古代ギリシアの数学者『ピタゴラス』のお話[Vol.2]
前回のお話
前回はピタゴラスの生まれた時代背景、そしてピタゴラスが誰と出会い、どのような影響を受け、思想を固めていったのかを述べました。今回はピタゴラス学派が『数(整数)』についてどのように考えていたかについてのエピソードをご紹介します。
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音の調和と整数比
あるとき、ピタゴラスはとある村はずれを歩いていました。すると、遠くの鍛冶屋から槌打つ音が聞こえてきました。何か霊的な力に導かれるように、ゆっくりと近づいて静かに聞き入ります。トンテンカン、トンテンカンと、音がリズミカルに響きます。聞いていると、いくつかの異なる音のうちあるものが美しく調和するのに気が付きました。すぐに教団に帰ると、モノコードと呼ばれる一弦の楽器を取り出し、研究を始めました。モノコードの駒を調整し、弦を2つの部分に分け奏でました。すると、弦の2つの長さが整数の比となった時に美しい和音が鳴り響いたのです。長さの比が2対1であれば、それぞれの弦が奏でる音の高さの差は、ちょうど1オクターブになります。弦の長さの比が3対2であれば高さの差は完全5度(ドとソの間隔)で、4対3であれば完全4度(ドとファの間隔)と、簡単な整数比であれば美しい和音が鳴り響きます。「音楽の美は比によって支配されている」とピタゴラスは確信しました。現にこのように音楽における音の調和は、弦の実際の長さなどではなく、弦の長さの比によって支配されていたのです。
ピタゴラスと宇宙観
またある夜、ピタゴラスは満天に輝く星を眺めていました。バビロニアで占星術(天文学)を学んだので、星々の中には奇妙な動きをする星、すなわち惑星があることを知っていました。惑星以外の普通の星(恒星)は一番外側の天球にぴったりと貼り付けられている、とピタゴラスは考えました。その内側には土星が張り付けられた天球がある。惑星ごとに天球が一つ。太陽と月も、それぞれ天球に固定されている。これらの天球は整数比の美しい調和をなして地球のまわりを回っているに違いない。天球がゆっくりと回るとき、人間には聞こえない荘厳な美しいメロディーを奏でるのだ。遠い土星や木星は低く、近い月や太陽は高い音を。この宇宙もやはり比が支配しているのだ。座って星を眺めているピタゴラスに、この宇宙が奏でる荘厳なハーモニーが聞こえてきました。ピタゴラスは何か偉大なものに抱きかかえられているように感じました。これこそ、数がすべての現象に潜む証であり、比こそが世界に潜む宇宙の調和を表している。「宇宙は比によって支配されている」「万物は数なのだ」とピタゴラスは心の中で叫びました。
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整数比の神秘性とピタゴラス学派
ピタゴラス教団は、彼らの発見した数の神秘を秘密にしました。世俗的な世界から宇宙の原理を守るのが自分たちの仕事だと考えていたのです。ところがピタゴラス教団にとんでもない事態が生じます。
「正方形の1辺と対角線の比が整数の比では表せない」ことを教団の一人が発見したのです。これはピタゴラス教団にとっては恐ろしいことでした。教団の教義は「万物は数である」ということ、すなわち、「この宇宙、この世界は数を基礎にして作られている」という信念が、今まさに崩れ去ろうとしていたのです。正方形のような自然で完璧な図形に、整数比で表せないような比が潜んでいようとは。教団にとっては信じがたいことでしたが、証明は疑う余地がありません。まもなくピタゴラス教団は、美と合理性の象徴である黄金比も整数比で表せないことを発見します。教団は整数比で表すことができない量にアロゴス(古代ギリシア語の alogos は“無理”“不合理な”という意味の他に“言外すべからざる”という意味も持ちます)という名前を与え、秘密にすることにしました。教団は口の堅い秘密結社であり、「1年間一言も口をきかない」という修業があるほどだったので、秘密は守られると思われました。しかし、数学の定理を秘密にしておくことは難しいものです。あるとき、教団の一人のピッパソスというものが秘密を漏らしていまいます。怒ったピタゴラスは、ピッパソスを船上から海に投げ入れ溺死させてしまいます。 ピタゴラス教団は、無理数のために教義が崩壊してしまうのを防ぐために、“量”という概念を考え出し、“量”と“数”を分離することをします。これによって、「万物は数である」という教義は守られることになりました。
今に残る『ピタゴラス』のお話の様々な解釈
ピタゴラス学派に関するこのようなお話はたくさん残っていますが、実は後世に生み出されたお話が混在しています。このピタゴラスのお話も古代ギリシア人の豊かな想像力が生みだしたおとぎ話にすぎないといってもよいでしょう。つまり、厳密には歴史的事実ではないものもありますが、2千5百年以上も長きに渡ってその“お話”が語り継がれてきたこと、これもまた一つの歴史です。
ピタゴラスのお話の中には、近世の科学革命によって驚くべき進歩をとげたヨーロッパの科学が、ギリシア文明で生まれた「ヨーロッパの合理主義」の賜物であることを強調するようなところがいくつか見受けられます。たとえば、古代ギリシア人は合理的な精神を持っていて何にでも“なぜか”と理由を考えた、と述べている本が多いのですが、ギリシア人も意外と迷信深かったようです。(ピタゴラス学派の人々は、朝出かけるとき左足から踏み出すと不幸になると信じていました。)
今に残る“お話”には、後世の人の歴史観も含まれているという事実も踏まえながら読んでいくと、歴史の多面的な解釈と新たな発見があるかもしれません。
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