アレクサンドロス(アレクサンダー大王) とは?
古代マケドニアの王で、世界史上で最も有名な軍事指導者の一人として知られています。幼少期には、古代ギリシアの哲学者アリストテレスから教育を受け、哲学、科学、政治、戦略などを学びました。20歳でマケドニア王位を継ぎ、即位後すぐに大軍を率いて東方遠征を開始します。彼はわずか十数年の間に広大な領土を征服し、地中海からインドに至るまでの広範囲にわたる帝国を築き上げました。
時代背景 アレクサンドロス(アレクサンダー大王) が活躍した時代はどんな時代?
アレクサンドロスが生まれる前のギリシアは、アテネやスパルタといった有力なポリス(都市国家)を中心とする文化と哲学の隆盛期を迎えていました。紀元前5世紀にはアテネとスパルタの間でペロポネソス戦争が勃発し、これによりギリシア全土は長期間にわたって不安定な状況に陥りました。アテネの衰退やスパルタの統治力の限界が明らかになり、ギリシアは分裂状態に陥ります。
マケドニア王国の王の誕生と教育
アレクサンドロスは、紀元前356年、マケドニア王国の王フィリッポス2世と王妃オリュンピアスの間に生まれました。彼は幼い頃から優れた教育を受けました。特に哲学者アリストテレスが彼の家庭教師となったことは有名です。アリストテレスは、ギリシア文化や哲学、科学、政治の知識を教え、彼の視野を広げました。この教育が後のアレクサンドロスの偉業に大きな影響を与えたと言われています。
アレクサンドロスの父、フィリッポス2世は、マケドニアをギリシアの強大な国に押し上げた王あり、ギリシア世界を統一する道を切り開きました。しかし、紀元前336年、フィリッポスは暗殺されてしまいます。わずか20歳で王位を継承したアレクサンドロスは、すぐに父の計画を引き継ぎ、東方遠征を開始します。
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アレクサンドロスの東方遠征
アレクサンドロスは紀元前334年に東方遠征を始め、ペルシア帝国との戦いに挑みました。彼は数々の戦いで勝利を収め、その戦術とリーダーシップは伝説的なものとなりました。特に有名なのは、以下の戦いです。
・イッソスの戦い(紀元前333年)
:アレクサンドロスはペルシア王ダレイオス3世の大軍に勝利し、ペルシアの支配地を奪いました。
・ガウガメラの戦い(紀元前331年)
:この戦いでアレクサンドロスは決定的な勝利を収め、ペルシア帝国を完全に崩壊させました。
その後、彼はエジプト、メソポタミア、インドの一部にまで勢力を広げ、紀元前323年には巨大な帝国を築き上げました。
アレクサンドリアとヘレニズム文化
アレクサンドロスは、各地に「アレクサンドリア」と呼ばれる都市を建設しました。そのうち最も有名なのがエジプトのアレクサンドリアです。ここには後に古代最大の図書館が設置され、学問と思想の交流地となりました。彼の遠征により、ギリシア文化が東西の広い地域に融合し、ヘレニズム文化が生まれました。このことにより言語、芸術、科学、哲学が発展する土壌が作られたのです。
ヘレニズム期のギリシア数学とはどのようなものだったのでしょうか。詳しく知りたい方はこちらの連載もおすすめです▼
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急逝と帝国の分裂
アレクサンドロスは紀元前323年、バビロンで32歳の若さで突然亡くなりました。その死因は病気や毒殺など様々な説がありますが、はっきりしたことはわかっていません。アレクサンドロスの死後、彼が築いた広大な帝国は分裂し、後継者たちによる争いが勃発しました。最終的にいくつかの王国に分かれました。
アレクサンドロス大王は、自らの短い生涯で歴史を大きく変え、後世に多大な影響を与えた人物です。