覚える負担と書く効率のトレードオフ
ヒエログリフの数字は、覚える基本記号が少なくて済みます。そのかわり、大きな数を書くと同じ記号を何度も並べることになります。ヒエラティックはその逆で、覚える記号は多いものの、1つの数を少ない記号で書けます。
9999でいえば、ヒエログリフは36個、ヒエラティックは4個。大量の物資や税を毎日記録する書記にとって、この差は大きなものでした。
ただし、古代エジプト人がこの損得を設計として意識していたかどうかは分かりません。長く実務で使われるうちに、繰り返しの部分が省略され定型になり、より速く書ける形へ育っていったと考えるほうが自然です。
読める人が、ほんの一握りだったということ
古代エジプトで読み書きができた人は、人口のごく一部だったと考えられています。正確な識字率は分かりませんが、高度な読み書きには専門の訓練が必要でした。
ヒエラティックの習得が難しかったのは、数字の記号が多かったからだけではありません。古代エジプト語の文字・語彙・文法に加えて、文書の形式、計算、行政の実務までひと通り学ぶ必要があったからです。
リンド数学パピルスリンド・パピルス紀元前16世紀ごろに書記アーメスが筆写した古代エジプトの数学文書。書記の教育に使われたと考えられ、多数の計算問題と解法を収めている。詳しく見る →やモスクワ数学パピルスなど、現存する代表的な数学文書の多くはヒエラティックで書かれています。数学の知識が、おもに書記の教育と実務を通して受け継がれていた様子がうかがえます。ただし後の時代には、デモティックで書かれた数学文書も残っています。
ギリシアの記数法へ受け継がれたのか
ヒエラティックの数字と、のちのギリシアのイオニア方式には、よく似たところがあります。イオニア方式は、ギリシア文字を使って1〜9、10〜90、100〜900にそれぞれ別の記号を割り当てるもので、少ない記号で大きな数を書けるという点でヒエラティックと同じ型の記数法です。
ただし、仕組みが似ていることだけでは、エジプトからギリシアへ受け継がれたとは言えません。
文字については、ギリシア人がフェニキア文字を取り入れてギリシア・アルファベットを作ったことが知られています。文字の名前や並び順の多くも受け継ぎました。ただし母音を表す文字を作り、新しい文字も加えたので、文字の数まで同じだったわけではありません。さらにさかのぼると、フェニキア文字の祖先にあたる初期の西セム文字は、エジプトの文字を参考に作られた可能性が高いと考えられています。
これはあくまで「文字」の系譜です。数字の書き方まで同じ経路で伝わった証拠にはなりません。エジプトのデモティック数字を参考にギリシアのアルファベット式数字が作られた、という説も提唱されていますが、想定されている経路はフェニキア経由ではなく、エジプトと小アジアの交易です。
ポゥじい博士の見立てギリシア世界に文字が伝わったのは紀元前7世紀ごろじゃ。数字もそのころに伝わったものと、わしは思うておる。
ギリシアのアルファベットは、フェニキア文字をもとに作られた。文字の名前も並び順も、フェニキアのものとほとんど同じじゃからのう。そのフェニキア文字の祖先をたどれば、エジプトの文字を参考にしたとみられる初期の西セム文字に行き着く。
その道を、文字だけが通って数字は通らなかった、と考えるほうがむしろ不自然じゃ。エジプトの書記たちが実務のなかで編み出した「1つの数に1つの記号」という工夫が、ギリシアの記数法まで届いておったとわしは見ておる。文字の形は変わっても、考え方のほうは残ったのじゃよ。
ただし、この道すじを直接に示す資料はまだ見つかっていません。エジプトのデモティック数字を参考にした、という別の説もあります。
