PROFILE:No. 19

ユリウス・カエサル

  • 時代 前100年 - 前44年
  • 出身地
  • 肩書き 将軍・政治家
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ユリウス・カエサル とは?

ローマ共和国末期に活躍した軍人であり政治家。彼の功績は、ローマ帝国の拡大やその後の帝政ローマへの移行に大きく貢献しました。「ガリア戦記」などを執筆した文筆家としても有名です。

時代背景 ユリウス・カエサル が活躍した時代はどんな時代?

ユリウス・カエサルが活躍した時代は、紀元前1世紀のローマ共和国末期です。この時代は、政治的な混乱や社会の変革が進む中で、ローマが地中海世界における強大な勢力となりつつあった時期でした。しかし、同時に内部の権力闘争や階級対立が激化し、共和国体制が揺らいでいた不安定な時代でもありました。

カエサルが成し遂げた功績とその影響

紀元前100年ごろまでに、ローマは地中海を内海とする大帝国になっていました。ローマの急激な領土拡大によって多くの新しい属州が生まれ、それに伴い新たな財源と権力が貴族階級に集中しました。このことが、ローマ社会の不平等をさらに深刻にし、平民の不満が高まっていきました。その結果、スラとマリウスの対立スパルタクスの反乱といった内乱が相次ぎ、ローマは内部的な争いに巻き込まれていました。

このような政治的混乱の中、カエサルは軍事的成功と政治的手腕で急速に力をつけました。彼は紀元前60年に、ポンペイウス、クラッススと共に「第一回三頭政治」を結成し、ローマの実質的な支配者としての地位を確立しました。カエサルは、ガリア遠征での軍事的成功を通じて強大な軍事力と名声を得ます。

ガリア征服後、カエサルはローマに戻る決断をし、紀元前49年に「ルビコン川を渡る」という歴史的な行動を取ります。これは元老院と対立する形でローマ内戦を引き起こし、結果的にカエサルがローマの独裁者として君臨することになります。

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ユリウス暦の制定

当時のローマは、圧倒的な軍事大国でしたが、文化の面では遅れていました。カエサルは権力を握った後、ローマ社会において重要な改革を行いました。彼は経済や社会制度を安定させるために土地分配を実施し、兵士や平民層に支持を広げました。また、暦改革を行い、現在の暦の基礎となる「ユリウス暦」を導入しました。

当時、暦は乱れ切っていました。どのようなときに閏月を挿入したらよいかという決まりがなかったためです。

カエサルはエジプトの天文学者ソシゲネスに命じてローマの暦法を改訂させます。太陰太陽暦であったローマの暦をエジプト式の太陽暦に変更しました。最も重要な変更は閏年の導入で、4年ごとに閏年としたことです。これがユリウス暦です。
現在私たちが使っている西暦はグレゴリオ暦と呼ばれる暦で、ユリウス暦を改訂した暦です。

関連記事以下の記事で詳しく解説しています++。

第5回 ローマの暦:カエサルが導入したユリウス暦

ユリウス・カエサル の名言

賽は投げられた

カエサルがルビコン川を渡る際に発したとされる言葉です。この言葉は、彼が元老院と敵対し、ローマ内戦を決意した瞬間を象徴しています。

来た、見た、勝った

これは、カエサルが短期間で勝利を収めた戦いについて報告した際の言葉とされています。迅速な勝利を象徴する有名な言葉です。

ブルータス、お前もか

これは、カエサルが暗殺される際に、親しい友人であるブルータスが暗殺者の一人だったことに驚いて発した言葉とされています。ただし、これはシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』で有名になった表現で、実際のカエサルの言葉かどうかは不確かです。

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