「無理数のパニック」は史実か
ある日、ピタゴラスピタゴラス宇宙の原理を数と結びつけた古代ギリシアの哲人詳しく見る →あるいはその弟子たちが、正方形の対角線の長さは有理数では表せないと気づいた、と言われています。一辺の長さを1とすると、対角線の長さは√2です。
「万物は数(自然数の比)である」(※『万物は数である』参照)万物は数であるこの世界のあらゆる現象は数、とくに整数の比によって成り立っているとする、ピタゴラス学派の中心教義。音楽の調和や天球の運行に見出された整数比から着想されたとされる。を掲げていた教団にとって、これは深刻でした。もっとも基本的な図形である正方形に、教義に反するものが潜んでいたからです。教団は閉鎖的な結社で、この発見は外に漏らしてはならない秘密とされました。
やがてヒッパソスという教団の一員がこれを外に漏らし、掟を破ったために船上から海へ突き落とされた。そしてピタゴラスは「量」という新しい概念を立て、"数"と"量"を分けることで教義と現実を両立させた。この「無理数のパニック」の物語は、そう締めくくられます。
ポゥじい博士の見立てこのお話は、どこまでが事実かは定かではないのじゃ。逸話の最も古い記録は3世紀ごろのローマ時代、イアンブリクスという人物の著作に現れる。ピタゴラスの時代からは何百年も後の話でな、しかもこの人物の著作は版によって内容が食い違うところがあり、そのまま史実として受け取るのは難しいと言われておる。
また物語の結末では「教義を守るため数を量から切り離した」とされるが、実際の歴史はむしろ逆だったように見えるのじゃ。古典期のギリシアでは"数"と"量"はもともと別物として扱われておって、ヘレニズム期になってはじめて"量"も"数"の仲間として認められるようになったんじゃ。
『原論原論(ストイケイア)古代ギリシアの数学者ユークリッドが著した数学書。定義・公準・共通概念から出発して命題を積み重ねる構成で、幾何学から数論までを体系化した全13巻。詳しく見る →』の根底にある「数と量は別物」という古い理論と、その後入ってきた「量も数である」という新しい実践理論との間の食い違い、それにアロゴスという術語の持つ「口にしてはいけない」というニュアンスから、後世になって「無理数のパニック」という物語が作られたのではないかとわしは考えておる。






この本のタイトルは「無理数は本当に発見されていたのか?」。その問いが、いちばんはっきり出てくるところを読んでみましょう。
この本を見る
ポゥじい『正方形において、一辺の長さと対角線の長さは共測でない』。これがギリシア数学における 無理数の発見 に相当する命題じゃな。ここで強調しておきたいことは、『古代ギリシア人は無理数を発見した』という言説は古くからあるが、はたしてこれが事実かどうかじゃ。
「無理数を正式な数として認めるかどうか」に手こずったのは、実はギリシアだけではありません。同じ問いに、アラビアの数学者たちも向き合っていました。
この本を見る
ポゥじいうむ、よいところに気づいたのう。アラビアの数学者たちは、無理数のことを 不尽数 あるいは、 不言数 と呼んでおった。「書き尽くせない数」「言い表せない数」という意味じゃな。彼らは √2 や √3 を、小数点以下何桁までも計算しておる。つまり、そういう数が「ある」ことは認めていたわけじゃ。ただし、彼らが方程式の「答え」として求めていたのは、あくまで近似値としての有理数、つまり有限小数だったのじゃ。



