ユリウス暦
用語
Julian Calendar

ユリウス暦

共和政ローマの太陰太陽暦を改め、平年を365日、4年ごとに1日の閏日を置くようにした太陽暦。
ひとことで言うと

紀元前46年にユリウス・カエサルが定め、翌年から使われた、グレゴリオ暦の前身にあたる暦。

ユリウス暦とは

この用語の要点
  • 紀元前45年からローマで使われはじめた、エジプト式の太陽暦
    • 天文学者ソシゲネスの助言をもとに、ユリウス・カエサルが定めた
    • 1年を365日とし、4年に1度、閏日を1日加える

ユリウス暦とは、紀元前45年からローマで使われはじめた太陽暦です。1年を365日とし、4年ごとに1日の閏日を加えます。いま私たちが使っているグレゴリオ暦グレゴリオ暦4年に1度閏年を置き、ただし100の倍数の年は閏年にせず、400の倍数の年は閏年にするという規則を持つ、現在世界標準の太陽暦。詳しく見る →は、この暦を改良したものです。

改暦の前、ローマの暦はどうなっていたか

ローマの暦は、初代王ロムルスが定めたとされる「ロムルス暦ロムルス暦ローマ建国の王ロムルスが定めたと伝えられる暦。1ヵ月が30日または31日の月、全部で10ヵ月・304日からなり、農閑期の冬61日間には暦がなかった。」から始まります。伝承によれば、1年は10ヵ月304日で、冬の約2ヵ月には月名が置かれていませんでした。続く2代目の王ヌマがここに2ヵ月を加え、1年355日の「ヌマ暦」にしたとされています。

ヌマ暦では、季節とのずれを閏月で調整していました。閏月を入れるかどうかを決めていたのは神官です。ところが共和政の末期になると、この判断が政治的な思惑にも左右され、運用が一貫しなくなります。その結果、暦と季節のずれが大きくなっていきました。

カエサルが導入したユリウス暦

紀元前46年、ユリウス・カエサルカエサル帝政ローマの扉を開いた、共和制最後のカリスマ。詳しく見る →はこのずれを一気に直します。この年には合計90日が加えられ、1年が445日という異例の長さになりました。この年は後世、「錯乱の年」と呼ばれています。

カエサルはエジプトの天文学者ソシゲネスの助言を得て、太陰太陽暦太陰太陽暦1ヵ月の長さは月の満ち欠けに合わせつつ、閏月を入れて太陽の1年にも合わせる、太陰暦と太陽暦の「いいとこ取り」の暦。だったローマの暦を太陽暦に改めました。これがユリウス暦です。平年を365日とし、4年ごとに1日の閏日を加えます。新しい暦は、紀元前45年1月1日から使われはじめました。

参考にしたエジプト暦は、30日の月を12ヵ月置き、年末にどの月にも属さない5日を加える仕組みでした。一方ユリウス暦は、ローマで使われていた12ヵ月と月名を残したまま、各月の日数のほうを調整しています。閏日の入れ方も現在とは違い、2月24日にあたる日をもう一度数える形でした。いまの数え方に直せば、平年の2月は28日、閏年は29日になります。

月の日数が不揃いなのはなぜか

1ヵ月の日数は、28日・30日・31日とばらばらです。この理由として、「8月(August)を7月(July)と同じ31日にするため、初代皇帝アウグストゥスが2月から1日を奪った」という話がよく知られています。

しかしこれは、13世紀の学者サクロボスコにさかのぼる後世の説明です。8月にあたる月はアウグストゥスの名がつく前から31日あり、2月ももとから平年28日でした。

つまり、いまの不揃いな並びは、カエサルの改革の段階ですでにできあがっていたことになります。共和政期から使われていた月の構成や祭日の位置を大きく変えないまま、355日の年に10日を配分して365日に改めた。その結果が、この並びです。

