クレオパトラ とは?
クレオパトラは、古代エジプト・プトレマイオス朝の最後の支配者であり、「ファラオ」として知られる女王です。
単に美貌で語られる存在ではなく、巧みな外交と政治手腕によって、衰退するエジプトの独立を守ろうと奔走した人物です。ローマ帝国との関係を通じて、彼女は古代地中海世界の歴史の転換点に立ち会いました。
時代背景 クレオパトラ が活躍した時代はどんな時代?
クレオパトラが活躍した紀元前1世紀、エジプトはギリシア系王朝であるプトレマイオス朝のもとにありました。
この王朝は、アレクサンドロス大王の死後、その部下プトレマイオスによって建てられたもので、ギリシア文化とエジプト文化が融合する独自の文明を築いていました。
一方で、エジプトの政治的自立は揺らぎつつあり、ローマの干渉が強まっていました。クレオパトラは、まさにその最終局面で登場した、知性と行動力を兼ね備えた女王だったのです。
古代エジプト最後の女王 クレオパトラ
クレオパトラ7世(紀元前69年~紀元前30年)は、古代エジプト・プトレマイオス朝の最後の女王です。ギリシア系の王族に生まれながら、エジプト語を含む多言語を操る知性を持ち、政治的手腕にも優れていました。
彼女が女王となった紀元前51年当時、ローマ帝国は急速に勢力を拡大しており、エジプトもその影響を強く受けていました。クレオパトラはおよそ20年間にわたりエジプトを治め、独立を保つために巧みな外交を展開します。
クレオパトラとローマの英雄たち
その外交戦略の象徴が、ローマの将軍ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスとの関係です。彼女はカエサルとの間に子ども(カエサリオン)をもうけ、エジプトの政治的立場を強化しようとしました。
カエサルの死後はアントニウスと同盟を結び、ローマ内での勢力争いに巻き込まれます。しかし、アントニウスとともに臨んだアクティウムの海戦で、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)に敗北。紀元前30年、クレオパトラは捕らえられることを拒み、自ら命を絶ったと伝えられています。
この死をもって、プトレマイオス朝は終焉を迎え、古代エジプトは正式にローマの属州となりました。