シュメールの文字との関わり
現在知られているもっとも古い文字は、紀元前3300〜3200年ごろ、メソポタミア南部とエジプトに相次いで現れます。シュメールの文字(※『古拙文字』参照)古拙文字シュメールの古都ウルクで発見された、紀元前3200年頃の世界最古級の絵文字。のちに粘土板にペンを押し付けて書く楔形文字へと発展した。とエジプトのヒエログリフです。
王朝時代が始まる前後のエジプトからは、シュメールの特産品である円筒印章が出土しており、当時のエジプトと西アジアのあいだに交流があったことがわかります。エジプトの文字がシュメールの文字から生まれたことを直接示す資料は見つかっていませんが、この交流を通じて「文字で記録する」という発想が伝わった、と見ることができます。
ヒエログリフの記号の形や言葉の表し方は、エジプト語に合わせて作られています。そして、絵から文字へ育っていく途中の段階がシュメールほどはっきりたどれず、早い時期の資料からすでに整った姿で現れます。
ポゥじい博士の見立てわしはな、エジプトの文字も、シュメールから伝わった発想の上に育ったと思うておる。
絵文字なら、シュメールだけでなく肥沃な三日月地帯のあちこちで見つかっておる。紀元前4000年ごろには、この一帯で広い交易がなされておった。言葉の違う相手と取引するには、絵で記す工夫が要る。文字の下地は、シュメールにもエジプトにも、先にあったのじゃ。
そのうえで言うがな。こういう状況を「同時多発的」と呼ぶ人もおるが、わしは発明というものは、まれにしか起きんと思うておる。誰かが文字を使い始めてしまえば、まねるのは簡単じゃからのう。
記号の形そのものより、「文字で記録する」という発想のほうが、はるかに難しい。形が似ておらんことは、発想が伝わらなかったことの証明にはならんのじゃよ。
どんな文化も、それ以前の文化の影響を受けて育っておる。文字も同じじゃ。
ロゼッタストーンが解読の鍵になった
エジプトでヒエログリフが使われはじめたのは紀元前3200年ごろ。年代がはっきりしている最後の碑文は、フィラエ島のイシス神殿に残された紀元後394年のものです。その後は使われなくなり、読み方も長いあいだ忘れられていました。
手がかりになったのが、1799年、ナポレオンナポレオンなし詳しく見る →のエジプト遠征のさなかに見つかったロゼッタストーンです。同じ内容の布告が、ヒエログリフ・デモティック(民衆文字)・古代ギリシア語の3種類で刻まれていました。ギリシア語は当時のヨーロッパでも読めたため、残る2つを解くための手がかりになったのです。
イギリスのトーマス・ヤングが王名などの解読を進め、その成果を引き継いだフランスの言語学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンが、1822年に突破口となる成果を発表します。すべてが一日で解けたわけではありませんが、この年を境に、神殿や墓やパピルスに残された古代エジプト人自身の言葉を読み解く道がひらけました。






