リンド・パピルス
用語
Rhind Mathematical Papyrus

リンド・パピルス

紀元前16世紀ごろに書記アーメスが筆写した古代エジプトの数学文書。書記の教育に使われたと考えられ、多数の計算問題と解法を収めている。
ひとことで言うと

今から3600年ほど前に筆写された、古代エジプトの数学問題集。

リンド・パピルスとは

この用語の要点
  • 古代エジプトの書記アーメスが筆写した、現存する数学文書のうちもっとも長いもの
    • 分数・面積・体積・分配など、たくさんの問題と解き方が並ぶ
    • 書記を育てるための教本、あるいは教師用の手引きだったと考えられている

リンド・パピルスは、古代エジプトの書記アーメスが筆写した数学文書で、「アーメス・パピルス」と呼ばれることもあります。分数の計算、面積や体積、食料の分配など、たくさんの問題とその解き方が収められています。書記を育てるための教本、あるいは教師用の手引きだったと考えられています。

このパピルスが書かれたのは紀元前16世紀ごろ、今から3600年ほど前です。アーメスは冒頭に、昔の王の時代に作られた文書を写したと記しています。その王(アメンエムハト3世)の年代から、もとの文書はさらに200〜300年ほど古いと考えられています。

どんな問題が載っているのか

リンド・パピルスには、問題とその解き方が80あまり並んでいます。書記がふだんの仕事で出会う計算が、そのまま練習問題になっています。たとえば次のようなものです。

  • パンを分ける問題:何個かのパンを10人で等しく分ける。答えは、分子が1の分数を組み合わせて表します(※『エジプト分数』参照)エジプト分数分子が1の分数(単位分数)を、同じものを2回以上使わずに足し合わせて表す、古代エジプトの分数の書き方。
  • 円の面積:直径9の円の面積を求める。直径9からその9分の1(つまり1)を引いて8、それを2回かけて 8×8=64 とします
  • ピラミッドの傾き:底辺の1辺が360キュビット、高さが250キュビットのピラミッドの傾きを求める
  • パンやビールの濃さ(ペスの問題):決まった量の小麦から、何個のパンや何杯のビールができるかを計算する
  • 7をくり返しかける問題:下でくわしく見る79番目の問題

「リンド」とは誰のことか

この名前は、書いた人でも、書かれた場所でもありません。近代になってこのパピルスを手に入れた人の名前です。

スコットランドの考古学者アレクサンダー・ヘンリー・リンドが、1858年ごろ、エジプトのルクソールでこれを買い求めました。リンドの死後、1865年に大英博物館へ収められ、いまもそこにあります。もうひとつの呼び名「アーメス・パピルス」のほうは、筆写した書記の名前にちなんだものです。

なお、途中の欠けた部分にあたる断片は、別の人の手に渡っていました。リンド・パピルスの一部だと分かったのは1922年のことで、いまはニューヨークのブルックリン美術館にあります。

古代エジプトの数学が分かるのは、こうしたパピルスの文書が読めるからです。ただしパピルスはとても傷みやすく、乾いた土地や墓など、条件のよい場所にたまたま残ったものしか見つかっていません。リンド・パピルスは、そのなかでもっとも長く、内容も充実した一点です。

7の累乗をあつかう79番目の問題

パピルスはすぐに傷むため、粘土板に書かれたバビロニアの文書とくらべると残っているものがとても少なく、内容にも分からないところが多くあります。79番目の問題も、そのひとつです。

79番目の問題には、数字だけが並んだ表が載っています。それぞれの数に「家」「猫」「ネズミ」「小麦」といった言葉が添えられているだけで、問題文がありません。

パピルスは高価でした。問題文までは書かず、教師が口で補っていたのでしょう。こうした形の問題は古代の数学によくあるので、数学史家は次のように復元しています。

「7軒の家があり、それぞれに7匹の猫がいる。それぞれの猫が7匹のネズミを捕らえ、それぞれのネズミが7穂の小麦を食べ、1穂から7枡の小麦が取れる。この7軒の家の猫は、どれだけの小麦を救ったことになるか」

実際に、数を見ていきましょう。表に並ぶのは、7から始めて7倍していった数です。

7, 49, 343, 2401, 16807

いまの書き方にすると、7の1乗から5乗までです。

7¹, 7², 7³, 7⁴, 7⁵

問いに答えるだけなら、7⁵、つまり小麦の量 16807枡で足ります。ところが書記は、家・猫・ネズミ・穂・枡の5つをすべて足して、19607 を出しています。そのため、書記が問題を取りちがえたのだ、と考えられることもあります。はたして、そうでしょうか。

手がかりは、このあとに並んでいる、もう1組の数です。

2801, 5602, 11204

2801は、表の数の前に1を加えて、4つめの2401までを足した合計です。

1+7+49+343+2401 = 2801

5602と11204は、2801の2倍と4倍です。1倍・2倍・4倍を足すと7倍になるので、3つの和は

2801+5602+11204 = 2801×7 = 19607

となり、上で求めた合計と一致します。実際、1, 7, 49, 343, 2401 をそれぞれ7倍すると、表の5つの数になります。表のほうには、はじめの1がないことにも注意してください。

この3つの数は、ふつうは上の計算の検算だと考えられています。7倍を1倍・2倍・4倍に分けて足すように、2倍をくり返して掛け算をこなすのは、古代エジプトでよく使われたやり方です。

