「地動説」という日本語のこと
ポゥじい博士の見立てなぜ日本では「太陽中心説」ではなく「地動説」と訳したのか。わしはこう見ておる。
日本の寺や神社は、森や山の中、鬱蒼とした自然に溶け込むように建っておる。いっぽう西洋の教会は、その存在をはっきり目立たせ、自然を支配するかのように建っておるな。日本人にとっては太陽が中心でも地球が中心でも、どちらも自然が中心じゃから、2つの語の違いがはっきりせん。「大地が動く」と「天が動く」のほうが、違いが際立つのじゃよ。
西洋ではそうはいかん。あちらで地球中心説といえば、宇宙を支配するのは人間であるという、由緒正しい一神教を表しておった。いっぽう太陽中心説のほうは、太陽や月や惑星が人を支配するという、オリエント由来のいかがわしい多神教ではないかと疑われてきたのじゃ。どちらを中心に置くかが、そのまま信仰の色分けになっておったのじゃな。
これは自然観と信仰のちがいから読み取ったひとつの見方で、志筑忠雄自身がそう説明した記録が残っているわけではありません。
コペルニクスの体系は「単純」ではなかった
「コペルニクス説になって太陽系のしくみが簡潔ですっきりした」と語られることがありますが、これは誤解です。
ポゥじい博士の見立てコペルニクスの理論的枠組みは、プトレマイオスの体系をほとんどそのまま踏襲しておってな、宇宙の中心を地球から太陽に変えただけで、プトレマイオスがエカントを用いていた代わりに周転円を用いたにすぎんのじゃ。コペルニクスの時代には、周転円の中にさらに周転円が入るという、むしろ複雑な体系になっておった。
惑星が太陽のまわりを単純な円軌道で回っているという説明(本書では便宜的に"単純地動説"と呼ぶ)を、当時の天文学者は採用できなかったんじゃよ。円軌道では春夏秋冬の期間の長さの違いを説明できんためで、暦の設定を担う教会にとってこれは重要な問題だったのじゃ。
ガリレオは地動説を「証明」したのか
ガリレオガリレオ地動説を唱えた近代科学の父詳しく見る →は望遠鏡による観測で、月のクレーターや木星の衛星などを発見し、これらを地動説の傍証として提示しました。



ポゥじい博士の見立てガリレオが実際に地動説の証拠として持ち出したのは、潮の干満だったのじゃ。地球が自転と公転の両方の運動をしていると、運動の方向が一致する側で速度が速く、逆側で遅くなり、この速度差が海水を動かしておる、とガリレオは説明した。
じゃが、この説明は実際の干満の起こり方とうまく合わん。同時代の科学者たちからも、欠陥や矛盾を次々に指摘されておる。ガリレオの説は、そのあたりをうまく説明できていなかったんじゃな。
つまりガリレオもコペルニクスと同様、地動説を証明する明確な証拠を、何ひとつ示すことができなかった。それが実情に近いんじゃよ。
この本を見る
ポゥじいここで用語を整理しておこう。「地動説」「天動説」という用語は日本語のもので、世界標準ではそれぞれ 「太陽中心説」「地球中心説」 と呼ばれておる。
