な球体であり不変であるという当時の信仰を根底から覆すものでした。
地動説:それでも地球は回っている
ガリレオは、コペルニクスの地動説(太陽中心説)を観測的に支持し、公開の場でその正しさを主張しました。
しかし、これはカトリック教会の教義と衝突するものであり、異端裁判にかけられることになります。
1633年、彼は地動説を放棄するよう命じられ、有罪判決を受けます。
彼がその後、「それでも地球は回っている(E pur si muove)」とつぶやいたという有名な言葉は、実際の証言では確認されていませんが、真理を求める精神の象徴として語り継がれています。
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ガリレオ・ガリレイ の名言

数学は神の母語である
この言葉は、自然界に潜む秩序や法則が、数学という言語で書かれているというガリレオの思想を象徴するものです。
ガリレオは、世界を記述するもっとも純粋な言語は数学であると信じており、自然の仕組みは数式と幾何によって読み解くことができると考えました。そして彼は、この宇宙の美しさと調和をつくったのは神であり、数学はその神が使った設計言語なのだと受け止めていたのです。
この考え方は、科学と信仰が対立ではなく共存していたルネサンス期の知の姿勢をよく表しています。ガリレオ自身も敬虔なカトリック教徒であり、「神の御業でなければ、こんなに美しい法則が成り立つはずがない」と語ったとされています。

それでも地球は回っている(E pur si muove)
これは、ガリレオが異端審問によって地動説の放棄を強制された直後に、小声でつぶやいたとされる、有名な言葉です。
当時、ガリレオは望遠鏡による観測で、地動説(地球が太陽のまわりを回っている)を支持する証拠をいくつも示しました。 しかしカトリック教会の異端審問官たちは、「聖書の教えと異なる地動説は誤りだ」として、ガリレオにその撤回を迫ります。
高齢であったガリレオは命を守るため、やむなく地動説を放棄する宣誓をします。
けれども、その場を離れる際、真実は真実であるという信念をこめて、この言葉をひそかに口にしたと伝えられています。
ただしこの逸話は、後世に脚色された伝説であり、当時の記録には残されていません。
それでもこの言葉は、真理を信じる科学者の精神の象徴として、今なお語り継がれています。