そしてこの並びは、いまも変わっていません。1582年のグレゴリオ暦が変えたのは、閏年の入れ方と、たまったずれを消すために飛ばした10日、それに復活祭の計算方法です。月の名前にも日数にも手をつけていません。手元のカレンダーが31日と30日と28日で入り組んでいるのは、2000年前のローマの配分がそのまま残っているからです。

さらに深掘り

7月と8月の名前はどこから来たのか

いまのJuly(7月)は、もともとQuintilis(5番目の月)と呼ばれていました。紀元前44年、元老院の決議によって、カエサルの誕生月であるこの月が、彼にちなんでJuliusと改められます。名づけたのは本人ではなく、元老院でした。

このJuliusが、英語のJuly(7月)にも、ユリウス暦を意味するJulian(ジュリアン)にもなっています。日本語では「7月」と「ユリウス暦」で見た目がまったく違いますが、もとは同じ名前です。

続くAugust(8月)も同じで、もとはSextilis(6番目の月)でした。紀元前8年、元老院がこれを初代皇帝アウグストゥスにちなんで改称します。最初に執政官になった月であり、エジプトを支配下に置いた月でもあったからです。

カエサルの死後、閏年は正しく運用されなかった

「4年ごとに1日の閏日を加える」という規則は単純に見えますが、カエサルの死後、そのとおりには運用されませんでした。ローマ人が両端を含めて年数を数えたため、本来は4年間隔であるはずの閏日が3年間隔で入れられてしまった、と説明されています。

これを直したのがアウグストゥスです。紀元前8年ごろから、しばらく閏日の挿入を止め、そのうえで本来の4年周期に戻しました。8月が彼の名になったのも、これと同じ時期です。

1500年以上使われた暦の限界

ユリウス暦は、4年に1度必ず閏年を置くという単純な規則を持ち、それ以前のローマ暦よりはるかに安定した暦でした。

ただし1年の平均を365.25日としています。現在の平均回帰年である約365.2422日より0.0078日、時間にすると約11分長い計算です。この差は、およそ128年で1日に達します。長い年月がたつうちに、春分が起こる暦の上の日付は、少しずつ早くなっていきました。

このずれを直したのが、16世紀に制定されたグレゴリオ暦です。「4年に1度」という骨格はそのままに、閏年をわずかに間引くことで、1年の平均を実際の1年へぐっと近づけました。

なぜ改革まで1500年以上かかったのか

ユリウス暦のずれに、誰も気づかなかったわけではありません。13世紀にはロジャー・ベーコンらが誤差を指摘し、教皇に改革を提案しています。その後も、暦の改正は教会会議や学者たちのあいだで繰り返し議論されてきました。

それでも改革が進まなかったのは、ずれを測るだけでは問題が片づかなかったからです。どの日を削るのか。閏年の規則をどう改めるのか。復活祭の計算に使う月の満ち欠けをどう直すのか。そのうえ、共通の暦として働かせるには、国や教会に新しい仕組みを広く受け入れてもらう必要もありました。

1年あたりのずれが小さかったことも、急がせにくい理由の一つでした。128年で1日ですから、人が一生のうちに経験するずれは半日ほどです。

ポゥじい博士の見立て

「1500年も放っておいたのか」と思うかもしれんが、誰も気づかなかったわけではないんじゃ。

ただ、日々の暮らしにすぐ支障が出るほどのずれではなかった。種まきも収穫も、暦の数字だけでなく、空や土のようすを見ながら決めておったからのう。

困ったのは日付そのものを決めなければならない立場の人たちじゃ。復活祭のように春分を基準に日取りを決める行事があると、暦のずれはそのまま行事の日付のずれになる。暦を直す動機は、農民ではなく教会の側にあったんじゃよ。

ニカイア公会議のあった325年から1582年までは1257年。128年で1日ずつ動くとして単純に計算すると、およそ10日になります。そこで1582年にグレゴリオ暦を導入した国々では、10日ぶんの日付が飛ばされました。暦の上の春分を、教会暦の基準である3月21日ごろへ戻すためです。

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