エジプト数学は本当に「考察のない計算」だったのか
オリエントの数学は「教えられたとおりに計算する方法を学ぶだけで、なぜそうするのかという考察がない」と、しばしば言われてきました。おそらくギリシア数学との対比から生まれた評価です。
ただし、これは中身の差というより、残っている文書の性格の違いによるところが大きいのです。ユークリッドユークリッド「ユークリッド幾何学」でおなじみの幾何学の父詳しく見る →の『原論原論(ストイケイア)古代ギリシアの数学者ユークリッドが、ヘレニズム期のアレクサンドリアで著した数学書。定義・公準・共通概念から命題を積み重ね、幾何学から数論までを体系化した全13巻。詳しく見る →』は、定義や公準から定理を証明していく、理論を体系化した書物です。これに対しエジプトの数学パピルスは、書記の学校で使う教育用の資料でした。目的も時代も違う文書を、そのまま並べて比べることはできません。
また、残っている文書に証明が書かれていないからといって、エジプト人が理由をまったく考えなかったとは言えません。逆に、ギリシアと同じような証明の体系を持っていたと推測することもできません。確かなのは、残っている文書が、理論の説明よりも具体的な解き方を詳しく伝えているということです。
ポゥじい博士の見立て79番目の問題について、わしにはひとつ考えがある。エジプト人は、1+7+49+…のように、同じ数を次々にかけてできる数を足していく計算(等比級数)のやり方を知っておったのではないか、ということじゃ。
1から7の何乗かまでを足した合計を、「ひとつ前までの合計を7倍して1を足す」という決まりで、次々に出していったのじゃろう。1+7で8、8×7+1で57、57×7+1で400、400×7+1で2801、という具合じゃ。
式で書くと、こうなる。1から7の n 乗までの合計を Sₙ とすると、
Sₙ₊₁ = 7×Sₙ+1
この決まりで、S₂、S₃、S₄、S₅ と順に出していったのではないか、というのがわしの考えじゃ。
7の5乗をじかに求めるのも、合計を求めるのも、7倍の計算は同じ5回じゃ。それに合計のほうが使い道が多いし、7の何乗かも、となりの合計どうしの差で簡単に出せる。
パピルスは研究書ではなく、いまでいう参考書のようなものじゃ。書記が問題を取りちがえたのではなく、話の途中で終わっておるだけかもしれんぞ。
なお79番目の問題には、本来2401であるはずのところが2301と書かれた箇所があります。筆写のときの写し間違いと考えられています。
中世ヨーロッパに現れる、よく似た問題
リンド・パピルスが筆写されてから2500年以上のち、数学者フィボナッチ(ピサのレオナルド)(※『算盤の書』参照)算盤の書中世ヨーロッパの数学者フィボナッチ(ピサのレオナルド)が著した数学書。アラビア数字やさまざまな計算法をヨーロッパに紹介した。「算盤の書」とも表記される。が、79番目の問題とよく似た問題を著書に記しています。
「7人の老人がローマへ向かう。それぞれが7頭のラバを連れ、それぞれのラバが7個の荷袋を運び、それぞれの袋に7個のパンが入り、それぞれのパンに7本のナイフがあり、それぞれのナイフに7個の鞘がついている。全部でいくつあるか」
出てくるものは違いますが、「7倍をくり返した数をすべて足す」という組み立てはそのままです。イギリスのわらべ歌マザー・グースにも、「セント・アイヴスへ行く途中、7人の妻を連れた男に会った。妻はそれぞれ7つの袋を持ち、袋にはそれぞれ7匹の猫が…」と、7をくり返していく同じ形の歌が残っています。
リンド・パピルスの問題がフィボナッチやマザー・グースまで直接伝わったことを示す資料は、まだ見つかっていません。けれども、計算のしかたに目を向けると、つながりが見えてきます。
フィボナッチフィボナッチフィボナッチ数列で有名 アラビア数学を広めた数学者詳しく見る →は、父の仕事先だった北アフリカの都市ブジー(現在のアルジェリア)で計算術を学び、そこでインド式の数字と計算法を知りました。その後もエジプトやシリア、ギリシアなど地中海の各地をめぐって、さまざまな土地の計算法を学んだと自ら書いています。そして『算盤の書』では、分子が1の分数を組み合わせる「エジプト分数」を使って計算しています。イギリスでも中世までは、計算盤(アバクス)で2倍をくり返す計算がおこなわれていたようです。どちらもリンド・パピルスに見られる、古代エジプトの計算のしかたです。問題は、それを解くやり方といっしょに、長い時間をかけて受け継がれてきたと見ることができます。
ポゥじい博士の見立てわしは、伝わったのだと思うておる。
分子が1の分数も、2倍をくり返す計算も、合計を7倍して1を足していく計算も、古代エジプトの書記たちが使いこなしておったやり方じゃ。こうした計算のしかたは、古代の世界に広まっていったのじゃろう。問題だけが、ぽつんと伝わったのではあるまい。解き方ごと、数千年の時をかけてヨーロッパまで届いたのじゃろう。マザー・グースの歌も、もとは算術の問題だったのだと思うておる。
古代エジプトの問題が、イギリスのわらべ歌にまで顔を出しておる。なんとも面白いことじゃな。
