そもそも、なぜ素数に興味を持ったのか
いまの私たちは、素数を暗号や情報技術と結びつけて考えます。ですが古代ギリシア人には、そんな用途はありませんでした。それでも彼らは、素数を含む数の性質を熱心に調べています。
その動機を、ひとつの理由で説明することはできません。
当時のギリシアでは、数学と哲学と宗教的な世界観が、いまほどはっきり分かれていませんでした。アリストテレスアリストテレス万学の祖 古代ギリシアの大哲学者詳しく見る →は『形而上学』のなかで、ピタゴラス学派の考えを「数こそが万物の根源である」と要約しています。彼らにとって数は、計算の道具であると同時に、世界の秩序を読み解く手がかりでもありました。
いっぽうで素数は、約数や倍数、最大公約数といった整数のしくみを調べていけば、自然に現れてくる数でもあります。分解できる数と、それ以上分解できない数。その違いをはっきりさせることは、数の世界を筋道立てて理解するために欠かせませんでした。
素数が暗号という実用の役割を担うのは、それから2000年以上あとのことになります。
小石を並べた形で数をとらえた
ピタゴラスピタゴラス宇宙の原理を数と結びつけた古代ギリシアの哲人詳しく見る →とその学派には、数を点や小石の並びとして考える伝統がありました(※『小石の数理』参照)小石の数理数を小石を並べた図形として捉え、偶数・奇数・三角数・正方形数・長方形数などに分類したギリシア数学の考え方。。小石を並べて形を作り、その形から数の性質を読み取るのです。
たとえば、小石を2列に同じ数ずつ並べられる数が偶数。2列に並べると1個余る数が奇数です。
同じように、縦にも横にも2個以上ある長方形に並べられるかどうかを考えてみましょう。4なら2×2、6なら2×3、9なら3×3の長方形が作れます。ギリシア人はこうした数を長方形数と呼びました。現代でいう合成数にあたります。
ところが2、3、5、7のような数は、1列に並べるしかありません。縦にも横にも2個以上、という形にはどうしても並べられないのです。これがギリシア人にとっての素数でした。
合成数aがbとcの積で表されるなら、小石をb個ずつc列に並べれば長方形ができます。分解できるかどうかが、そのまま形になって見えるわけです。
『原論』が結びつけた素数と完全数
『原論』第IX巻では、素数と並んで「完全数」も扱われています。完全数とは、自分自身を除く約数の和が、自分自身に等しくなる数のこと。6の約数は1, 2, 3, 6で、6自身を除くと 1+2+3=6 になるので、6は完全数です。
一見すると素数とは別の話題ですが、『原論』はこの2つを結びつけました。いまの記号で書くと、示されているのは次の定理です。
古代ギリシアで知られていた完全数(6, 28, 496, 8128)は、すべてこの形になっています。ただし、どんな素数からでも作れるわけではありません。 2ᵏ−1 という形の数が素数になる必要があり、この形の素数を、いまではメルセンヌ素数と呼びます。
ポゥじい博士の見立てついでに言っておくと、いま伝わっている『原論』は、ユークリッド一人がまとめた形のまま残っておるわけではないのじゃ。よく知られた全13巻に加えて第14巻・第15巻が付いた版が広まった時期があるが、これは後世の別人が書き足したもので、ユークリッド自身の仕事ではないと今では分かっておる。素数や完全数を扱う第IX巻は本来の13巻の中身じゃが、『原論』という書物自体が一枚岩ではなく、後の世に手を加えられ続けてきた文書だということは、覚えておいて損はないぞ。
そして、まだ解けていない問いも残ったままです。奇数の完全数は存在するのか。完全数は無限にあるのか。古代ギリシアで調べられた数が、2000年以上たったいまも未解決の問いを生み続けているというのは、なかなか壮観だと思います。
素数は「1とその数自身しか約数を持たない数」と定義されますが、偶数の素数がただひとつしかないという事実は見落とされがちです。
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ポゥじい任意の自然数 a は、必ず 1 と a 自身を約数として持っている。そして、それ以外に約数を持たない数、これを素数と呼ぶ。最初の素数は 2 じゃ。そして面白いことに、偶数の素数はこの 2 だけなんじゃよ。



