タレスの定理
定理
Thales' Theorem

タレスの定理

円の直径を1辺とし、円周上の点を頂点とする三角形は必ず直角三角形になる(直径に対する円周角は90°)。
ひとことで言うと

円に内接する直角三角形の性質を示す幾何学の定理

タレスの定理とは

この用語の要点
  • 直径に対する円周角は、いつでも直角になる
    • 円周上の点をどこへ動かしても 90° のまま
    • 図形の性質を理屈で示す「証明」を初めて使った例のひとつとされる

円に直径を引き、その両端と円周上の1点を結ぶと、できる三角形は必ず直角三角形になります。

これがタレスの定理です。ひとことで言えば「直径に対する円周角は常に直角になる」。「半円に内接する角は直角である」と言い表すこともあります。

上の図で、直径を AB とする円の円周上に点 P をとってみてください。P をどこに動かしても、∠APB は必ず 90° になります。

点 P が直径のすぐそばまで来ても、円のてっぺんにあっても、角度は変わりません。この「どこでも直角」が、この定理のおもしろさです。

この定理を最初に証明したとされるのが、古代ギリシアの哲学者・数学者であるタレス。彼は図形の性質を理屈で説明する“証明”という方法を初めて用いた人物のひとりであり、ギリシア数学の祖とも呼ばれています。

タレスの定理を証明する

なぜ、どこに点を取っても直角になるのでしょうか。補助線を1本引くだけで説明できます。

図のように、点 O を円の中心とし、点 P を円周上の任意の点とします。直径 AB の両端と点 P を結んで三角形 APB を作ります。

また、点 P と中心 O を結んで補助線を引きます。

すると、

OA = OP = OB

となり、三角形 OAP と三角形 OBP は二等辺三角形となります(OA・OP・OB はどれも円の半径だからです)。

二等辺三角形の底角は等しいので、

∠OAP = ∠OPA = a
∠OBP = ∠OPB = b

三角形 PAB の内角の和は 180° ですから、

a + a + b + b = 180°
2a + 2b = 180°

よって a + b = 90° となり、∠P は直角です。点 P をどこに取ってもこの計算は変わらないので、常に直角になります。

円周角の定理との関係

タレスの定理は、中学校で学ぶ円周角の定理(円周角は、同じ弧に対する中心角の半分になる)の特別な場合にあたります。直径に対する中心角は180°なので、円周角はその半分の90°になるわけです。

逆も成り立ちます。直角三角形の斜辺を直径とする円をかくと、直角の頂点は必ずその円周上にのります。

「証明する」という発想の始まり

タレスの定理が数学史で特別なのは、定理の内容よりも「証明した」という点にあるとされています。

タレスは、ほかにも次のようなことを証明したと伝えられています。

  • 円はその直径で二等分される
  • 二等辺三角形の底角は等しい
  • 対頂角は等しい

どれも、図を描けば当たり前に見えることばかりです。

ここでいう証明とは、図を測って確かめたり、経験上正しいと判断したりするだけではなく、すでに認められた前提から結論を導くことです。この方法があったからこそ、数学は個々の知識の寄せ集めではなく、積み上がる体系になったと語られてきました。

のちにユークリッドユークリッド「ユークリッド幾何学」でおなじみの幾何学の父詳しく見る →がまとめた『原論原論(ストイケイア)古代ギリシアの数学者ユークリッドが、ヘレニズム期のアレクサンドリアで著した数学書。定義・公準・共通概念から命題を積み重ね、幾何学から数論までを体系化した全13巻。詳しく見る →』は、少数の前提から順番に定理を導いていく形で幾何学をまとめた本です。少ない前提から論理だけで積み上げていくこの書き方は、その後2000年にわたって数学の手本になりました。そうした演繹の伝統の出発点として、名前が挙げられてきたのがタレスです。

