この証明、本当にタレスがしたのでしょうか
そもそも、これらが成り立つこと自体は、タレスより前から知られていました。タレスより1000年以上前、古代バビロニアではすでに高度な数学が発達しています。
「タレスが円の定理を証明した」という話は、実はかなり心もとない土台の上に立っています。
拠り所となっているのは、5世紀の哲学者プロクロスが書いた『原論第1巻への注』ただ一つ。プロクロスはさらに古いエウデモスの『幾何学史』(現存せず)を基にしたと見られていますが、タレスからエウデモスまでは200年以上、エウデモスからプロクロスまではさらに700年以上も隔たりがあります。
700年前といえば、日本でいう鎌倉時代にあたります。それだけの歳月を経て伝わった話、ということです。
ポゥじい博士の見立てタレスが本当に自分の頭でこれを考え、証明したのか。実ははっきりしないんじゃよ。伝わっている証明の中身は『円はその直径で二等分される』『二等辺三角形の底角は等しい』『対頂角は等しい』というもので、幾何学を知らない人が聞けば「そんなの見れば当たり前では」と思うような、基礎の基礎ばかりでな。こういう基本を一つひとつ証明して回るのは、幾何学が生まれたばかりの時期というより、ある程度成熟したあとで理論全体を体系立てて整理する段階になって、初めて必要になることじゃろう。じゃからわしには、タレス個人の発見というより、後の時代に体系を整えるなかで生まれた証明のように思えるんじゃよ。
しかもプロクロスは熱烈な新プラトン主義者(プラトン哲学を神秘主義的に発展させた学派の信奉者)で、その源流とされるピタゴラス派を高く評価する立場にあった。自分が誇りとする伝統は、できるだけ古く立派な起源を持っていてほしいと思うのが人情でな。何百年も経ってから書かれた記録には、そうした期待に沿うかたちで想像や創作が付け加えられたり、言い伝えが変形されたりすることも十分考えられる。
元祖はなるべく古い方が権威を持つものじゃ。そうした事情の中で、タレスやピタゴラスピタゴラス宇宙の原理を数と結びつけた古代ギリシアの哲人詳しく見る →がギリシア数学の「元祖」に祭り上げられていった可能性もあるのじゃな。
つけ加えておくとな。プロクロスが書いたのはローマ帝国の時代で、キリスト教が力を持ちはじめ、ピタゴラス学派は存亡の危機にあった。ギリシアの学問を持ち上げねば、自分の食いぶちが危うかったのじゃ。エウデモスという先人の名を持ち出したのも、すでに亡くなった者の名を借りるという、昔からよくある手でな。
そのプロクロスが「第一級の史料だ」とヨーロッパ中で言われるようになったのは、19世紀ごろと、意外に新しい。ちなみに、ピタゴラスの名を数学の元祖として持ち出したのも、このプロクロスじゃ。
国によって違う「タレスの定理」
意外と知られていませんが、「タレスの定理」と呼ばれる内容は、国によって違います。
日本や英語圏の多くでは、この円の定理を指します。ですがフランスなど一部の国では、平行線と比の関係を扱う定理(中点連結定理に近いもの)のほうを「タレスの定理」と呼びます。同じ名前が、国によって別の定理を指しているというわけです。
タレスが実在の人物であったことは疑われていません。「ギリシアに幾何学をもたらした先駆者」という位置づけも、広く受け入れられています。ただ、それを支える材料はプロクロスの記述にほぼ限られます。「タレスが自分の頭でこの定理を発見し、証明までしてみせた」という物語をそのまま史実として受け取るには、少し心もとない。そう考えておくくらいが、ちょうどよいのかもしれません。
そして、ここには別のおもしろさもあります。歴史家のなかには「タレスが何をしたかは、いまではまともな歴史の対象として扱われない。むしろ、なぜタレスが数学の始祖にまで祭り上げられたのかが問題だ」とまで言う人もいます。
証明という方法がいつ、どんな必要から生まれたのか。そちらの問いのほうが、タレス個人の伝記よりもずっと深いところへ通じています。


