7月と8月の名前はどこから来たのか
いまのJuly(7月)は、もともとQuintilis(5番目の月)と呼ばれていました。紀元前44年、元老院の決議によって、カエサルの誕生月であるこの月が、彼にちなんでJuliusと改められます。名づけたのは本人ではなく、元老院でした。
このJuliusが、英語のJuly(7月)にも、ユリウス暦を意味するJulian(ジュリアン)にもなっています。日本語では「7月」と「ユリウス暦」で見た目がまったく違いますが、もとは同じ名前です。
続くAugust(8月)も同じで、もとはSextilis(6番目の月)でした。紀元前8年、元老院がこれを初代皇帝アウグストゥスにちなんで改称します。最初に執政官になった月であり、エジプトを支配下に置いた月でもあったからです。
カエサルの死後、閏年は正しく運用されなかった
「4年ごとに1日の閏日を加える」という規則は単純に見えますが、カエサルの死後、そのとおりには運用されませんでした。ローマ人が両端を含めて年数を数えたため、本来は4年間隔であるはずの閏日が3年間隔で入れられてしまった、と説明されています。
これを直したのがアウグストゥスです。紀元前8年ごろから、しばらく閏日の挿入を止め、そのうえで本来の4年周期に戻しました。8月が彼の名になったのも、これと同じ時期です。
1500年以上使われた暦の限界
ユリウス暦は、4年に1度必ず閏年を置くという単純な規則を持ち、それ以前のローマ暦よりはるかに安定した暦でした。
ただし1年の平均を365.25日としています。現在の平均回帰年である約365.2422日より0.0078日、時間にすると約11分長い計算です。この差は、およそ128年で1日に達します。長い年月がたつうちに、春分が起こる暦の上の日付は、少しずつ早くなっていきました。
このずれを直したのが、16世紀に制定されたグレゴリオ暦です。「4年に1度」という骨格はそのままに、閏年をわずかに間引くことで、1年の平均を実際の1年へぐっと近づけました。
なぜ改革まで1500年以上かかったのか
ユリウス暦のずれに、誰も気づかなかったわけではありません。13世紀にはロジャー・ベーコンらが誤差を指摘し、教皇に改革を提案しています。その後も、暦の改正は教会会議や学者たちのあいだで繰り返し議論されてきました。
それでも改革が進まなかったのは、ずれを測るだけでは問題が片づかなかったからです。どの日を削るのか。閏年の規則をどう改めるのか。復活祭の計算に使う月の満ち欠けをどう直すのか。そのうえ、共通の暦として働かせるには、国や教会に新しい仕組みを広く受け入れてもらう必要もありました。
1年あたりのずれが小さかったことも、急がせにくい理由の一つでした。128年で1日ですから、人が一生のうちに経験するずれは半日ほどです。
ポゥじい博士の見立て「1500年も放っておいたのか」と思うかもしれんが、誰も気づかなかったわけではないんじゃ。
ただ、日々の暮らしにすぐ支障が出るほどのずれではなかった。種まきも収穫も、暦の数字だけでなく、空や土のようすを見ながら決めておったからのう。
困ったのは日付そのものを決めなければならない立場の人たちじゃ。復活祭のように春分を基準に日取りを決める行事があると、暦のずれはそのまま行事の日付のずれになる。暦を直す動機は、農民ではなく教会の側にあったんじゃよ。
ニカイア公会議のあった325年から1582年までは1257年。128年で1日ずつ動くとして単純に計算すると、およそ10日になります。そこで1582年にグレゴリオ暦を導入した国々では、10日ぶんの日付が飛ばされました。暦の上の春分を、教会暦の基準である3月21日ごろへ戻すためです。