数学を学び始めた人が最初に出会う定理のひとつが、そのまま「証明とは何か」の出発点でもある。タレスの定理が今も語られる理由は、そこにあります。

さらに深掘り

この証明、本当にタレスがしたのでしょうか

そもそも、これらが成り立つこと自体は、タレスより前から知られていました。タレスより1000年以上前、古代バビロニアではすでに高度な数学が発達しています。

「タレスが円の定理を証明した」という話は、実はかなり心もとない土台の上に立っています。

拠り所となっているのは、5世紀の哲学者プロクロスが書いた『原論第1巻への注』ただ一つ。プロクロスはさらに古いエウデモスの『幾何学史』(現存せず)を基にしたと見られていますが、タレスからエウデモスまでは200年以上、エウデモスからプロクロスまではさらに700年以上も隔たりがあります。

700年前といえば、日本でいう鎌倉時代にあたります。それだけの歳月を経て伝わった話、ということです。

ポゥじい博士の見立て

タレスが本当に自分の頭でこれを考え、証明したのか。実ははっきりしないんじゃよ。伝わっている証明の中身は『円はその直径で二等分される』『二等辺三角形の底角は等しい』『対頂角は等しい』というもので、幾何学を知らない人が聞けば「そんなの見れば当たり前では」と思うような、基礎の基礎ばかりでな。こういう基本を一つひとつ証明して回るのは、幾何学が生まれたばかりの時期というより、ある程度成熟したあとで理論全体を体系立てて整理する段階になって、初めて必要になることじゃろう。じゃからわしには、タレス個人の発見というより、後の時代に体系を整えるなかで生まれた証明のように思えるんじゃよ。

しかもプロクロスは熱烈な新プラトン主義者(プラトン哲学を神秘主義的に発展させた学派の信奉者)で、その源流とされるピタゴラス派を高く評価する立場にあった。自分が誇りとする伝統は、できるだけ古く立派な起源を持っていてほしいと思うのが人情でな。何百年も経ってから書かれた記録には、そうした期待に沿うかたちで想像や創作が付け加えられたり、言い伝えが変形されたりすることも十分考えられる。

元祖はなるべく古い方が権威を持つものじゃ。そうした事情の中で、タレスやピタゴラスピタゴラス宇宙の原理を数と結びつけた古代ギリシアの哲人詳しく見る →がギリシア数学の「元祖」に祭り上げられていった可能性もあるのじゃな。

つけ加えておくとな。プロクロスが書いたのはローマ帝国の時代で、キリスト教が力を持ちはじめ、ピタゴラス学派は存亡の危機にあった。ギリシアの学問を持ち上げねば、自分の食いぶちが危うかったのじゃ。エウデモスという先人の名を持ち出したのも、すでに亡くなった者の名を借りるという、昔からよくある手でな。

そのプロクロスが「第一級の史料だ」とヨーロッパ中で言われるようになったのは、19世紀ごろと、意外に新しい。ちなみに、ピタゴラスの名を数学の元祖として持ち出したのも、このプロクロスじゃ。

国によって違う「タレスの定理」

意外と知られていませんが、「タレスの定理」と呼ばれる内容は、国によって違います。

日本や英語圏の多くでは、この円の定理を指します。ですがフランスなど一部の国では、平行線と比の関係を扱う定理(中点連結定理に近いもの)のほうを「タレスの定理」と呼びます。同じ名前が、国によって別の定理を指しているというわけです。

タレスが実在の人物であったことは疑われていません。「ギリシアに幾何学をもたらした先駆者」という位置づけも、広く受け入れられています。ただ、それを支える材料はプロクロスの記述にほぼ限られます。「タレスが自分の頭でこの定理を発見し、証明までしてみせた」という物語をそのまま史実として受け取るには、少し心もとない。そう考えておくくらいが、ちょうどよいのかもしれません。

そして、ここには別のおもしろさもあります。歴史家のなかには「タレスが何をしたかは、いまではまともな歴史の対象として扱われない。むしろ、なぜタレスが数学の始祖にまで祭り上げられたのかが問題だ」とまで言う人もいます。

証明という方法がいつ、どんな必要から生まれたのか。そちらの問いのほうが、タレス個人の伝記よりもずっと深いところへ通じています。

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