PROFILE:No. 1 数学界の二大巨人

オイラー

  • 時代 1707–1783
  • 出身地 スイス・バーゼル
  • 肩書き 数学者、物理学者、天文学者

オイラー とは?

オイラーは18世紀のスイス生まれの数学者で、今日の数学の多くの基礎を築いた人物。数学だけでなく、物理学や工学、天文学まで、広い分野で活躍しました。

時代背景 オイラー が活躍した時代はどんな時代?

オイラーが生きた 18世紀は啓蒙時代 と呼ばれ、科学や哲学が大きく発展した時代でした。ヨーロッパでは、ニュートンの古典力学が確立され、数学や物理学が急速に発展していました。

ベルヌーイ家との縁

レオンハルト・オイラーは1707年、スイスのバーゼルという都市に生まれました。小さい頃から勉強好きで、とくに数字や計算が得意でした。彼の父は牧師でしたが、数学が好きだったので、小さい頃からオイラーに数学を教えていました。また、オイラーは幼い頃からベルヌーイ家に縁があり、ヨハン・ベルヌーイの指導のもとで数学の才能を開花させました。

オイラーは生涯にわたってたくさんの研究を行い、その成果をたくさんの論文や本として残しました。彼が活躍した分野は非常に幅広く、私たちが学校で学ぶ数学の多くの基本は彼の考え方から生まれています。

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オイラーの公式:数学の最も美しい公式

オイラーは数学の世界に数々の業績を残しましたが、以下はオイラーの公式と呼ばれ、数学の最も美しい公式と称されています。

e=cosθ + isinθ

ここで e はネイピア数(自然対数の底)で、約 2.718 です。iは虚数単位で、i2= −1 となります。

特に θ = π とした時、

e + 1 = 0

となり、これはオイラーの等式と呼ばれています。この等式は、数学の五つの基本的な定数(e, i, π, 1, 0)が一つの式にまとまる奇跡的なもので、「数学の宝石」とも称されます。これほど異なる数学的概念が一つのシンプルな式で結びつくことは、数学者たちにとって驚きと感動をもたらしました。

ケーニヒスベルクの橋

ケーニヒスベルクの橋は、現在のロシアのカリーニングラードに位置する旧ドイツの都市ケーニヒスベルクに存在していた7つの橋の配置にまつわる有名な数学問題です。

具体的には、以下の条件のもとで橋を渡れるかを考えます:

1.どの橋も一度だけ渡る。
2.全ての橋を使う。
3.最初にいた場所に戻ってくる。

オイラーは、この問題の解決にあたり、地図上の詳細な形状を無視し、橋と陸地の関係だけに注目しました。そして、橋を「辺」、陸地を「頂点」とする抽象的な「グラフ」に置き換えて、この問題を解くことにしました。

オイラーは、各頂点(陸地)に接続されている辺(橋)の数を「次数」と呼び、この問題においては各頂点の次数が奇数であると解決できないことを示しました。ケーニヒスベルクの場合、全ての頂点が奇数の次数を持っていたため、このような条件で橋を一度ずつ渡って元の位置に戻ることは不可能である、と証明したのです。

この考え方はトポロジー(位相幾何学)という分野の発端となりました。

オイラーの研究により、この問題は数学やコンピューターサイエンス、ネットワーク理論、道路設計、物流など多くの分野に応用され、現代の「グラフ理論」の礎を築きました。

1735年頃オイラーは生涯のうちに目が悪くなり、最終的にはほとんど視力を失ってしまいました。しかし、視力が失われても数学の研究をやめませんでした。オイラーは頭の中だけで計算や図形のイメージをして、論文を次々と書き続けたのです。

数学記号の普及

オイラーは、数学の記号を整備したことでも有名です。たとえば、関数を表す「f(x)」の記法 や、円周率 π の記号を一般的に広めたのはオイラーです。また、総和を表す「Σ(シグマ)」や虚数単位「i」 も、オイラーによって広まりました。

彼の功績のおかげで、現代の数学の記法が統一され、多くの数学者がスムーズに研究できるようになりました。

オイラーの多面体定理

オイラーは立体図形についても研究し、四角錐や立方体のような多面体の頂点、辺、面の数が関係する公式を見つけました。オイラーの多面体定理の詳しい解説はこちら▼
オイラーの多面体定理とは

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オイラーの多面体定理

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