ガリレオが亡くなった年に、ニュートンは生まれたのか
「ガリレオ・ガリレイが亡くなった年に、アイザック・ニュートンニュートン三大数学者の一人。万有引力の法則で知られる天才詳しく見る →が生まれた」という話は、天才科学者から次の天才科学者へのバトンタッチとして、しばしば語られます。
けれども2人の日付を同じ暦にそろえると、年は重なりません。ガリレオガリレオ地動説を唱えた近代科学の父詳しく見る →が亡くなったイタリアでは、すでにグレゴリオ暦が使われていました。没日はグレゴリオ暦の1642年1月8日です。一方、ニュートンが生まれたイギリスはまだユリウス暦を使っていました。生誕日はユリウス暦の1642年12月25日ですが、グレゴリオ暦に直すと1643年1月4日になります。
「1642年」という数字が重なって見えるのは、それぞれの国で使われていた別の暦の日付を、そのまま並べたためです。暦の切り替え時期が国によって違ったことが生んだ、有名な「日付のトリック」だといえます。
もっと単純な規則ではダメだったのか
グレゴリオ暦の「4年に1度、ただし100の倍数はダメ、ただし400の倍数はOK」という規則は、現代人の目には少し複雑に映るかもしれません。そもそもの原因は、千年も前に「春分の日を3月21日とする」と決めてしまったことにあります。
ポゥじい博士の見立て実は「128年ごとに春分の日を1日前に移動する」という規則を設けるだけでも、実用上は十分だったと思うておる。閏年の入れ方をいじるのではなく、「春分の日」という目印のほうを動かしてしまうのじゃ。
千年に8日ほど季節が移動しても、日常生活には何の影響もない。人の一生でその移動を経験するのは、せいぜい1回じゃからのう。1日ずれたぐらいでは、気づく者は誰もおらん。
それでもグレゴリオ暦がこれほど精密な規則にこだわったのは、天文学からの要請ではないじゃろう。「自然が司る時」と「教会が司る時」を教皇が一致させた。そう示すことで、威信を失いかけていたカトリック教会の権威を立て直そうとした側面があったのではないか、とわしは見ておるんじゃよ。

ポゥじい