さらに深掘り

エジプト数学は本当に「考察のない計算」だったのか

オリエントの数学は「教えられたとおりに計算する方法を学ぶだけで、なぜそうするのかという考察がない」と、しばしば言われてきました。おそらくギリシア数学との対比から生まれた評価です。

ただし、これは中身の差というより、残っている文書の性格の違いによるところが大きいのです。ユークリッドユークリッド「ユークリッド幾何学」でおなじみの幾何学の父詳しく見る →の『原論原論(ストイケイア)古代ギリシアの数学者ユークリッドが、ヘレニズム期のアレクサンドリアで著した数学書。定義・公準・共通概念から命題を積み重ね、幾何学から数論までを体系化した全13巻。詳しく見る →』は、定義や公準から定理を証明していく、理論を体系化した書物です。これに対しエジプトの数学パピルスは、書記の学校で使う教育用の資料でした。目的も時代も違う文書を、そのまま並べて比べることはできません。

また、残っている文書に証明が書かれていないからといって、エジプト人が理由をまったく考えなかったとは言えません。逆に、ギリシアと同じような証明の体系を持っていたと推測することもできません。確かなのは、残っている文書が、理論の説明よりも具体的な解き方を詳しく伝えているということです。

ポゥじい博士の見立て

79番目の問題について、わしにはひとつ考えがある。エジプト人は、1+7+49+…のように、同じ数を次々にかけてできる数を足していく計算(等比級数)のやり方を知っておったのではないか、ということじゃ。

1から7の何乗かまでを足した合計を、「ひとつ前までの合計を7倍して1を足す」という決まりで、次々に出していったのじゃろう。1+7で8、8×7+1で57、57×7+1で400、400×7+1で2801、という具合じゃ。

式で書くと、こうなる。1から7の n 乗までの合計を Sₙ とすると、

Sₙ = 1+7+7²+…+7ⁿ
Sₙ₊₁ = 7×Sₙ+1

この決まりで、S₂、S₃、S₄、S₅ と順に出していったのではないか、というのがわしの考えじゃ。

7の5乗をじかに求めるのも、合計を求めるのも、7倍の計算は同じ5回じゃ。それに合計のほうが使い道が多いし、7の何乗かも、となりの合計どうしの差で簡単に出せる。

7ⁿ = Sₙ − Sₙ₋₁  (たとえば 7⁵ = 19608 − 2801 = 16807)

パピルスは研究書ではなく、いまでいう参考書のようなものじゃ。書記が問題を取りちがえたのではなく、話の途中で終わっておるだけかもしれんぞ。

なお79番目の問題には、本来2401であるはずのところが2301と書かれた箇所があります。筆写のときの写し間違いと考えられています。

中世ヨーロッパに現れる、よく似た問題

リンド・パピルスが筆写されてから2500年以上のち、数学者フィボナッチ(ピサのレオナルド)(※『算盤の書』参照)算盤の書中世ヨーロッパの数学者フィボナッチ(ピサのレオナルド)が著した数学書。アラビア数字やさまざまな計算法をヨーロッパに紹介した。「算盤の書」とも表記される。が、79番目の問題とよく似た問題を著書に記しています。

「7人の老人がローマへ向かう。それぞれが7頭のラバを連れ、それぞれのラバが7個の荷袋を運び、それぞれの袋に7個のパンが入り、それぞれのパンに7本のナイフがあり、それぞれのナイフに7個の鞘がついている。全部でいくつあるか」

出てくるものは違いますが、「7倍をくり返した数をすべて足す」という組み立てはそのままです。イギリスのわらべ歌マザー・グースにも、「セント・アイヴスへ行く途中、7人の妻を連れた男に会った。妻はそれぞれ7つの袋を持ち、袋にはそれぞれ7匹の猫が…」と、7をくり返していく同じ形の歌が残っています。

リンド・パピルスの問題がフィボナッチやマザー・グースまで直接伝わったことを示す資料は、まだ見つかっていません。けれども、計算のしかたに目を向けると、つながりが見えてきます。

フィボナッチフィボナッチフィボナッチ数列で有名 アラビア数学を広めた数学者詳しく見る →は、父の仕事先だった北アフリカの都市ブジー(現在のアルジェリア)で計算術を学び、そこでインド式の数字と計算法を知りました。その後もエジプトやシリア、ギリシアなど地中海の各地をめぐって、さまざまな土地の計算法を学んだと自ら書いています。そして『算盤の書』では、分子が1の分数を組み合わせる「エジプト分数」を使って計算しています。イギリスでも中世までは、計算盤(アバクス)で2倍をくり返す計算がおこなわれていたようです。どちらもリンド・パピルスに見られる、古代エジプトの計算のしかたです。問題は、それを解くやり方といっしょに、長い時間をかけて受け継がれてきたと見ることができます。

ポゥじい博士の見立て

わしは、伝わったのだと思うておる。

分子が1の分数も、2倍をくり返す計算も、合計を7倍して1を足していく計算も、古代エジプトの書記たちが使いこなしておったやり方じゃ。こうした計算のしかたは、古代の世界に広まっていったのじゃろう。問題だけが、ぽつんと伝わったのではあるまい。解き方ごと、数千年の時をかけてヨーロッパまで届いたのじゃろう。マザー・グースの歌も、もとは算術の問題だったのだと思うておる。

古代エジプトの問題が、イギリスのわらべ歌にまで顔を出しておる。なんとも面白いことじゃな。

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